NIRA総合研究開発機構

 日本、そして世界の情勢は、ますます混迷を深めている。
 国際的情勢をみると、地政学的な緊張が高まり、また各国の政治状況もますます不安定化するなど、これまでの価値観が揺らぐ状況が続いている。日本に目を向ければ、少子化・高齢化対策や財政負担などの課題について国民的な合意が必要とされているが、少数与党に転じた自民党がどのように政権のかじ取りを進めていくのか、正念場にいる。
 NIRA総研では、これまで『わたしの構想』誌に登壇いただいた方々やNIRAのプロジェクトに協力いただいた方々、総勢160名の専門家に、ご自身のテーマからみた日本と世界の課題や展望を寄稿してもらった。

2025年1月21日公表

INDEX

識者提言 五十音順

 識者 あ行

合原 一幸 危機の予兆を検知し未然に対処するための数学

合原 一幸

東京大学特別教授/名誉教授

 筆者は内閣府のムーンショット型研究開発制度で、「さまざまな疾病の予兆信号を検知して、そのままではもうすぐ発病することを察知し、発病前に治療して発病せずに治す」ための数学的手法を構築し、実験・臨床データでその有効性を検証する研究を現在行っている。いわゆる「未病」の数学基盤を構築し、実験・臨床的医学として実証する研究である。発病前の未病状態で治療することにより、すみやかに健康状態に戻ることが期待されている。
 研究対象自体は医学であるが、数学の面白いところは、理論的に抽象化して手法を構築するので、未病のために作った数学が予想外の他分野でしばしば役に立つ点である。数学ならではの利点であろう。対象とする問題本体以外でも価値のある「おまけ」が、しばしば意図せずについてくるのである。未病の場合は、生体システムという複雑系を対象とするが、未病の数学が生体システム以外のさまざまな複雑系の「未病」に活用できることがある。すでに社会実装できている応用例としては、洪水予測がある。河川の水位が危険レベルを超える前に、このままでは超えてしまうという予兆が「未病状態」において高い精度でわかる。このような危機の予兆という形での一般化した「未病検知」が、さまざまな機械や工学システムの故障、交通などのインフラシステムの異常、諸災害、さらには社会・経済問題などにも応用できる可能性がある。ここでのポイントは、危機は通常、好ましくない状態に陥ってしまってから後に対処しようとすると大きな困難を伴うが、予兆を捉えて「未病状態」で未然に対処すれば、しばしば軽微な影響で収まり得ることである。今日のように、国内外、そして自然から社会・経済に至るまで、変化が激しく多様で一見予測不能な複雑さの中で危機に満ちた時代においては、未病の数学が予想以上に有効な方法論になるのではないかと考えている。

赤澤 直樹 デジタル技術で公共財の新時代を拓け

赤澤 直樹

Fracton Ventures株式会社CTO

 公共財とは、道路や橋といったインフラから、公園、上下水道、さらには図書館や教育機関のような知的資源まで、社会を支える基盤を指す。また、広義には、教育や福祉、医療といった生活を豊かにするサービスや、芸術・文化の振興、地域コミュニティの活性化を促す環境づくりなど、人々が等しく恩恵を受けることのできる多様な要素が含まれる。これらは社会全体の学びや成長、安心感やつながりを生み出す基盤として機能し、ひいては持続可能な社会を築くための土台となるものである。
 しかし、今日の社会は生活様式が多様化し、既存の公共財はその整備や更新に時間を要し変化への対応が遅れがちとなっている。従来の仕組みでは、環境変化や新たなニーズへの即応は困難であり、公共財の設計および運用には抜本的な転換が求められる。
 そこで注目すべきは、データ分析やセンサー技術、暗号技術などを用いたアップデートである。例えば、道路や橋に設置したセンサーで利用状況や劣化度合いをリアルタイムに収集し、メンテナンス計画を最適化することにより、インフラの長寿命化と維持管理コストの削減を両立することができる。オンラインの公共サービスプラットフォームの構築によって、市民は必要な情報や手続きを即座に得ることができ、行政は需要に合わせた資源配分を可能とする。さらに、ブロックチェーン技術をはじめとする分散型の技術基盤を活用すれば、資金の流れや意思決定過程を透明化し、市民参加を促進することができる。
 変化に柔軟に対応できる、新たな公共財への転換は喫緊の課題である。それは社会を支え、人々が安心して未来を描くための礎となり得るだろう。

浅川 博人 民間資金が促す社会インフラの新陳代謝

浅川 博人

三井住友トラスト基礎研究所PPP・インフラ投資調査部副部長

 2024年9月に、香川県で廃校となった中学校等を一部改装して、データセンターを開発するプロジェクトが立ち上がった。このプロジェクトは、民間企業が金融機関やインフラファンドなどから出資を受けて実施した事業である。かつて地域の教育を支えてきた学校がデジタル社会の拠点に生まれ変わることにさまざまな想いはあるかもしれないが、時代の変化に向き合った新しい地域づくりの一環と筆者は捉えている。データセンターの開発に伴い、建設や運営に関わる業務や、電力を供給する発電・蓄電事業、そしてデータを扱う新たな産業が地域に生まれるだろう。それは、これまで地域社会を支えてきた学校という社会インフラが、新しい社会インフラに生まれ変わる過程とも言える。
 このような「社会インフラの新陳代謝」は全国で進んでいる。エネルギー分野における再生可能エネルギー(洋上風力発電等)や新エネルギー(水素やアンモニア等)の導入はその典型例である。スポーツ施設の分野でも、これまでスポーツを行う場にすぎなかった施設が、商業施設や公共施設と一体化したまちづくりの中核として生まれ変わる事例が出てきている。
 少子高齢化により社会インフラの維持が危ぶまれる日本においても、より快適な地域社会を築く営みは続けていくべきであろう。こうした、いわば「次世代インフラ」の整備には、国内外を問わず民間資金が活用される場合が多い。その背景には、厳しい財政状況に加え、次世代インフラが新しい経済的な価値を生み出し、民間のビジネスチャンスになっていることが挙げられる。社会インフラの新陳代謝と、それを促す民間企業および金融機関の創意工夫に着目したい。

油本 真理 ロシアにおける国家=社会関係の現在

油本 真理

法政大学法学部教授

 ロシアにおいて国内の安定性が保たれている理由を説明する際に、しばしば言及されるのが「(暗黙の)社会契約」である。これは、安定性と引き換えの忠誠、すなわち、国民が自らの生活の保障を条件に、政権に対して従順な態度をとることを指す。
 この言葉に注目が集まったのはソ連後期、ブレジネフ期のことであった。スターリン期と比較して強制の要素が低下しているのにもかかわらず、人々が権威主義的な政権を受け入れているのはなぜなのか。研究者らは雇用・賃金、社会サービス、住居、消費財の提供をはじめ、人々の生活が政権によって保障されている点に注目し、政治的な忠誠との互換関係があると論じた。
 プーチン大統領の登場後、再びソ連時代と似た状況が現れた。権威主義化が進み、自由が失われつつあったのにもかかわらず、国民の多くが政権の方針を黙認したのである。これを説明する際にあらためて持ち出されたのが「社会契約」であった。プーチン期に入ってから経済状況が上向いたこともあり、人々が一定の生活水準と引き換えに政権を支持しているという説明は一定の説得力を持った。
 この「社会契約」は、国民による政権支持の底堅さを説明しているようでありながら、実はその支持が「条件付き」で、生活の保障がなくなれば支持も離れることを示唆している。実際に、ソ連政権は「社会契約」を維持できなくなり、そのことが体制の崩壊へと至る要因の1つになったとされる。プーチン政権と国民の「社会契約」は戦時下においても辛うじて存続しているようだが、それは極めて危ういバランスの上に成り立っている。

網谷 龍介 中立・自律的機関にこそ党派バランスの基礎が必要

網谷 龍介

津田塾大学学芸学部教授

 民主政において、党派の存在は不可避である。それが複数存在することで民意の多元性が表出され、その一部が交代しつつ統治の中核を担うことが政治の動きを生む。その一方で、党派間対抗から距離をおくことが期待される組織・制度もある。そのような組織の運営は難しい。民意反映機関との距離が近すぎれば自律性は損なわれ、遠すぎれば民主的正統性が損なわれる。
 立法府の判断を修正する裁判機関もその1つである。ドイツでは、連邦憲法裁判所裁判官を議会(上・下院が半数ずつ)の2/3多数によって選出する法律上の規定に基づき、議会諸党派は事実上の推薦権を比例配分して左右バランスを維持することに合意している。論争的問題にも踏み込むため個別の判断への批判はあるが、同裁判所は高い国民的支持と権威を保ってきた。政治的妥協に基づく広い合意の上に立つからこそ、自律性確保が可能だったのである。しかし急進右翼「ドイツのための選択肢」の勢力拡大は憲法裁判所の自律性への懸念を高め、憲法改正を伴う安定化諸措置が近時採られた。少なからぬ国で高位裁判官の任命が政治的に紛糾する中、ドイツも新たな挑戦に直面している。
 この事例に限らず、自律的機関の運営は揺れ動いている。特定の勢力が政府権力を大胆に行使して自律的機関の方針をげようとする例も多い。しかしアウトサイダー的党派・政治家の進出や党派的分極化への対応として、無色透明の意味での中立性を希求することは逆効果である。ポピュリズムとテクノクラシーが表裏一体であることはつとに指摘されている。党派性は民主政の根幹であり、党派バランスの上に自律性を担保するための方策を追求することが重要である。

井垣 勉 分断する世界で求められる企業のリーダーシップ

井垣 勉

オムロン株式会社執行役員常務 グローバルコーポレートコミュニケーション&エンゲージメント本部長兼サステナビリティ推進担当

 世界のいたるところでイデオロギーの対立が顕在化し、分断が加速している。権威主義的な勢力は自身の利益や主義主張を一方的に訴え、国際社会の協調を土台とした枠組みは弱体化の脅威にさらされている。安定した世界秩序を前提としたグローバル経済は見直しを迫られ、地政学リスクがわれわれの日常生活や経済活動に暗い影を落とす。
 分断する世界の中で、グローバルにビジネスを展開する企業は「ステークホルダー間の信条や価値観の対立」という新たな課題に直面している。多様なステークホルダーに対しては、画一的な対応や統一的なメッセージは通用しない。これからの経営には、ステークホルダーが属する地域や文化的な背景などに配慮したきめ細かな個別対応が求められる。そして、グローバル企業は、ブロック化する経済圏と多様な価値観を内包した「ローカルなビジネスとステークホルダーの集合体」へと変貌していくと思慮する。
 多様なステークホルダーと企業をつなぎ留める求心力となるのが、その企業が掲げる「理念」である。なぜならば、企業理念への強い共感と共鳴が、ステークホルダーと企業を結び付ける共通の価値観となって、分断や対立を乗り越える原動力となるからだ。そして、企業理念の実践を通じて、企業とステークホルダーがともに目指す世界観が「ビジョン」となる。
 混迷を深める不透明な時代だからこそ、私たち企業人は今一度「企業理念」に立ち返り、「ビジョン」を旗頭とした断固たる行動を取らなければならない。企業には今、そのリーダーシップを発揮することが求められている。

五十嵐 立青 不登校児童生徒支援―つくば市の取り組みと今後の展望

五十嵐 立青

つくば市長

 10月末に文科省が発表した2023年度の小・中学校における不登校児童生徒数は、11年連続で増加し過去最多となった。近代公教育が始まってから150年以上が経つ今、「公教育」の在り方が問われていると感じている。また、より憂慮すべきは、不登校児童生徒全体の4割弱が「学校内外での相談・支援につながれていない」ことだ。
 つくば市では相談・支援の選択肢を増やすため、「公設フリースクールの設置」「市内全小中学校への校内フリースクールの設置・専任人材の配置」「民間フリースクールの利用者・事業者への助成」「スクールカウンセラー・スクールソーシャルワーカーなど専門人材の拡充」など、市独自の様々な施策を展開することで、児童生徒数が増えているにもかかわらず、2023年度の不登校児童生徒数・割合はそれぞれ減少に転じた。これらの取り組みは他自治体からも参考にしたいとお声がけいただき、多くの視察をお受けしている。
 これらの施策を継続するため、2024年度の不登校児童生徒支援関連予算は市の単独予算として5億円以上を確保した。一方、国の予算を見てみると、「いじめ・不登校対策関連」の予算は88億円程度と、あまりにも脆弱な状況だ。「子どもの権利条約」でも、すべての子どもが平等に教育を受ける権利が保障されているが、不登校児童生徒支援に関しては各自治体が独自予算で個別に対応しているのが現状だ。この課題については、他自治体の首長とも連携しながら、国への支援拡充を粘り強く働き掛けている。
 つくば市では2020年に「1人ひとりが幸せな人生を送ること」を最上位目標とする教育大綱を策定した。不登校の要因は様々あり、調査によっても違いがある中で、行政としては「相談・支援の選択肢」をより多く用意することが、「子どもの学び」、ひいては「幸せな人生」につながるものだと考える。
 今後も、児童生徒や保護者はもちろん、子どもを支援するすべての人とともに、つくば市全体で「子どもの学び」を創っていきたいと思う。

池本 大輔 トランプ2.0時代に、日本は国際秩序のために何ができるか

池本 大輔

明治学院大学法学部教授

 2025年1月、トランプがアメリカ大統領の座に復帰した。移民やLGBTに関する彼の姿勢については意見が真っ二つに分かれるところであり、再び大統領になったトランプがどのような政策を実行するかは、まだ不明確なところも多い。しかし、長らくアメリカ外交の基軸であった多国間主義に背を向け、「アメリカ第一主義」を標榜ひょうぼうする政権の下で、既に動揺しているリベラル国際秩序(ルールにもとづく国際秩序)がさらに揺らぐことは、間違いないだろう。
 もちろん、リベラル国際秩序は完全無欠にはほど遠いし、それを揺るがすのはトランプに代表されるポピュリズムだけではない。中国・ロシア等の権威主義諸国による挑戦に加え、欧米諸国がリベラル国際秩序の推進を標榜しつつ、ルールをしばしば恣意しい的に適用したことが、その信用失墜に一役買ったのは否定できない。国際関係には常にパワー・ポリティクスの側面があるのも、また事実である。しかし、国際社会のルールが建前としてさえ顧みられなくなれば、弱肉強食の世界へと堕してしまう。限定的な軍事力しかもたず、資源・食料の確保のために貿易に依存せざるを得ない日本にとって、事態はとりわけ深刻である。
 日本にとってアメリカとの関係が引き続き重要であることは言うまでもないが、理不尽な要求を拒否するためにも、ルールにもとづく国際秩序の重要性を粘り強く訴え続ける必要がある。EU(ルールにもとづく存在であり、ルール抜きでは存続し得ない)やイギリスのような先進国だけでなく、大国の横暴を恐れるグローバル・サウスの国々との協力も、より一層深める必要があるだろう。日本の外交力が今まさに試されている。

伊藤 亜聖 「偉大なる」時代の着地点

伊藤 亜聖

東京大学社会科学研究所准教授

 北京から高名な学者が本郷に来て講演した。タイトルは「偉大なるキャッチアップ」である。ケネス・ポメランツの『大分岐』(Great Divergence)、それに対するリチャード・ボールドウィンによる『大収斂』(Great Convergence)を踏まえたものである。中華人民共和国の建国100周年となる2049年までに強国化を果たすことを、その先生は「偉大なるキャッチアップ」と呼んだ。中国共産党、そして習近平政権の長期目標である。
 宴の席になり、唐揚げをつまむ先生に、私は心の中の疑問をぶつけた。「中国は技術大国化しました。もう十分にキャッチアップしたんじゃないですか?」。国内の不均衡はあるものの、主要都市の生活水準はすでに先進国を抜き去りつつある。むしろ、あと25年走り続けることを人々に求めるのは酷だと思う。中国はポストキャッチアップの時代に入り始めた。成熟、寛容、平穏、保障、これらに目を向けるべきだ、というつもりだった。私の頭にあったのは平田オリザさんの『下り坂をそろそろと下る』である。
 もちろん、先生には伝わらなかった。改革開放時代を担ってきた、いわば『坂の上の雲』世代に他ならないからだ。そして先生は今月、一線を引くらしい。改革開放という時代は実に「偉大」だった。人類史上最大規模の高度成長期を一部でも目撃できた私のような研究者は幸運だった。今後、中国のミクロな革新は続く一方、マクロ経済の鈍化も不可避である。次は「インド太平洋の奇跡」が幕開けるのだろうか。しかし地球は偉大でも奇跡でもない着地点を求めている。次の世代の大仕事は、「偉大なる」時代が極東の着弾点に向かわぬようすることだろう。大国の静かなる着地はいかに可能だろうか。

伊藤 さゆり トランプ2.0とどう向き合うか

伊藤 さゆり

株式会社ニッセイ基礎研究所経済研究部常務理事

 トランプ2.0が始動する2025年、グローバル化の逆回転、グローバル経済の断片化はさらに進むのだろう。
 トランプ2.0では、関税政策の矛先が、同盟国・同志国に向きやすくなっている。トランプ大統領が問題視する米国の貿易赤字は、トランプ1.0と比べて、日本はほぼ横ばいで、対中国では減少しているが、隣国のメキシコやベトナムなど東南アジア諸国、欧州連合(EU)向けは拡大しているためだ。
 関税を切り札として譲歩を迫るトランプ2.0に、EUは、関税の引き上げ合戦を回避するために交渉で妥協点を見いだそうというスタンスで向き合おうとしている。安全保障面での同盟の重要性と欧州企業にとっての米国市場の重みを思えば、まずは交渉が選択肢となることは当然だろう。しかし、デンマークの自治領グリーンランドやパナマ運河の獲得のために関税などの経済措置ばかりでなく、軍事行動をとる可能性も排除しないと述べるなど、トランプ2.0の要求は際限なく広がる兆候を示している。対立は回避すべきだが、交渉だけでは問題は解決しそうにない
 トランプ2.0に向き合うために力を入れるべきことは3つある。第1に同盟国・同志国間での連携を通じて米国に対する交渉力を高めること。第2にルールに基づく自由貿易を支持するグローバルサウスの国々との関係を強化すること。トランプ2.0の政策から派生するリスクを軽減することにつながる。第3に、トランプ2.0を、国内の構造問題解決の好機とし、自由な貿易や自由な資本移動による恩恵を享受できる体制の強化に動くことだ。

伊藤 由希子 「質を問わない医療」に終止符を

伊藤 由希子

津田塾大学総合政策学部教授

 私たちは、経済活動のうち約11%を、保健医療支出に充てている(OECD Health Statistics 2024より、2021年度実績値)。ただし、公的保険料として支出する割合が高く、サービスの多くに保険が適用され、自己負担額に上限がある。さらに、思い立った時にサービスが受けられるというアクセスの良さから、その中身の質や実際のコストを問うことはほとんどない。
 消費者が「質を問わない」結果、医療行為の公定単価である診療報酬を算定するには、事実上、提供者(医療機関等)の経営が成り立つ水準かどうか、が最大の決め手となっている。原材料費や人件費水準の上昇など、民間事業者が「経営が苦しい」と声を上げれば、それが免罪符となり、診療報酬改定の大枠が政治決着する。
 問題は、そこではサービスの「質が問われない」ことだ。もし、治療効果の高いサービスに高い報酬が設定されれば、そのサービスの普及につながる。もし、経営ガバナンスが不全な医療機関に対し、保険医療機関としての役割を制限することができれば、公的な資金を公正に配分することができる。
 質を問うにはどうするか。必要なのは、まず「治療」のデータだ。個人の医療の履歴が、一元化されたIDでひもづき、個人の属性と、治療を受ける「前」と「後」が比較できるデータを用いれば、その差分、つまり治療の効果を適切に評価できる。そのためには、マイナンバーのベースインフラの安全な活用を急がねばならない。
 「提供者側」のデータも必要だ。まずは保険医療機関としての経営ガバナンスが機能しているかという最低限のラインを検証できること、次に、提供しているサービスの質がはっきりすることが必要だ。「個人」のデータから、医療機関等の単位で集計・分析できるようになれば、それも可能だ。
 保健医療サービスの質を問うことのできるデータの収集、公表は、財政上のワイズ・スペンディング、消費者の健康面の安全、提供者の適切な評価とサービスの向上に資する。機能するには制度やデータ利用の壁はまだある。しかし、まずは「質を問わない医療」を過去のものとすることが重要だ。

井上 哲浩 情報過負荷下での受動的情報処理に向けた戦略構築と意思決定

井上 哲浩

慶応義塾大学大学院経営管理研究科教授

 近年、これまでの経験則から理解に注意を要する意思決定が増加現象にある、と思うのは筆者のみではないだろう。意思決定の方略は、ヒューリスティックスとよばれ、50年以上の研究の蓄積がある。主要なものには、ある評価軸の負の側面が別の評価軸の正の側面により補償されるか補償されないか、複数の評価軸が同時に処理されるか逐次的に処理されるかなど、意思決定ヒューリスティックスを類型化する基準は多いが、本稿では、能動的に処理するか受動的に処理するかに注目し、この注意を要する現象にふれてみたい。
 日々、われわれが処理する情報量は、過去30年間で劇的に増加している。ヒトとしての情報処理能力の向上の歴史経緯とは比較にならない速度であり、確実に、情報過負荷下にある。その結果、不確実性が高まり不偏な帰結に拠ることができず同質的な評価を行う傾向にあり、リスクを合理的に評価できないため知覚リスクの認識の程度が低下する傾向にある(注1)。一方で、情報過負荷により内部情報は限定的なため外部情報に拠らざるをえないが、主要な外部情報源としてのメディアに対する態度や姿勢は、過負荷ゆえに自己非関連性が高まり、浅い情報処理となり二極化(好き~嫌い)する傾向にある(注2)。そして、情報過負荷下において、フィルタリングされた情報を受動的に処理したならば、浅い情報処理はさらに浅くなり、二極化はさらに顕著となり極化は加速される。
 この構造をマーケティング戦略に悪用することなくマーケターが戦略構築し、他方、ヒトとして自律した意思決定を人が行うことが肝要であろう。

(注1)不確実性下における深い情報処理では、既知の分布を所与とし期待値のような不偏量を推計し意思決定し、リスク下における深い情報処理では、リスクに対する分布を形成しリスクの期待値を推計しリスクを知覚し意思決定する。
(注2)情報過負荷でなければ、内部情報で処理できる可能性もあり、また対メディア自己関連性があるため中心的処理が行われ態度に関する双峰ではない分布が形成される。

今井 貴子 中道左派政権は責任と応答のジレンマを乗り越えられるか

今井 貴子

成蹊大学法学部教授

 世界的な選挙イヤーとなった2024年、ヨーロッパでとりわけ目を引いたのは、主要政党の衰退と、排外主義的な極右政党のますますの台頭である。英国では、7月に14年ぶりの政権交代がおきたが、ここでもやはり二大政党の衰微と極右政党リフォームUKの勢いがきわだった。保守党は、失政とスキャンダルから信頼を失い政権から引きずり下ろされた。労働党は、総議席数の63%もの大量議席を獲得したものの、得票率は単独政権としては歴代最低、投票率も普通選挙制導入以来2番目の低さであった。11月に支持率が23%まで急落したスターマー首相を飛び越えて、トップに躍り出たのはリフォームUKの党首ファラージである。
 英国にかぎらず政権政党には、責任性と応答性の間のジレンマがつきまとう。スターマーは、責任ある統治者として国民に認められるべく、財源再建を約束しつつ公共サービスへの投資拡充を目指す一方、極右への離反者に応答性を示すため、対移民・難民強硬策を打ち出す。だが今のところいずれも裏目に出ている。巨額の財政赤字を念頭に断行した増税策は、狙い撃ちされた富裕層、自営農業者、経営者から集中砲火をあびた。対移民強硬姿勢にしても、反移民を独壇場とするファラージをかえって勢いづかせてしまっている。多元主義や気候危機対策での後退は、都市部のリベラル層の離反をまねいている。既存の研究によれば、中道左派の支持拡大に有効なのは社会文化的な保守化ではなく、平等主義といった本来のスタンスへの回帰である。極右政党支持の1つの動機が人びとのステータス不安だとするなら、生活保障の立て直しから、包摂的なアイデンティティを生み出すことができるかが問われる。財政危機、生活保障の不全はもとより、移民問題も、労働力人口が急減する日本がいずれ直面する課題である。わがこととして、英国の中道左派政権の動向に注目したい。

岩崎 茜 サイエンス・コミュニケーションがますます重要に

岩崎 茜

サイエンス・コミュニケーター/東京大学大学院農学生命科学研究科助教

 サイエンス・コミュニケーターとして科学と社会との間をつなぐ仕事に取り組んでおり、その間にあるギャップを垣間見る機会が多い。ギャップの大きな要因の1つは、人々は科学に「答え」を求めがちである一方、科学では明確に答えられないことも多く、科学が何らかの「決定」をできるものではないことだろう。
 コロナ禍でもそのギャップが顕著にあらわれた。経済対策なのか、感染症対策なのか、社会はその解を専門家に求める傾向にあったが、社会がどうあるべきかを科学が決めることはできない。専門家としてコロナ対策にあたった尾身茂氏は「どんな社会で生きていきたいかは、皆さんと話し合って決めることだと思っています」と、社会との積極的な対話を試みたが、「科学で決められなければ、何で決めるんですか?」などの批判を浴びた(注)。ワクチンを打つべきかも同様だ。どうすればいいか決めてほしいという声もあったが、最終的には本人が判断するものだ。
 科学が絡むと複雑で難しく感じられ、専門家の言うことに従いたい気持ちはよくわかる。だが、科学は判断材料を提供したり、選択肢を示したりすることはできても、自分や社会がどうありたいかの判断は、自分自身や社会が下すものである。そして、その決断を納得できるものとするためにサイエンス・コミュニケーターが役割を果たすのだと思っている。ただ科学をわかりやすく伝えるだけでなく、科学が関わる事象を社会とともに考え、個々人や社会の判断を手助けする。
 あらゆる分野で対話が重要と言われて久しいが、複雑化する社会の中で、みずから考え、納得できる判断を下せるよう、サイエンスのコミュニケーションもますます重要だと考えている。

岩下 直行 暗号資産による社会秩序の崩壊を防げ

岩下 直行

京都大学公共政策大学院教授

 ビットコイン相場が10万ドルを超え、全世界の暗号資産の時価総額は600兆円近く、日本のGDPに匹敵する規模に達した。しかし、街中でビットコインによる決済を見かけることはなく、その技術的基盤であるブロックチェーンも、暗号資産周辺以外ではほとんど活用されていない。暗号資産は生活を改善するどころか、むしろ犯罪の温床となり、社会的な不利益をもたらしている。
 まず、暗号資産交換業者が世界中で標的にされている。日本でも2024年に480億円が不正流出する事件が発生したが、同様の盗難が世界中で頻発している。これらの事件で犯人が捕まることはほとんどない。
 また、暗号資産の匿名性は犯罪を助長している。近年深刻化しているランサムウェアも、匿名送金が可能でなければ成立しない犯罪である。フィッシング詐欺などで盗まれた資金は、しばしば暗号資産を用いてマネーロンダリングされることで、犯罪捜査を難航させている。脱税やテロ資金供与にも多用され、法の網をかいくぐる手段となっている。
 さらに、地球環境への悪影響も深刻だ。ビットコインのマイニングには、タイやポーランド規模の国家に匹敵する電力が費やされ、無意味な計算のために膨大な資源が浪費されている。
 暗号資産の値上がりによって利益を得た一部の人々はよいだろう。しかし、社会全体の秩序を維持する視点から考えた場合、暗号資産がもたらした社会的損失は計り知れない。その現実を直視し、未来を守るため、暗号資産に対する適切な規制と対策を講じることが必要だ。

岩本 康志 「手取りを増やす」ことでは豊かになれない

岩本 康志

東京大学大学院経済学研究科教授

 2024年10月の衆議院選挙で「手取りを増やす。」ことを公約に掲げた国民民主党は、大幅に議席を伸ばした。所得税の基礎控除を拡大して、課税最低限103万円を178万円に引き上げることで納税者のすべてが減税となって、手取りは増える算段である。103万円の壁には就労抑制の課題もあったが、もっとも障壁となる扶養控除に触れていなかったため、減税目的の公約だった。
 自然増収を財源としているが、これは自然増収を基礎的財政収支の黒字化のために充てるという従来の財政運営を否定するものであって、負担を将来に先送りする。小渕政権での地域振興券、麻生政権での定額給付金からはじまり、これまで政治的支持を得るための定額給付金、定額減税等が何度か実施されてきており、国民民主党の公約もその一種である。
 しかし、国民が豊かになるために必要なことは政府支出の効率化や経済成長の促進である。このため単に現金をばらまくことでは豊かさにはつながらず、当初は抵抗もあったものの、類似の政策が繰り返されるうちに政治家も国民も現金のばらまきへの抵抗が薄れてしまった。そして現在、日本人が豊かさを感じられない状況から生まれる不満をなだめるために減税が取り沙汰される。しかし、豊かになるという根本的な希望が実現されないままでは、一時的に不満を抑えるだけにとどまる。定額給付金が財政収支に与える影響は一時的であるが、課税最低限を引き上げる減税の影響は恒久的である。どちらも政治的支持を得るための政府の出血サービスであるが、止血のできない恒久的減税での出血は問題が深刻であることを認識すべきである。

犬童 周作 地方創生の鍵は「地域の拠点としての郵便局の活用」

犬童 周作

全国郵便局長会相談役

 地方創生と言われて久しく、本格的な取り組み(2014年まち・ひと・しごと創生法施行)が開始されてから10年が経過した。
 地域によっては、人口減少対策の切り札であるデジタルの活用も見られつつあるものの、依然として、日常生活のサービスの維持(移動、買い物、医療・介護福祉等)のほか、農業等の第1次産業や地場産業などの後継者不足への対応など、離島をはじめ、地域を支える基盤の強化が求められている。
 従来の取り組みを見ると、自治体も、デジタルに精通する大企業やコンサルティング会社等に頼らざるを得ない面もあり、地域住民の参画をうまく取り込めておらず、実証的な取り組みに止まり、サービスの継続性といった課題が存在している。
 人口増加局面では地域でも分業が成り立つが、人口減少局面では地域の住民による分業から協業へ、分野横断的な取り組みを行うことが重要である。デジタルはデータの共有を通じ、分野横断的な取り組みを行うために最適なツールであり、その積極的な活用を可能とする体制を整備する必要がある。
 そのためには、地域で行政支所等の廃止、農協の撤退、銀行支店の統廃合、ガソリンスタンドの廃止など、さまざまな拠点が縮小する中、今もなお、地域住民に信頼され、全国津々浦々に維持されている郵便局ネットワークの活用が不可欠である。
 現在、郵便局は行政手続きの代行、駅と郵便局の一体化、農業との連携、オンライン診療や郵便車両を活用したライドシェアの実証など、郵政三事業だけでなく、地域のさまざまな活動を支える拠点としての価値が高まっている。
 地域を支える拠点として、郵便局に地域の諸活動を集約していくことがこれからの地方創生の鍵ではないかと考える。

上田 健介 国会運営のあり方の見直しを

上田 健介

上智大学法学部教授

 国会は、2024年10月の衆議院議員総選挙の結果、少数与党による運営という1994年以来の局面に入った。政府にとっては野党の支持がなければ予算も法律も成立しない厳しい状況であるが、憲政の観点からは国会運営のあり方を見直すチャンスでもある。
 従来、法案審査に関しては、内閣提出法案の提出前に与党と政府の間で実質的な法案の検討を終わらせる方法(いわゆる事前審査制)がとられてきた。与党は2024年12月の臨時国会前に一部野党との間で政策協議を進めたが、これも事前審査制の派生形といえ、憲政の筋論からいえば国会での法案審査を充実させることが望ましい。しかし、野党も複数ある中で法案成立への交渉と妥協を国会のどこでどのように行うのかは大問題である。審議の実質化のために法案審査の回数・時間や議員の発言順序・時間のあり方を見直したり交渉と妥協の場として委員会の一部を非公開としたりすることが考えられる。
 他方、政府統制(行政監視)機能の強化も課題である。ここではスキャンダルの追及につい目が向くが、国政上の重要政策の検証・検討を国会として行うことも重要である。テーマを決めて資料収集やヒアリングを丁寧に行い報告書としてまとめる制度の導入も考えられる。
 これらの見直しは、本会議・委員会の審議時間の増加を要する。その方策として、思い切って、法案審査と行政監視を行う委員会を分けたり、本会議と委員会を同時並行で行ったりすることも考えられる。しかし、このような改革は、1つの委員会が原則として所管省庁の法案審査と行政監視のすべてを担当する仕組みや、本会議には議員全員が出席すべきという考え方など、国会運営を長年にわたり規定してきたあり方に触れるので、相当な困難を伴う。しかし、政党システムが変化する可能性がある状況で、議会制民主主義に対する国民の信頼を取り戻すためにも、党派を超えて取り組むに値する課題である。

上田 祐司 社会の分断とDAO(自律分散型組織)の可能性

上田 祐司

株式会社ガイアックス代表執行役社長/一般社団法人シェアリングエコノミー協会代表理事

 現代においては、分断が大きな問題を引き起こしている。
 その根本原因は、資本の集中である。多くの人が日々労働により稼いでいる一方、資本家との貧富の差は広がるばかりである。
 DAOは、ここに大きな変化をもたらすことができる。
 DAOでは、大株主は存在せず、関係者全員が資本を所有する。
 投資家だけでなく、労働者や取引先、また利用者ですら資本の一部を所有できるのが当たり前だ。
 また、リーダーや経営陣を選定することもない。完全に透明性のある中で、仕組みやプログラムにより運営される。
 加えて、必要となる業務もDAOのメンバーの合意のもと常にリストアップされており、みんなが少しずつ労働をするのだ。
 現代社会において、
1人の日本人は、いくつの会社の株式を所有しているか?おそらく0社か、数社程度だろう。
 いくつの会社に労働を提供しているか?一昔前は、1社だけが普通だったが、副業やシェアリングエコノミーの普及で、多くの人が数社から数十社に、と、急拡大している。
 そして、使っているサービスとしての数は?おそらく1年だけでも1,000社、人生では1万社は下らないだろう。
 DAOが普及した暁には、1人の日本人が、数百のサービスに労働を提供し、数千のサービスの資本を所有している社会になるのだ。
 シロクロではなく、そこら中がグラデーションで作られている社会なのだ。
 現代社会においては、時間がたつに連れ、土地はコンクリートで固められ、境界の塀が整備され、分断が進んでいく。こんなシステムは間違っている。
 本来は、時間がたつに連れ、整備済みの土地が、ミミズがはいずりまわり、鳥たちが飛び回り、根が入り込んできて、境目がなくなっていくべきなのだ。
 このようなシステムのほうが強靭きょうじんである。

潮 俊光 AIを使いこなして新しいサービスを開発するためには

潮 俊光

南山大学理工学部教授

 かつてテレビの黎明期に一億総白痴化を危惧する評論家がいた。そして今、そうなったであろうか?昭和と令和の人間の想像力・思考力の質の違いを研究すべき時代が来たように思う。そしてその研究が今のAI論議に重要な指針を与えるであろう。2023年になって、生成AI・大規模言語モデルが色々な分野に応用されるようになり、関連研究が急速に増えてきたが、反面、その弱点を指摘する研究も出てきている。この熱狂的なブームが一段落すれば、AIの導入で効率化が進むサービスと専門性の高い人でないとできないサービスとが明確になり、後者のサービスに従事できる人材がより多くいる企業・国が繁栄する時代になるであろう。今、そのような人材を育てるための教育カリキュラムの検討が必要である。
 では、後者のサービスに従事する人に備えるべき資質は何であろうか。それは想像力であり思考力に他ならない。様々な知識とそこから推論される結論はAIに任せてしまえばよい。今後、社会生活を変貌させるようなサービスの開発では、将来を見据えたビジョンとそれを達成するためのフィロソフィーをもって取り組む必要がある。その基礎は想像力と思考力であり、適切なアドバイスを提供するのがAIの役割になる。つまり、これからの教育では、知識獲得が重要であることには変わりないが、しっかりとしたビジョンとフィロソフィーを作り出せる想像力と思考力を養うことがより重要になるであろう。
 教育効果が出てくるには10年、20年かかる。最近、長期的視野に立った教育への関心が薄れているように思う。今こそ、20年後の繁栄を夢見て、教育カリキュラムを検討する時期に来ている。いや遅いくらいである。

江守 正多 日本のエネルギー政策に公平・公正の原則を

江守 正多

東京大学未来ビジョン研究センター教授

 深刻化する気候変動問題に対処するために、世界各国は国連気候変動枠組条約パリ協定の合意に基づき、人間活動による温室効果ガスの排出量実質ゼロを目指す脱炭素化に取り組んでいる。脱炭素化の核心は化石燃料から脱却するためのエネルギーシステムの変革である。
 日本でも約3年に1度、政府のエネルギー基本計画の改訂においてこの議論が行われる。その際に参照される原則は、「安全性」(Safety)、「安定供給」(Energy security)、「経済性」(Economic efficiency)、「環境」(Environment)からなる「S+3E」である。
 私はここに「公平・公正」(Equity & justice)を加えて「S+4E」を新たな原則にすることを提案したい。エネルギーの議論では、都市と地方、現在世代と将来世代、高所得者と低所得者等の異なる立場の間での、コスト・受益・リスク等の公平・公正な分配が重要な論点となる。これらを明示的に議論しなければ、隠れた論点としてくすぶり続けるか、不当に不利益を被る人々を生み、エネルギーシステムの移行を阻害する。
 原子力発電所の立地や放射性廃棄物処分の問題でこの視点が必要なのは言うまでもない。さらに、例えば近年問題化したメガソーラーの乱開発も、再エネ賦課金による家計の負担感も、制度設計時に「公平・公正」を明示的に議論することで緩和できていたかもしれない。
 原則を追加すると議論は従来よりも複雑になり、合意形成に時間がかかるかもしれない。しかし、隠れた不公平・不公正が後々に表面化して制度へのバックラッシュが起これば、その方が余計に時間を浪費するかもしれない。それに、声をあげられずに不当な不利益を被る社会的な弱者を減らすことには、時間に代えがたい意義がある。

逢坂 巌 戸別訪問解禁で政治コミュニケーションを健全に

逢坂 巌

駒澤大学法学部准教授

 2024年も政治コミュニケーションについて様々に考えさせられる年だった。まず、最悪のコミュニケーションと言える戦争が世界各地で継続・拡大した。ロシアのウクライナ侵略は継続、イスラエルはパレスチナのみならずレバノンやトルコなどまで砲撃した。東アジアでも中国が最大級の海軍の示威行為を台湾海峡で行い、北朝鮮はウクライナに軍を派遣した。欧州では第3次世界大戦の懸念も深刻に語られ始めた。一方、より平和的なコミュニケーションである選挙もロシア・インド・アメリカ・欧州議会など世界各国で行われ、世界では16億もの票が投じられた(注1)。昨年の世界の選挙の特徴としては、1)現職に厳しい選挙結果、2)右派ポピュリズムの根強さ、3)伝統と改革の分極化した戦い、4)国際的紛争による一定の影響などが指摘されている(注2)。「選挙イヤー」のバスに最終盤に飛び乗った日本でも、このような傾向は見られるが、米国のような極端な分極化は免れていると言えよう。しかし、衆議院補欠選挙での選挙演説妨害問題や東京都知事選挙でのポスター掲示問題など、選挙コミュニケーションの基盤を破壊するような事態が多々発生し、都知事選の石丸現象、自民党総裁選での高市氏と衆議院選挙の国民民主党の躍進、兵庫県知事選や名古屋市長選に見られる「本命候補」の落選など、インターネットなかでもSNSの力の増大が明らかになった。ネットを使って情報の受発信が自由にできるのは素晴らしいが、ネットばかりではヒトの肌感覚はわからない。世界の常識である戸別訪問を解禁し、ネットとリアルとコミュニケーションのバランスを恢復かいふくするべきである。2025年は選挙期間中の戸別訪問が禁止されてちょうど100年目。機は熟した。

(注1)International IDEA(2024) “The 2024 Global Elections Super-Cycle” ,最終閲覧日:2024年12月15日
(注2)Pew Research Center(2024) “Global Elections in 2024: What We Learned in a Year of Political Disruption”,最終閲覧日:2024年12月15日

大島 誠 カスハラ対策は『サービス』の本質を理解することから始まる

大島 誠

パナソニック コネクト株式会社エグセクティブ インダストリーストラテジスト

 最近、カスハラ(カスタマーハラスメント)が大きな課題となっており、小売業界やサービス業界で特に顕著である。背景には、顧客が「サービスされて当然」と考える風潮がある。店舗では「サービスして」と要求する顧客や、「1つサービスする」と対応する従業員が見られることが多い。このような状況は、サービスという言葉の日本独自の使われ方とも深く関連している。
 「サービス」という言葉は英語の"service"を元にしているが、日本では「おまけ」や「特典」を指す意味で用いられることが一般化している。この結果、「サービス=無料の付加価値」という認識が広まり、顧客はそれを当然視するようになった。さらに、日本の「おもてなし」文化が、商取引において期待以上の付加価値を提供することを理想とする風潮を形成し、「無料のおまけ」が当たり前と感じられる土壌を生んでいる。
 特に競争の激しい業界では、顧客を引きつけるために過剰な「サービス」や「特典」を提供するケースが増えている。これが「サービスは顧客の権利」という誤解を生み、「もっとサービスしろ」といった過剰な要求や、小さな不満が大きなクレームに発展する事態を招いている。このような状況では、企業が自らカスハラを助長している一面がある。
 こうした現状を踏まえ、今こそ「サービス」の本質を見直す必要がある。サービス内容を明確化し、「無料が当たり前ではない」ことを顧客に伝えるとともに、従業員が無理な要求を拒否できる仕組みを整えるべきである。また、サービスの適切なあり方や顧客の望ましい態度について啓発する取り組みも重要ではないだろうか。

太田 肇 ジョブ型雇用はVUCA時代に生き残るか

太田 肇

同志社大学政策学部教授

 デジタル化とグローバル化の急速な進行、そしてコロナ禍の到来により伝統的なメンバーシップ型雇用の限界が露呈された。そこでいっせいに唱えられているのが、欧米式のジョブ型雇用への移行だ。しかし、そこには大きな問題が横たわっている。
 1つは、ジョブ型が日本企業、日本社会の現状にマッチしないことである。解雇権が厳しく制限されている日本企業では、社員に対しジョブの継続より雇用の維持を優先せざるを得ない。またジョブ型の導入にともなって発生する社内の賃金格差拡大を、従業員や企業別労働組合がどれだけ容認できるか疑問である。未熟練の新卒者をどこが、どのように育成するかという問題も残る。
 そして、より本質的な問題は、ジョブ型が経営環境の変化に適応する柔軟性に欠けるという点である。ジョブ型雇用は産業革命後の少品種大量生産の時代に形成されたものだが、VUCAの時代といわれる今日、技術的・社会的な環境の変化は激しくなっている。したがって個人のジョブを具体的に定義し、契約するという働き方は非効率である。
 一方、シリコンバレーや中国・台湾などでは、企業に雇用されているか否かにかかわらず、半ば自営業のようにまとまった仕事をこなす「自営型」の働き方が広がりつつある。わが国でもコロナ禍以降、業務委託などで働くフリーランスが急増し、企業のなかでもITを活用しながら「ジョブ」を超える範囲の仕事を処理する社員が増えている。直面する労働力不足への対策や労働生産性の向上を図るため、官民が一体となって自営型就業の普及を促進すべきである。

大田 弘子 世代間対立を前面に出して経済構造改革を

大田 弘子

政策研究大学院大学学長

 日本経済の大きな問題は、外部環境の変化に応じた構造変革が非常に遅いということだ。利害関係者の調整に膨大な時間がかかり、省庁間の縦割りの壁にも阻まれて、税制改革も社会保障制度改革も規制改革も容易に進まない。世界も日本も経済の枠組みが転換しつつあるいま、「変われない日本」のままでは、地盤沈下せざるを得ない。
 構造改革がむずかしい最大の理由は、常に選挙の可能性があることだろう。選挙を考えれば、反対の強い構造改革は行いにくい。加えて、日本では、経済政策に関して与党と野党にさほど大きな違いがない。どちらも成長より分配を重視し、歳出拡大に積極的だ。政権交代が起こったところで、経済政策の基本的方向に変化はない。
 この状況下で、中長期的に避けて通れない構造改革を進めるにはどうしたらいいのだろうか。
 ひとつの方法は、世代間の対立をあえて前面に出す政策決定プロセスを導入してみることではないか。以前から参議院を年齢別選挙区にするという妙案が出されているが、参議院の改革は気が遠くなるほどむずかしい。とすれば、重要な政策決定の場で、世代間の政策選択の違いを常に意識させられるような仕組みをつくることが必要ではないか。例えば、政策ごとに10年後の影響を常に提示させる方法でも、世代ごとの世論調査をそのつど簡便に行う手法でもよい。対立軸を明確にして、議論を起こす仕組みが必要である。
 かつて小泉純一郎総理が官邸主導を打ち出し、経済財政諮問会議を舞台として構造改革を進めたとき、明らかに政策決定プロセスは変わった。それからもう20年以上がたつ。ここでもう一度政策が決まるプロセスに革新を起こしてみることはできないだろうか。

太田 泰彦 無法地帯では仲間をつくった者が生き残る

太田 泰彦

日本経済新聞編集委員

 米国のトランプ大統領に、腹を割って語り合える友人はいるだろか。中国の習近平国家主席と忌憚きたんなく意見を交わせる同志はいるのだろうか。
 独りよがりの指導者が幅を利かせる時代が続くだろう。2つの大国に挟まれて世界が右往左往している。とりわけ米国の同盟国であり中国の隣国でもある日本は、知恵を絞って動かないと、きな臭い時代の波に飲み込まれてしまう。
 故人となった安倍晋三元首相は、トランプ氏と個人的な関係をつくった。友人と呼べるほどの仲ではないにしても、トランプ氏に意見を聞いてもらうことはできた。安倍氏が生きていたらよかったのにとぼやく声を聞くが、何だかよくわからない人間関係を頼みの綱にするのが日本の外交のあるべき姿だろうか。
 第1次トランプ政権は、安全保障を理由に鉄鋼やアルミニウムに法外な関税をかけ、日本も標的にされた。通商の国際ルールが通じない無法地帯ができ、暴挙に対抗する政策手段は日本にはなかった。
 長いものに巻かれるような外交を、いつまでも続けるわけにはいかない。中国との関係でも同じことがいえるだろう。超大国に対して大きな声を出したければ、日本が1人で叫ぶのではなく仲間を集めて声を合わせて合唱するしかない。
 貿易や投資に関しては、局面に応じて欧州連合(EU)と戦略的に手を組むことが今まで以上に必要になるだろう。そして何よりも、他のアジアの国々との連携が欠かせない。
 もし日本に大国意識が残っているとしたら、さっさと捨てた方がいい。企業も政府も上から目線で新興国・途上国と付き合うのではなく、日本が東南アジア諸国連合(ASEAN)に入れてもらうくらいの気持ちで自画像を描くべきではないだろうか。

大野 敬太郎 日本の経済安定成長に必要なこと

大野 敬太郎

衆議院議員

 国際秩序の劣化が甚だしい。権威主義的な国家やアクターによる軍事的な衝突や威圧だけなく、貿易制限などによる経済的な威圧や、サイバー空間上での偽情報等による扇動や混乱など、ルールを基調とする民主主義国家の脆弱ぜいじゃく性を突く手段が横行し、経済政策を考える上での地政学的なリスクが高まっている。
 だからこそ経済安全保障を高める取り組みは必須だ。経済安全保障の最大の武器は、経済力自体を最大化することだ。その上で、国益を最大化する規制と自由のバランスだ。日本は自由貿易を維持発展させる理念を打ち立てている。規制は最小限とし、極力インセンティブ制度とし、自由を最大化する。
 日本経済を俯瞰ふかんすれば、最大の課題は生産力の向上だ。経済政策として本格的に供給サイドにシフトし、産業政策を強力に進める必要がある。海外に向かっている投資を国内に向けるため政府も同調して投資を拡大していくべきだ。需要不足より供給制約が課題となっている時代だからこそ断行すべきだ。その際、地政学的リスクや経済的威圧リスクがある業種は、徹底的にサプライチェーン強靭きょうじん化を国際協調して行うと同時に、官民連携して貿易投資管理の合理化などの経済安全保障施策を断行していきたい。安心と安全が担保されないマーケットに投資は集まらない。
 経済安全保障上の安心と安全を担う主体は民間企業や研究機関だ。NSSや外務省・防衛省など政府が主体であった伝統的国家安全保障とはここが決定的に異なる。官民双方交えた国際協調も極めて重要な要素だ。従って、そのアウトラインを定める必要がある。ビジョンが共有できるよう、経済安全保障戦略(仮称)を定める努力を続けていく。

大場 昭義 経営資源の有効活用を進めよ

大場 昭義

一般社団法人日本投資顧問業協会会長

 今から10年ほど前に安倍政権は成長戦略の中心にコーポレートガバナンスの改善を据えた。長く苦しんできたデフレ脱却に主眼が置かれ、日本経済の再生を期待しての施策だった。その構想は岸田政権で資産運用立国として受け継がれた。資本主義社会では政府、行政、企業といった主体がそれぞれ重要な役割を担っているが、経済活動に決定的に重要なのが企業の存在だ。企業こそが価値を作り出す主体であり、政府と行政は企業活動を活発化させる条件を整備し、広く国民の厚生の増大を進める役割といえる。
 背景には厳しい現実がある。今や豊かさの指標ともいえる1人当たりGDPは世界で32位、IMDの世界競争力ランキングでは直近で34位まで低下と低迷が著しい。失われた30年といわれる現象は、企業活動が失われた30年と言い換えることもできる。事実、この30年で世界を代表する日本企業は減少し、世界の時価総額ランキング上位に日本企業は存在しない。わが国はお金の有効活用の指標ともいえる資本生産性、労働の有効活用の指標ともいえる労働生産性、ともに先進7カ国で底辺に位置する状態だ。企業経営の重要資源である資本と労働がうまく活用できない状態が続き、これが豊かさを阻んできた要因と考えられる。資産運用立国の一環として新たな積み立てNISAが整備されたが、資産形成を目指す若者の投資先は、残念ながら日本企業ではなくアメリカを中心とする海外企業に向かっている。
 資産運用立国でも中核を担うセンターピンは企業の価値創造力の向上にある。企業活動を活発化し、その成果を国民に還元するのが目的だ。そのためにも重要な経営資源であるお金と労働の有効活用は待ったなしといえよう。

大場 茂明 全ての市民にアフォーダブル住宅を

大場 茂明

大阪市立大学名誉教授

 住宅は土地を媒介に形成された特殊な財である。それゆえ、その市場圏は小規模でローカルなサブマーケットを構成しており、ある地域で需要が急増しても、供給がすぐには追いつけないなど、需給の不均衡に陥りやすい。また、財としての価格が高いことから、低所得者層、ひとり親世帯など、社会的に排除された人々に住宅問題がしわ寄せされる傾向にある。ハウジングとは「住宅を社会的に供給・管理していくシステム」を指すが、民間市場においては採算性が優先される一方、公営住宅の供給増は実現性に乏しいため、全ての社会階層の人々にアフォーダブル住宅(適正な負担で居住可能な良質の住宅)を保証することは容易ではない。
 今日の日本には世帯数を大きく上回る住宅が存在するものの、実需を反映しない投資対象となったり、老朽化等の理由で市場に乗せ得ない空き家が多数含まれていたりして、供給システムが有効に機能しているとは到底言いがたい。それゆえ、持ち家志向の単線型助成とセーフティーネットとの組み合わせからなる従来のデュアリスト・モデル型住宅政策を越えて、今こそ対人助成の拡充、具体的には住宅手当のような家賃補助制度の導入により賃貸住宅セクターの質的向上を追求するべきである。
 所得要件などを満たした有資格者が申請すれば必ず受給できるという点で、住宅手当は再配分政策として最も合目的性が高いものである。また、賃貸住宅経営の収益性とアフォーダビリティを同時に担保する手段としても家賃補助は有効である。それは、借家人に対する支援であるのみならず、零細家主の借家経営の安定化や優良ストックの維持にも寄与し、住宅事情の改善にも資することができよう。

岡崎 哲二 長期的・相互関連的な諸課題への対応と長期経済計画の役割

岡崎 哲二

明治学院大学経済学部教授

 今日、日本の経済社会は、経済成長の長期停滞、少子高齢化と人口減少、多額の財政赤字の持続と政府債務の累積、地方の過疎化、インフラストラクチャーの老朽化等、多くの深刻な課題に直面している。これらに共通するのは長期性と相互関連性である。
 これら諸課題に政府・政党は対応の努力をしてきたし、学界もさまざまな政策を提言してきた。しかし対応・提言の多くは個別的で短期的である。日本の政府組織は省庁縦割り的性格が強く、各省庁の政策は所管領域に限定される。政党は選挙を意識して、その時々、有権者にアピールする政策を推進する。近年、学界で活発に行われている政策研究は、多くの場合、特定の市場や産業を対象とし、対象外の部門との相互作用ないし一般均衡効果を視野に入れていない。
 こうした状況が、諸課題への対応を不十分なものとしていると考えられる。かつて日本では経済企画庁を事務局とする経済審議会が5-10年程度の視野を持つ長期経済計画を作成していた。長期経済計画には、各省庁・政治家の主張や利害の調整の産物という側面があるが、その検討と審議が、客観的なデータに基づいて調整に枠を与え、政策を整合化する機能をある程度持っていた。しかし長期経済計画は1999年を最後に作成されなくなった。これに代わった各内閣の「成長戦略」は、各省庁が提案する政策を編集した「政策集」の性格が強く、長期経済計画に対応する機能を持たない。
 日本が長期的・相互関連的な諸課題に直面している今日、かつて長期経済計画がその役割を担っていたように、日本の経済社会全体を視野に入れた長期的な経済の見通しを客観的なデータに基づいて描き、それと関連付けて諸政策を検討することが求められる。

岡野 寿彦 「つながり」「融合」の加速とデジタル戦略

岡野 寿彦

NTTデータ経営研究所グローバルビジネス推進センター主任研究員

 デジタル技術の進化の本質である「つながり」「融合」による競争地図の変化が、2024年も確実に進行した。特に、コネクテッドカーに代表される製造業領域でソフトウエア化、ネットワーク化が進み、デジタルイノベーションが先行した消費者サイドと一気通貫での価値創出が具体化している。これまで独立して機能してきた①プラットフォーム、②製品サプライチェーン、③金融システム、④デジタルインフラ(計算能力)が、AIを中核に接続性と相互依存性を高めていく。そして、組み合わせによる「スケール創出力」が競争優位の源泉となっていくだろう。
 技術の進化を展望するうえで、集中型と分散型との対比は有効である。Web3に代表される分散化技術の開発は進み、DAOなど自律分散型組織の実現も進むだろう。しかし、技術が「融合」しこれを生かすマネジメントが複雑化する中で、「決めて実行できる」「リソースを集められる」リーダーの役割とパワーはより強くなっていくと考える。国家レベルでは、世界のデータを集める力、ソフトウエア人材、実験環境づくりに秀でる米国、追随する中国に加えて、インドの優位性が持続的に高まっていくことを直視せざるを得ない。
 では、日本のデジタル戦略はどうあるべきか。私たちは技術進化による競争構造の変化を分析・展望する力、リアリティを、より高める必要があるのではないか。例えば車の電動化は、脱炭素のみならず、その本質は部品点数が削減されることによるソフトウエア化、ネットワーク化の加速にあり、さらに中国テック企業はIoT時代の汎用はんようOS開発の場としてもEV開発を位置づけている。IoT-OSを基盤としてスマホ、車と家などのシーン、都市インフラが「つながり」を強める世界への移行は、サプライチェーンの再編も促し、日本企業が得意な擦り合わせアーキテクチャーを生かせる競争戦略の現実解が求められる。日本では政府と企業が連携して、半導体への投資、SDV戦略策定、経済安全保障など取り組みを強化してきた。競争地図を展望して、戦略・政策の体系性を強めること、攻めと守りを「両立」することが、今後さらに重要になると考える。

奥村 裕一 読み書きそろばん探究心

奥村 裕一

一般社団法人オープンガバナンスネットワーク代表理事

 市民が主体となって社会課題に挑む「チャレンジオープンガバナンス」は、次世代の実践民主主義を試行する『永遠のベータ版』として9年になった。91自治体と430以上の市民・学生チームが参加し、地域課題を「自分ごと」として捉え実践し、ホセ・オルテガの「nobleman(自己を律し、他者を思いやり、社会の発展に寄与しようとする人)」(注)を志している。その際、「データ分析」「デザイン思考」「デジタル技術」という3つのDの活用を推奨してきた。
 データ分析は課題の現状を客観的に明らかにし、デザイン思考は人の行動や心理から課題の本質に迫り創造的な解決策を導く。デジタル技術は、思考プロセスの効率化や革新的アイデアでこれを補完する。
 この経験から、良いアイデアには「探究心」と「熟議の力」が重要だと感じている。例えば「里親チーム」は里子と里親の支援で探究心を発揮し、「なぜ?」を繰り返しつつ子どもたちの本音を理解し、熟議を通じて意見を磨きあい、支援体制を継続的に改善している。他にも探究心と熟議を生かすチームが、地域課題への多様な取り組みを展開している。
 「読み書きそろばん探究心」というタイトルには、現代社会への警鐘と次世代教育への願いを込めている。SNSの普及で思考が浅くなりがちな時代に、小学生から探究心を育む課題解決型学習が、未来のnoblemanを育てる。近年改訂された学習指導要領で小学校から高校まで探究学習が必修化されたが、これに大きく貢献するだろう。
 Noblemanが増えれば、誰もが「自分ごと」として課題に向き合い、地域全体で解決する社会を築くことが、民主主義の信頼回復と持続可能な未来への鍵となるだろう。

(注)『大衆の反逆』における「高貴な人」で「大衆」の反語。どんな時でも自らに謙虚さを求める人でもある。

小黒 一正 巨大地震などの有事に備えた財政基盤の強靭(きょうじん)化も検討を

小黒 一正

法政大学経済学部教授

 2024年8月、宮崎県南部での震度6弱(M7.1)の地震を受け、南海トラフ地震の想定震源域で巨大地震への注意喚起が初めて発令された。その後、巨大地震は起こっていないが、首都直下地震(今後30年以内に70%の確率)を含め、再び地震が起こる可能性はゼロではない。内閣府の試算によれば、例えば南海トラフ地震の場合、経済的被害額は「基本ケース」の下で約143兆円、「陸側ケース」の下で約233.8兆円とされる。また、首都直下地震(都心南部直下)の場合、経済的被害額は約107.5兆円とされる。
 いま日銀は金融政策の正常化を徐々に開始しているが、仮に2035年などに首都直下地震が発生した場合、財政との関係を含め、長期金利(国債の利回り)が一時的にどの程度上昇するか否かの予測も重要だ。そこで、筆者は、過去の論文(一橋大学大学院経済学研究科の佐藤主光教授との共著)で利用したモデルの改良を行い、再試算を行ってみた。
 試算では、1,000本のモンテカルロ・シミュレーションを実施しているが、その平均の値でみると、例えば2035年に首都直下地震が起こるシナリオでは、震災が無かったシナリオと比較して、その数年後に長期金利は最大で1.03%ポイントも上昇するという可能性が浮き彫りになった。
 感染症や震災の対応のほか、国防上の問題も含め、想定外の有事が発生した場合でも、財政への信認を確保しながら必要となる財政措置を適切に講じることができるよう、財政安全保障の観点から、債務残高(対GDP比)を安定的に引き下げることで、財政的な余力を高め、「財政の強靱化」を進める努力も重要ではないか。

長田 久雄 高齢者への差別、偏見である「エイジズム」を払拭せよ

長田 久雄

桜美林大学名誉教授

 65歳以上の高齢者(シニア)のうち、約8割は労働力になり得る。国際的に見ても日本のシニアは勤労意欲が高い。働くかどうかの選択はむろん本人の自由だが、働きたい人が自分に合った仕事を見つけられ、働き続けられる仕組みがある社会が望ましい。超高齢社会では高齢者の就業が社会的にも必要であるが、それにもかかわらず、現状では、彼らに就労の機会が十分に与えられていない。
 理由の1つに、高齢者への差別や偏見、いわゆる「エイジズム」がある。社会や企業の側に、高齢者の能力を過小評価する風潮が根強く、まずはこれを取り除かなければ、高齢者を受け入れることは難しい。かといって、高齢者は何でもできるといった過大評価も問題だ。「老化」は否定できない。暗いところでの作業ではリスクが高まったり、能率が悪くなるといったことは起こり得る。作業の質はそれほど差が無いとしても、効率は若い頃より低下する。
 高齢者が無理なく安全に働くための支援には、体や心の老化の理解が欠かせない。正しい認識を広め高齢者の就労を促進するために、社会全体の意識改革が求められる。
 一方で、若年者と高齢者の世代間対立も課題である。今後一層、老若の対話による相互理解が重要となり、産官学民が知恵を出し合い協力して、新しい視点から解決策を創出することが急務であろう。

小塩 隆士 「全世代」に将来世代を含めよ

小塩 隆士

一橋大学経済研究所教授

 全世代型社会保障を構築するという場合の「全世代」には、若年層から高齢層までを含む、今を生きる世代を考えることが普通である。全世代型社会保障とは、年齢を軸にして若い世代が高齢世代を扶養するという仕組みを改め、すべての世代が負担能力に応じて社会保障を支える、という発想であり、それはそれでもちろん望ましい。しかし、負担の増加は誰もが嫌だし、給付の削減もできれば避けたい。だから、社会保障を全世代型に再編するとしても、負担の増加や給付の削減はほどほどにされる可能性が高い。いわゆる「シルバー民主主義」という概念を持ち出すまでもなく、民主主義は今を生きる世代の利益の最大化を目指す仕組みだからだ。
 この仕組みは、負担を将来世代に先送りする意思決定につながりやすい。負担をどんどん先送りしても、人口が順調に増加している限り、1人当たりで見れば、分母が膨らむので無限の将来にはゼロに近づく。だから、将来世代に迷惑はかからない。しかし、出生率の長期低迷に示されるように、私たちは人口の再生産からすでに手を引いている。そうなると、今を生きる全世代の幸せの追求は、将来世代の幸せを引き下げることになる。
 民主主義が人々の幸せの追求に貢献し続ける前提は、人口増加である。その前提が崩れている。私たちがこうした民主主義のいわば生物学的限界を意識し、将来世代の幸せもしっかり考えるのであれば、全世代には、今を生きる世代だけでなく、将来世代を含める必要がある。

 識者 か行

柯 隆 不確実性に満ちた2025年の日中関係の新動向

柯 隆

東京財団政策研究所主席研究員

 2025年はどんな年になるのだろうか。1つはっきりいえるのは不確実性に満ちた1年になるだろう。その不確実性を増幅させるのは米国トランプ政権2.0である。アメリカファーストを掲げるトランプ新大統領は既存の国際ルールを無視して、アメリカの国益を最大化しようとしている。
 そのなかでもっとも懸念されるのは米中対立がさらに激化することであろう。トランプ政権1.0においてアメリカ政府は中国からの輸入品に対して制裁関税を科しただけでなく、ファーウェイをはじめとする中国のハイテク企業に対する制裁措置も発動された。
 トランプ新大統領が大統領選に勝利したあと、国際貿易とクロスボーダーの直接投資が急変した。多国籍企業は相次いで中国にあるサプライチェーンを中国以外の新興国へ分散している。米中デカップリングはもはや避けられない。
 こうしたなかで日本がどのようにして2025年のグローバルリスクを管理するかについて戦略の練り直しが求められている。日本にとって脱中国依存の合理性について理解できるが、現状では、日本にとって中国とのデカップリングは非現実的である。
 3年間のコロナ禍をきっかけに中国経済は大きく減速している。それを背景に、中国政府は日本との経済協力に働きかけている。しかし、日中の間で横たわっている課題が山積している。福島原発の処理水の問題や中国で日本人ビジネスマンが拘束されていることなどいずれも簡単には解決できない問題ばかりである。
 従来の日中関係は人脈外交に頼っていた。残念ながら、日中両国の政治家の世代交代により頼れる人脈が存在しない。中国からみると、日本はアメリカの同盟国であり、中国の非友好国ともいえる。しかし、日中関係の不安定化は東アジア域内の地政学リスクの増幅を意味するものである。石破政権は中国政府との対話を重視する姿勢であり、新たな日中関係の模索が期待されている。

嘉治 佐保子 生成AIと民主主義

嘉治 佐保子

慶應義塾大学経済学部教授

 AIに関しては「AIは人間より賢くなるか」「AI利用によって生産性は上がるか」といった話題が多い。しかし問うべきは、むしろ「AIは人間を劣化させるか」である。AIの存在が10年、20年後の世界をどう変えるか、今から教育と民主主義の観点から考えておく必要がある。
 すでに多くの教員は、学生たちに「自分の頭で考える」ように指導することが不可能になる日がくるのではないか、という危機感を持ち始めている。小学生でも、生成AIを利用することさえできれば「質問に対する答え」がラクにみつかる。「重要な情報はどれで、どこにあるのか」「自分はどう思うのか」等と試行錯誤する必要はない。苦労して組み立てた論理に自ら探し求めた情報を織り込んで答えを作成しなくても、AIが即答してくれるのだ。
 ラクな方法を選ぼうとするのは、人間の習性である。幼少期から生成AIに答えを求め、学校や大学で提出するレポートや論文も生成AIに書かせて大人になったら、その人間の脳はどうなるのか。AI利用で生産性が高まるような脳であり続けるのだろうか。それともAIなしには考えるという行為ができない、受け身の、いわばAI中毒の脳なのだろうか。人によってAIの利用頻度は異なるだろうが、AI中毒には何歳からでもなり得る。場合によっては麻薬同様、AIリハビリテーションセンターさえ設立されるかもしれない。
 AI依存は必ずしも「劣化」ではないのかもしれない。しかし確かなことは、独裁者に悪用されれば民主主義に対する新たな脅威になり得る、ということである。AI利用が人間の脳に与える影響を認識し、技術進歩の影の部分が広がらないよう教育・法律・制度の枠組み整備が望まれる。

梶谷 懐 中国経済の光と影をみつめる

梶谷 懐

神戸大学大学院経済学研究科

 中国社会で無差別殺人事件が多発している。中国社会ではこれらの無差別殺傷事件の犯人を、敵を残忍なやり方で大量殺戮さつりくしたとされる明末の農民反乱の指導者になぞらえて「献忠」と呼んだり、生活に行き詰まり、不満を抱えた人びとが「社会に報復」した、という言葉で表現したりする見方が広がっている。さらには、失うものがなく、犯罪を起こすことに何の躊躇ちゅうちょもない人を指す日本のスラングが、中国にも「無敵之人」という表現として輸入され、インターネットで拡散しつつある。無差別殺傷事件がこれだけ多発した背景として、経済の落ち込みからくる社会の閉塞へいそく感があることは言うまでもない。
 一方で、これだけマクロの経済状況が悪化していても、EV大手のBYDなど、一部の新興産業は快進撃が続いており、その旺盛な輸出攻勢で欧米諸国の警戒を呼んでいる。要するに、マクロ経済の低迷およびそれを要因とする社会全体の閉塞感と、それをものともしないような一部の民間企業の躍進が共存しているというのが、現在の中国経済を理解することを一層難しくしている。
 不動産価格の低下から生じた経済不振によってピークアウトを迎えた中国経済にはこれまでにない、大きな不確実性が生じている。そのことが冒頭に述べた社会の閉塞感を生んでいる。しかしそういった影の部分が拡大しているからと言って、光の部分に全く目を向けなければ、やはり問題の本質を見誤るだろう。特に、海外に住んでいる私たちにとって重要なのは、いま中国経済で何が起きているのか、現状を少しでも論理的な整合性をもって理解しようとすることではないだろうか。

片上 慶一 世界が抱くトランプ2.0への不安と期待

片上 慶一

株式会社国際経済研究所理事長

 2025年、世界はトランプ大統領の再登板を見ることになった。
 MAGA(米国を再び偉大に)、アメリカ・ファースト(米国第一主義)を掲げるトランプが支持された背景には、「何も変わらない」という閉塞へいそく感と、「何もしてくれない」既存の体制・秩序への根強い不信と不満があったことは想像に難くない。
 アメリカ・ファーストの考えの背景には、米国がこれまで「食い物にされてきた」という発想、すなわち、これまで米国は世界の平和と繁栄を一国で背負ってきた、他の国々はフリーライドを享受し米国のみが犠牲になってきた、というもの。
 それ故、軍事面では軍事費の増大も含め同盟国の一層の役割強化・米国関与の縮小を、経済面では、関税等の保護主義的措置を導入し自国産業・労働者の保護、貿易赤字解消を追求することになる。同時に、MAGA(米国を再び偉大に)は、国際場裡じょうりで米国が常にナンバーワンであり続けることを意味し、特に技術覇権を巡る米中の対立は必然的に激化することが考えられる。
 一方、「期待」という点では、型にはまらないリーダー故に、国際法の理念や原則に縛られた民主主義的リーダーが適切に対応できない、ウクライナ戦争に見られる膠着こうちゃく状態や中国の南シナ海での覇権的動きの抑止等に効果的に対応できる可能性も有しているとも言える(ただし、「劇薬」ではあるが)。
 依然として多くの不確定要素はあるが、4年間の大統領職での経験・知見を有するトランプ2.0は、良い意味でも(より現実的)、悪い意味でも(自信と強い実行力を可能とする体制構築)、第1期のトランプとは異なる人物だと見ておく必要がある。

加藤 淳子 分極化と分断の克服

加藤 淳子

東京大学大学院法学政治学研究科教授

 政治の分極化と民主主義の衰退は、今や体制を問わず各国に共通する現象である。クーデターといった急激な変化ではなく、選挙で選ばれた独裁的政権や支配者により民主主義が徐々に衰退する現象は、第三の波以降の新興国では、権威主義への逆行も含む民主化の停滞の問題としてとらえられていた。同じようなバックスライディングが、欧米諸国にも存在するのではと考えられるようになったのは、2010年代の米国におけるトランプ政権の成立やヨーロッパで相次いだポピュリスト政党の政権への参画がきっかけである。極左極右といった極端な立場をとる政治家や政党の出現とともに、不平等の問題がその共通点である。例えば、移民を排斥したり女性や性的少数者の権利を認めない保守的な社会的価値を支持するのは、多くの場合、教育や所得など社会経済的不平等の問題を持つ集団である。立場は異なるとはいえ同じ不平等の問題を抱える集団が、分断され対立する構造が存在する。分断の問題は、同じ国や社会の中のみならず、国家間にも存在し、情報の分断という形で現れている。例えば、ポピュリスト政党の興隆は見られない一方、政権党である自民党が保守的な社会的価値を強く支持する日本は、各国比較でも例外的存在であるが、それに対する国内の認識は殆どない。もう1つの例としては、ヨーロッパでは欧州連合レベルで行われている、積極的労働市場政策や社会的投資政策がある。重要な課題である労働力不足に対応し潜在的な労働人口を掘り起こす可能性を持つ政策に関して、国際機関で効率的に情報を得られる機会があるにもかかわらず、国内の関心は低い。日本も、内向きにならず、複合的な観点で外の世界を見ることが求められているのではないだろうか。

加藤 美保子 露朝同盟ー地政学リスクを多角的に検討すべき

加藤 美保子

広島市立大学広島平和研究所専任講師

 2024年6月19日、ロシアと北朝鮮は包括的戦略パートナーシップ条約に調印した(同年12月4日発効)。北朝鮮側は早々に条約全文を公表し、どちらか一方が戦争状態に陥った際に軍事援助を提供する条項があることを発表した。一方でロシア側は相互防衛規定については認めているものの、条約全文は公開していない。一連のロシア側の対応には条約を柔軟に運用しようとする意図が見え隠れする。
 なぜロシアは北朝鮮との関係を中国やインドと同様の「戦略的パートナーシップ」に留めず、「軍事同盟」に引き上げたのだろうか。ロシアの戦略的観点から、3つの要因を挙げたい。第1に、ウクライナ戦争に集中するためには米国と中国の双方を同時に牽制けんせいする一手が必要であった。条約締結の前月、バイデン米大統領らが相次いで、ウクライナに供与した兵器でロシア領内の標的を攻撃することを容認する発言をしていた。一方、中国はロシアとの関係強化を続けてきたが、外遊できないプーチンを尻目に中東や中央アジアなどに外交攻勢を仕掛けてきた。モスクワにとってより深刻だったのは、かつて中露東部国境の係争地であったボリショイ・ウスリースキー島の帰属問題を、中国側が蒸し返しかけた一件ではないだろうか。クレムリンの反応が見えず、外務省が火消しをしたところに深刻さがうかがわれる。極東での主権問題はレッドラインであることを警告する必要があったのではないか。第2に、戦時下という条件が大きい。プーチン政権は、ウクライナ侵攻を国民向けには「特別軍事作戦」と説明している都合上、動員ができず兵力補充に問題を抱えてきた。「条約に基づいて」北朝鮮から兵士と不足する装備の補充を得るロシアと、実戦経験がない軍に最先端の技術が投入された戦場を学ばせたい北朝鮮の利益が一致したのだろう。第3に、地域レベルでのブロック対立と将来への備えである。ロシアの一部の専門家は、東アジアでは西側ブロック(米韓日)と東側ブロック(中朝露)が対立しており、後者は前者への対抗として浮上してきたと認識している。バイデン政権下で西側ブロックの制度化が進んだことが、露朝接近に拍車をかけた側面は否めない。ただし、中国はこれに加わることに積極的ではない。
 露朝同盟は、ウクライナ戦争だけでなくグローバルな米中露関係と東アジアの地政学環境を背景としている。それがもたらすリスクはより多角的に検討されるべきであろう。

川口 大司 2025年の賃金上昇

川口 大司

東京大学公共政策大学院教授

 2024年に名目賃金は上がったものの、その勢いは物価上昇には及ばず実質賃金は下落した。生産年齢人口の減少、働き方改革による労働時間の減少による労働供給の引き締まりがあると考えられるものの、力強い賃金上昇がみられないのはなぜだろうか。2つの要因が考えられる。
 第1の要因は、賃金上昇が見込めない層が労働市場において大きな割合を占めていることである。人手不足が顕在化しているパート労働市場などにおいては、賃金が上がっているが、フルタイムの労働市場での賃金が上がらない。特に中高年男性の賃金が伸び悩む。これは経済構造が長期勤続による技能蓄積が望ましい形から、そうではない形に徐々に変化してきたためだ。年功型の賃金体系が崩れつつあり、転職の機会も限られている彼らの賃金は伸び悩む。就業者全体に占める中高年男性の割合は大きいため、この階層の賃金が伸び悩めば、全体の平均賃金も上がりにくい。
 第2の要因は労働者構成の変化によるものである。この20年ほどで女性の就業率は継続的に向上してきた。その勢いは衰えるものの今後もこの流れは継続する。女性はパートタイム就業をすることが多いこともあり、男性に比べて賃金が低いため、労働者に占める女性の比率が上がれば平均賃金は伸び悩む。また、女性の就業の伸びはパートタイム労働者の賃金上昇を抑える要因として作用し、そのことも全体の賃金上昇を抑制する原因となる。
 人手不足が深刻なパートタイム労働市場や、一部の産業に焦点を当てると賃金は継続的に上昇しようが、全体的な平均賃金は伸び悩む可能性が高い。しかしこれらは労働市場が機能不全に陥っていることを意味しない。引き続き実質賃金の上昇が起こるまで労働市場の動向に注目することが必要だ。

川島 真 コンセンサスなき「分断の時代」

川島 真

東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻教授

 世界的にも、それぞれの国・地域の内部でも「分断」が強く意識される時代になった。それは経済的階層や政治的な立場の分断だけを意味しない。そもそも世界認識、個々の問題を捉える認識が分断してしまっているのだ。そして、それは2つのイデオロギーによる分断ではなく、もはや極めて多様であり、また問題ごとに分断の様相、相貌が異なっている。極めて複雑で多様な分断を伴う、コンセンサスなき時代だということだ。
 世界認識1つをとっても、「先進国と中ロ、イラン、北朝鮮」という対立軸とグローバルサウスを想定する三分論が日本や先進国では主流だが、中国ではそうは捉えない。中国では「先進国と非先進国」という対抗軸で世界を捉え、自らを後者の主導者と位置付ける。グローバルサウスの国々、イスラーム諸国では、それぞれの世界観がある。そして、例えばガザ問題ではマレーシアやインドネシアも含めたイスラーム諸国が一致してアメリカを批判するように、案件別に分断の対立軸は変化する。
 ウクライナ戦争以降、日本はアメリカや他の同志国に寄り添う姿勢を一層強くした。その可否は別としても、東アジアに位置し、G7の中で唯一の非欧米国である日本の立ち位置については、より戦略的で柔軟な思考の下に判断されるべきだろう。2025年は国際政治の不確実性がさらに増すことが想定される。日本は果たしてコンセンサスなき時代における、さまざまな亀裂を乗り越え、分断面を架橋するような存在になれるだろうか。自らの立場を固定し、二項対立的な思考に陥り、戦略性や柔軟性を喪失することがないように、自己を律することがまずは必要だろう。

河田 惠昭 「社会現象としての相転移」発見は事前防災の切り札

河田 惠昭

関西大学社会安全研究センター長

 筆者は、今から50年前に京都大学から工学博士号を授与され、職業としての防災研究を志向した。そして、2024年9月に日本自然災害学会から功績賞を授与された。第1回の学術賞を頂いてから33年を要した遠い道のりであった。そこで、あらためて志を新たにして、“勇気をもって挑戦する”という生き方を、続けようと決心した。功績賞の受賞対象となった1つは『社会現象としての相転移を発見し、大災害の事前対策に応用できる』という業績である。この発見は、阪神・淡路大震災と東日本大震災を経験したから可能だった。だから、大災害が起こりにくかった欧米先進国の研究者には発見できない。これを活用すれば、南海トラフ巨大地震や首都直下地震だけではなく、富士山の噴火などの大災害の被害を事前対策によって激減できる。これまでの被害想定と違って、事前に何が原因で具体的に相転移が起こるかをみいだしているから、そうならないようにする事前対策が有効なのである。このような対処はこれまで不可能だった。
 新しい自然災害科学の誕生である。2024年の能登半島地震では災害関連死の増加が極めて深刻な問題となっているが、高齢社会の進行に伴って、被災した後期高齢者を中心に、生から死への相転移が発生しやすくなってきたのだ。従来の科学的な取り組みだけでは対処できない。しかも、この災害の「相転移」はわが国のみならず、気候変動に伴う洪水災害の世界的な多発・激化地域の減災にも応用できる。『相転移』を利用すれば、例えば、テームズ川やセーヌ川がロンドンやパリでよもや氾濫しても、巨大被害を避けることが可能なのである。両市はこの都市災害の発生危険性に対して無防備に近い。

河本 和子 ロシアの人々は核兵器の使用を是認するか

河本 和子

一橋大学経済研究所非常勤研究員

 ロシアの民間世論調査機関レヴァダ・センターが2024年11月にロシア国内で行った訪問調査によると、回答者の39%が、ウクライナにおける紛争において核兵器の使用が正当化されうると答えた。過去に行われた同じ質問への回答(2023年4月29%2024年6月34%)と考え併せると、核兵器使用を正当化しうると考える者が増加傾向にあるように見える。また、正当化されえないと答えた者は、今回の調査で初めて半数を割り込んだ。
 他方で、Michal Smetana(プラハ・カレル大学)とMichal Onderco(エラスムス・ロッテルダム大学)はレヴァダ・センターと共同で2024年6月に行った別の調査を用い、ロシア人の大多数(71%)は、ウクライナに対する核攻撃に反対であると分析した。さらに彼らは、核攻撃に反対するロシア人の態度は、ウクライナ侵攻開始前を含む過去3年間でほとんど変化しておらず、この間の戦争およびプーチン政権による核の威嚇によっても、この態度は大きく変わらなかったと指摘する。プーチン大統領が世論を気にし続けるならば、核攻撃には踏み切りにくいだろう。
 11月の調査に話を戻せば、2024年6月から11月までの出来事が、核攻撃への嫌悪感を緩和し、核兵器使用を正当化する解答者の増大をもたらしたのかもしれない。しかし、それ以上に考慮すべき点がある。第1に、プーチン政権とその行動に批判的な者の間でも、核兵器使用を正当化しうると答える者が増加傾向にある。第2に、正当化されえないと答える者の減少は、いざロシア軍が使用すればそれを正当化してしまう者の潜在的増加を示唆しているかもしれない。プーチン政権は世論に相応の注意を払ってきたが、下駄の雪扱いできると見た場合に政権がどう行動するかは予断を許さない。

関 志雄 加速する外資企業の中国撤退ー事業のグローバル再編の一環として

関 志雄

野村資本市場研究所シニアフェロー

 近年、中国において、外資企業の撤退が加速している。その背景には、米中対立の激化に加え、経済成長の鈍化に伴う消費の低迷、賃金などの生産コストの上昇、安全保障に関する規制の強化、現地企業との競争の激化、グローバル・サプライチェーンの再構築、そして排外感情の高まりなどが挙げられる。中国から撤退する外資企業には、日本製鉄、三菱自動車、三越伊勢丹ホールディングスなど、多くの日系企業が含まれている。
 中国から撤退する外資企業は、電子機器などの輸出型産業にとどまらず、情報技術(IT)、自動車、小売などの内需向け産業にも及んでいる。特に、電子機器とIT産業では、貿易や投資、技術移転に関する米国の対中制裁の影響が顕著に現れ、自動車と小売産業においては、中国の電気自動車メーカー(BYDなど)やネット販売業者(アリババなど)に市場シェアが奪われている。外資企業にとって、中国は生産拠点としてだけでなく、市場としての魅力も薄れている。
 中国撤退の案件の多くは、米中対立を契機とした西側企業のグローバル再編の一環として見なすことができる。これらの企業は、高まる地政学的リスクに対処するため、中国への依存度を減らし、オンショアリング(国内回帰)とともにフレンドショアリング(友好国との経済的つながりの強化)戦略を進めている。米国の「CHIPSおよび科学法」をはじめ、各国政府が実施している経済安全保障政策も、この流れを後押ししている。このような状況下で、ASEAN諸国やインドなどの新興国が、中国に代わる投資先として浮上している。
 米中対立にとどまらず、世界経済がブロック化に向かうという新しい国際環境への対応は、各国企業にとって、困難な経営課題となる。

神田 潤一 資産運用立国×投資で地方の課題解決と成長力強化を

神田 潤一

法務大臣政務官・衆議院議員

 地方は課題の宝庫だ。少子高齢化、過疎化、農林水産業の低迷、事業承継と人手不足、中小企業の生産性などなど、現在のわが国の課題は地方に集中している。逆に言えば、地方こそが「成長のフロンティア」だ。
 変化が速く不確実性の大きい時代に、こうした課題解決のためにはスタートアップによる柔軟なアプローチが有効だ。政府では、2022年末に「スタートアップ育成5カ年計画」を策定し、5年間で10倍の資金流入拡大を目指して取り組みを進めているほか、2023年末には課題解決とリターンの両立を目指す「インパクト投融資」に関する官民のコンソーシアムを立ち上げた。地方自治体とも連携して、人材・ネットワークの構築、資金供給の強化と出口戦略の多様性、オープンイノベーションの推進など、エコシステム構築を加速しなければならない。
 また政府は、資産所得倍増プランやコーポレートガバナンス改革、資産運用業・アセットオーナーシップ改革などをパッケージとして「資産運用立国実現プラン」を提唱し、その嚆矢こうしとして2024年1月から「NISAの抜本的拡充・恒久化」を開始した。これらにより、金融業界の長年の課題であった「貯蓄から投資へ」の流れが本格化しつつある。
 今後は、「資産運用立国」によって動き始めた資金が、DXやGX、スタートアップなどによる課題解決のための「投資」へと向かうことで、わが国の新たな成長につなげていくことが重要である。そしてそのフロンティアは地方にこそあることをあらためて国民全体で共有し、強力に推進すべきである。その取り組みが新しい地方創生につながり、ひいては東京一極集中の是正や少子化傾向の反転へとつながっていくことを期待したい。

菊池 武晴 地域公共交通を救うために通勤手当の見直しを

菊池 武晴

福井工業大学経営情報学部経営情報学科教授

 福井県でも地域公共交通の利用促進のため、長期にわたり各種政策や産官学連携の取り組みが進められてきたが、苦戦している。なぜか。①2000年以降の人口減少、②乗用車の普及に伴い、地域鉄道・バスの採算悪化による路線廃止・減便が相次ぎ、運賃や運行本数などの利便性が悪化したことで、クルマ依存傾向に歯止めがかからないのである。加えて、③2024年運輸業従業員の労働時間規制強化が運転手不足に拍車をかけ、減便数がさらに増加したことも事態を深刻にしている。
 さて、通勤手当は企業が任意に設定できる。従業員の通勤費用に対し企業が手当を支給する法律上の義務はないが、税制上非課税措置もあり、日本企業の9割以上で実施されている。地方部ではクルマ利用時の燃料代見合いの通勤手当がある企業が大半であろう。ここでの提案は、通勤時の公共交通・自転車利用を促進するため、同利用者への通勤手当を増額して(実費より多い分は税金を払うことになる)、自動車通勤より優遇する見直しを行うことである。名古屋市役所は2001年に同様の措置をとり、クルマ通勤者の大幅減少につなげた。事業所が公共交通拠点から遠い場合、企業負担で自転車を購入し、最寄駅等から事業所まで社員が無料で使える自転車貸出制度創設等も有効であろう。このようにして実現するエコ通勤は、①地球環境によいことはもちろん、②従業員の安全と健康につながる。ただし、強い逆風が吹く地方部でそれを実現するためには、強力なインセンティブが必要である。地域社会のことを考えこのようなリーダーシップを発揮する企業は、脱炭素経営・人的資本投資を行う企業とされ、企業価値が向上することは言うまでもないだろう。

菊地 信之 ウィーン:国際協調の歴史と未来

菊地 信之

在ウィーン国際機関日本政府代表部公使参事官

 ウィーンは、国際協調の歴史において重要な役割を果たしてきた都市。ウィーン会議(Congress of Vienna)(1814-15)では、5大国(墺英露仏普)の協調により、正統主義と勢力均衡に基づき、ナポレオン戦争後の国際秩序が築かれた(ウィーン体制)。国際連盟や国連の起源でもある。現在、ウィーンは国連第3の都市。国際的な諸問題について話し合い、解決策を探る場となっている。ウィーンの国際機関では、話し合いを徹底し全参加国の合意を目指すコンセンサス方式が重視される(ウィーン精神)。この方式は、各国が拒否権を持つことになる全会一致とは異なる。非効率な面もあるが、国際情勢の悪化を防止する上で重要な役割も果たしてきた。この精神は挑戦を受けている。投票は迅速な意思決定が行えるが、真の合意なしには問題の解決は難しい。現在、世界は、ウクライナ戦争、中東情勢や東アジア情勢の不安定化、内政混乱、グローバリゼーションへの反発や経済格差の拡大、移民問題、エリート層への不信など、複雑な問題に直面している。多国間主義に対する懐疑論が強まり、自国第一主義、ナショナルなものへの回帰が見られる。それ自身悪いことでない。しかし、多国間主義は非効率であるという批判がある一方、小国も大国も、異なる政治体制を持つ各国が継続的に対話できる場を提供することで、国際情勢の悪化を防止できる。多国間主義には依然として重要な役割があろう。しかし、従来型の多国間主義は、その有効性を問い直されている。ウィーン精神を継承しつつ、新たな状況に応じていくのが課題。声の大きい一部の勢力だけでなく、静かな多数の声に耳を傾けた国際秩序を構築するために、ウィーンには役割がある。

北村 正晴 対立を超えて共同構築へ―セーフティⅡ方法論の活用

北村 正晴

株式会社テムス研究所所長/東北大学名誉教授

 現在、さまざまな分野で対立が激化しており、その具体例は多岐にわたる。ソーシャルメディアに代表される言論空間での言説のあり方が、この傾向を強化している。対立激化の背景要因の1つは、広範な批判精神の高まりであろう。もちろん健全な批判と論争は建設的で有意義である。しかしながら異論を軽侮する、論争相手への嫌悪感を強調する、などの行きすぎた批判は非建設的で、しばしば有害である。
 この問題に関して、話題が飛躍するが、安全工学の分野での新しいトレンドを紹介したい。
 筆者は安全工学の分野で、セーフティⅡという方法論の普及に努めている。従来の安全工学的手法(これを便宜上、セーフティⅠと呼ぶ)では、“うまくいかないこと”を無くすことに専ら関心が向けられてきた。これに対してセーフティⅡの立場では“うまくいくこと”を増やすことが重要だと考える。うまくいかないことに注目する立場では安全担当者は異常や故障が起きたその箇所を注視する。例えばある工場の生産システムに故障が起きれば、当然、その故障部位を徹底して批判的に調査し吟味する。この批判的な姿勢や行為が、時にはその故障部位を管理運用する立場の人間にとってストレスや苦痛を引き起こすこともある。
 これに対して、うまくいっている状態を実現するためには、より広い視野が必要になる。前掲の生産システムの例では、特定の箇所を注視するのではなくシステム全体をうまく動作させることが活動の目的となる。さらに安全に限らず生産性や品質などにも目配りをして、望ましいパフォーマンスを実現することがより大きな目標になる。特定箇所の批判的注視ではなく全体的(ホリスティック)な良好状態が共同作業的に探求される。
 この方法論を、対立が激化し批判が衝突する課題解決にも援用したい。対立点に関する批判的言説の応酬を超えて、課題の全体像に対するより良い解決策を共同して構築することを目指すのである。理想論に聞こえるかもしれないが、現在この方法論は急速に応用範囲を拡大し、航空、鉄道、電力、建設土木、医療など、多様な分野で確かな成果を上げつつある。
 本稿の内容はセーフティⅡに関する知識がないとわかりにくいかもしれないが、参考文献などを一読いただき、対立の解消と解決策の構築に活用されることを願っている。

参考文献
Erik Hollnagel(2019)『Safety-Ⅱの実践』北村正晴・小松原明哲(監訳)、海文堂

北村 亘 新しい社会経済環境にふさわしい「新しい地方自治」を

北村 亘

大阪大学大学院法学研究科教授

 少子高齢化・人口減少の中で、地方自治体の行政サーヴィス供給能力が低下している。社会福祉政策での受益者が増加する結果、地方自治体の財政的リソースは大きく減少している。また、職員確保が困難なために人的リソースの確保もままならず、上下水道、庁舎施設、橋梁、道路などの更新改修がままならない中で資産的リソースも大きく毀損している。行政サーヴィス供給能力の低下は、農山漁村から大都市圏へ徐々に広がっている。
 行政需要の増大と行政のもつリソースの低下の中で、いかにすれば地方自治体の行政サーヴィスの供給能力の低下を食い止められるだろうか。
 デジタル化を通じた各市町村のバックオフィス機能の集約や、旧郡単位や地理的隣接性を越えた事業の共同実施などの連携を推進することが重要となる。水平連携や垂直補完を実現するためには、市町村には業務の標準作業手続きの明確化が、都道府県には市町村間の連携促進のための呼び水的な財政支援と専門性を駆使した日常的後方支援が求められる。住民や企業との関係ではどの地方自治体も許認可の申請書式や手続きの統一化にもっと積極的になる必要がある。
 地方自治体の独自性は政策の内容で出すべきであり、実施の仕方では出てこなくなるだろう。外交と年金以外のすべての行政サーヴィスすべてに責任をもって供給するというフルセット型の地方自治体ではなくなるかもしれない。いずれ新しい地方自治の段階に入っていくことになる。いま、「地方消滅」論が再び脚光を浴びているが、一気に地方が消滅するわけではない。千手先を見据えた壮大な改革ではなく、現状を少しでも改善する「確実な一手」こそ求められている。

橘川 武郎 原子力から水素を:新たな価値の明示

橘川 武郎

国際大学学長

 日本の原子力政策は、いまだに漂流している。閉塞へいそく状況を打開するためには、ポジティブな形で、ワクワクするような原子力の新たな価値を明示する必要がある。
 突破口は、原子力を、狭い意味での電源としてとらえるだけでなく、二酸化炭素を排出せずに作るカーボンフリー水素の供給源としても位置づけることにあると考える。
 カーボンフリー水素としては、通常、太陽光発電や風力発電で生産された電力(グリーン電力)を使い水の電気分解を行って得る、いわゆる「グリーン水素」が想定される。しかし、グリーン水素には、太陽光発電や風力発電の稼働率が低いため、電気分解装置の稼働率も下がってしまい、それがコスト高につながるという「泣き所」がある。それとは対照的に、高い稼働率で運転することができる原子力発電所からの電力で水の電気分解を行えば、電気分解装置の稼働率も高水準に保つことができる。カーボンフリー水素をめぐる重大な高コスト要因の1つが、取り除かれるのである。
 カーボンフリー水素であるグリーン水素やCCS(二酸化炭素回収・貯留)を使って得るブルー水素を作るコストは、海外の方が安い。グリーン電力のコストや、多くの場合油・ガス田を貯留場所とするCCSのコストが、海外の方が割安だからである。したがって、日本の場合、今のままでは大半のカーボンフリー水素を海外から輸入することになる。これではエネルギー自給率は向上しないし、カーボンフリー水素の海上輸送費も高くつく。国内の原子力発電所をカーボンフリー水素の供給源にすれば、この問題も解決する。カーボンフリー水素の国産化が実現するのである。

木村 福成 トランプ関税2.0への対処法

木村 福成

慶應義塾大学名誉教授/日本貿易振興機構アジア経済研究所所長

 本稿執筆時は第2期トランプ政権発足直前、これから何が起こるか見通しにくい状況だが、トランプ氏が関税を振り回してくることだけは確かなようだ。今の時点で確認しておきたいのは以下の3点である。
 第1に、今後の米国の動きには、安全保障の論理に基づく米中対立あるいは地政学的緊張の激化に加え、米国発の保護主義の高まりあるいは貿易政策での経済的威圧(economic coercion)という文脈も入り込んでくる。問題によっては安全保障の話とは切り離し、経済学や通商政策の論理に戻ってその意味を解読することも必要となってくる。
 第2に、関税は強力な貿易阻害的措置であるが、同時にその経済的帰結が見えやすい透明度の高い政策でもある。たとえば、米国が輸入元ごとに異なる高さの追加関税を課すのであれば、単純な3国の国際貿易モデルで自由貿易協定の分析枠組みを応用することで、民間企業がどのようにサプライチェーンを組み替えようとするかがわかる。市場メカニズムは理不尽な差別的政策を少なくとも部分的には相殺する方向に働く。世界経済の活力を維持していくためには、関税が高くなることによる「負の貿易創出効果」に対し「正の貿易転換効果」を積極的に拾っていくことが重要である。
 第3に、一番怖いのはルールに基づく国際貿易秩序全体が崩壊してしまうことである。米国がいろいろ掟破りをしてくることは止められない。しかしその他の国々は、できる限り既存の国際ルールに沿った形で対応していくべきである。経済安全保障におけるsmall yard high fenceと同様に、健全闊達な経済をできるだけ広範に保持していくよう、自由な貿易・投資を志向するミドルパワーと新興国・途上国はともに努力していくべきである。

紀谷 昌彦 成長するASEANと共に新しい時代を創ろう

紀谷 昌彦

ASEAN日本政府代表部大使

 戦後の日本は、ASEANを舞台に、製造業を中心とした雁行がんこう型経済発展を実現してきた。カンボジアの和平・復興会議の開催、アジア金融危機に際しての協力、スマトラ沖大地震・インド洋津波被害への支援、そして新型コロナのワクチン供与などを通じて、日本はASEANにとって「困った時の友こそ真の友」、「心と心」のつながる「信頼のパートナー」の地位を勝ち得ることができた。
 今の日本は、少子高齢化が進む中で、新たな成長の源泉、地方も含めた豊かさを探求することが喫緊の課題である。人口も経済も成長するASEANは、日本が新しい時代を切り拓くための身近なパートナーとして、あらためて重要な存在となっている。
 日本の強み・勝ち筋は、ASEANとの長年の信頼関係を生かして、「課題解決先進国」として、エネルギー、環境・気候変動、保健、社会福祉、防災、科学技術、デジタル・AI・サイバーセキュリティなど幅広い分野で、成長するASEANが直面するさまざまな社会課題への解決策を共に創り出せることではないか。
 既に、その基盤はある。ERIA(東アジアASEAN経済研究センター)は2008年に日本主導で設立され、2023年の日ASEAN友好協力50周年を契機に、デジタル協力を担うE-DISC、脱炭素協力を担うゼロエミッション・センターが拡充された。防災分野では、2011年にASEAN防災人道支援調整(AHA)センターが日本の協力も得て設立され、災害対応の制度構築と人材育成に貢献している。今こそ、成長するASEANと共に、新たな時代を創り出し、飛躍していくとのビジョンを実行に移していく好機である。官民連携で取り組んでいきたい。

楠木 建 戦争抑止法私案

楠木 建

一橋ビジネススクール特任教授

 ウクライナ侵攻はプーチンのプーチンによるプーチンのための戦争だ。国際法や国連憲章に違反しているという以前に、政治的損得勘定においてもプーチンは錯乱しているとしか思えない。
 錯乱の最大の理由は指導者として残りの時間が短くなっていることにあると考える。独裁者の常として、プーチンは経験と実績に絶対の自信を持ち、自らの能力に疑いを持たない。自分ほどの人物は今のロシアにはいないし、今後もしばらく出てこないと考えている。客観的に見れば狂気でしかない愚行でも、本人は「今やるしかない」と判断したのではないか。数々の修羅場をくぐり抜け、難しいかじ取りをこなしてきたプーチンでさえこのありさま。強権国家の最大のリスクは、独裁者が自分の死もしくは引退を現実問題として意識したときに陥る錯乱にある。
 独裁者の存立基盤は国民の支持にある。独裁者ほど世論を気にする。強権主義が言論の自由を制限するのは必然だ。万が一、これからの日本で強権主義が台頭したときは、全力で阻止しなければならない。
 自衛隊が必要なのは言うまでもない。ウクライナのように他国からあからさまな武力侵攻を受けたときは、憲法の条文がどうであろうと、武力で国を守るしかない。それでも、戦争抑止力はできる限りハードなほうがいい。
 戦争抑止法の私案がある。条文はひとつだけ。「第1条 戦争状態に入った時点で内閣を構成する大臣および副大臣の2親等以内かつ18歳以上の健康な者は全員直ちに身体的危険を伴う最前線の戦闘業務に従事しければならない」――滅茶苦茶めちゃくちゃのようでいて、これは相当に実効性があると思う。それでも政府がやるというなら、本当に戦争が不可避な状態にあると考えてよい。

國井 秀子 生成AIとジェンダー平等

國井 秀子

芝浦工業大学客員教授

 今日、生成AIの発展は目覚ましく、産業界はもちろんのこと、教育をはじめ、社会のあらゆる分野に大きな変化をもたらしている。その利便性と汎用はんよう性による急速な拡大は、同時に、新たな社会的リスクも引き起こしている。電力需要の急激な拡大などは別として、安全性や信頼性、透明性、説明責任、さらには人間の制御可能性などは、議論が始まったばかりだ。
 生成AIは、事前に膨大なデータから学習してモデルを構築し、ユーザーのプロンプトに対して、その回答を自然言語で生成する。そのため、これまで社会が内包してきた問題は、学習データやモデルを適正化しない限り、そのまま継承される。
 このような中、ジェンダー平等視点での生成AI対応は、喫緊の課題だ。膨大な過去のデータからジェンダーに対する偏見が学習され、それに基づいたモデルが作られる。偏見は継承されるだけでなく、公平そうな顔をしながら、増幅されていく可能性がある。現在、より公平なデータの提供やバイアス点検のソフトウェアツールの提供の取り組みがある。
 しかし、これで十分だろうか。社会の深層に間接的な差別や無意識の偏見が存在する。それに対しては、用心深い洞察力と多面的な議論が求められ、包摂的な開発体制が重要だ。しかし、生成AI分野においては、女性技術者も女性研究者も少なく、包摂的な環境の実現には程遠いのが現状だ。とりわけ、日本は、科学技術分野全体を見ても、女性比率がOECDの中で最下位であり、女性の人材育成に関して、強力なポジティブアクションが求められる。

久納 寛子 地元の、地域の、そして世界の食料システム強化を目指して

久納 寛子

OECD日本政府代表部参事官

 2024年春夏シーズンのパリは、夏が来ないまま秋が来るのではないかと悲観的になるほど、雨がちで肌寒かった。降雨過多により、2024/25年度フランス産軟質小麦の生産量は過去40年間で最低水準、直近5年平均に照らして3割近く減ることとなり、EU全体でも小麦の生産量は対前年度比1割程度減る見込みとなった。幸い、豪州や米国では小麦の生産増が見込まれ、国際価格は高騰することなく推移している。天候不順や災害による食料供給不安に関する報道に触れるたび、食料システムの強化には、自由貿易の推進とともに、多様な農業・食料サプライチェーンの重要性をあらためて認識する。
 2023年G7宮崎農業大臣会合で発出された声明には、既存の国内農業資源を持続可能な方法で活用し、食料貿易を円滑化しつつ、地元の、地域の、そして世界の食料システムを強化する方法を模索すべきこと等が盛り込まれた。こうした流れは、2024年G20農業大臣会合(ブラジル)やG7農業大臣会合(イタリア)にも受け継がれ、それぞれ「国際的、地域的、国内的な供給ルートを多様化することも、外的ショックに対する世界の食料サプライチェーンの強じん性を強化する重要な方法である」「サプライチェーンを多様化し、すべての人々にとっての食料安全保障を促進するために、国際的、地域的な貿易と国内生産を両立する必要性を強調する」旨が記された宣言等が出された。
 農林水産業は、世界の各地域における多様な気候条件・地域性のもとで営まれており、万能(one-size-fits-all)な解決策はない。わが国においては「みどりの食料システム戦略」をもとに、「日ASEANみどり協力プラン」を立ち上げており、協力の輪を広げる。持続可能な食料システムの実現に向け、地元の(local)、地域の(regional)実践にあらためて光が当たる年となることを願っている。

倉田 敬子 デジタル知の基盤構築は将来へ託す信頼の証

倉田 敬子

慶應義塾大学名誉教授

 パノフスキーは「人間はその背後に記録を残す唯一の動物である」と言っている。15世紀の印刷技術の普及により「出版物」となった知識は世界に流通するとともに図書館で保存されてきた。現在、社会における情報のデジタル化が進んだことで、紙の出版物をデジタル化することでいつでもどこからでもアクセスできる知の基盤の構築は部分的にではあれ進んでいる。
 これまで偶然もしくは特殊なものしか残ってこなかった個人の多様な記録は、ウェブやSNS等で社会全体に拡散されている。出版物はオングのいう「閉じたテクスト」であり、そこでは情報を構造化して示し、利用しやすくする多様な試みがなされてきた。しかし、デジタルで生み出され流通する情報は常に流れ続けるのが特徴で、この固定化しない大量の情報を保存する意義は理解されず、社会的な制度としてはほぼ保管されていない。
 人類はその活動とともに記録を生み出す存在であるなら、その記録を保存することの意味は将来への信頼ではないのか。今、利用されなくても、将来その膨大な情報が体系化され役立つ可能性を信じて、この社会における課題を解決するために、新たな知識を生み出していくために、過去のそして現在の記録の集成は必須ではないのか。現在のデジタル化した社会において、伝統的な出版物の保存の制度だけではデジタル知の基盤を構築することは不可能である。デジタルな情報の収集や保存に関する多様な反対や漠然とした忌避感は、技術的な問題以上に大きな課題である。デジタルな知の基盤は将来の人々への贈り物であり、現在を生きるわれわれから将来への信頼の証であることをいかに伝えていくかが問われている。

黒田 成彦 グローバル化がもたらす地方自治体への課題の顕在化

黒田 成彦

平戸市長

 グローバル化の波は、地方自治体の窓口業務にまで及びつつある。具体的には、選択的夫婦別姓やLGBTに悩む方々への対応など「多様化」や外国人の生活空間を保護していくための「多文化共生」への課題だ。
 国連の女性差別撤廃委員会は、日本に対して選択的夫婦別姓の導入に向けた法改正を勧告した。また女性皇族による皇位継承を認めていない皇室典範の改正も勧告している。いずれも保守論壇においては「甚だしい内政干渉だ」という反論で応戦しているが、メディアやSNSにおいてその論調は広がり、自民党総裁選挙でも論点に挙げられていた。
 また外国人労働者に頼る経営環境においては、イスラム教の信者を受け入れていく際に必要となる墓地の問題も顕在化している。具体的には8月に行われた大分県日出町の町長選挙の争点となり、これまで計画されてきたイスラム墓地の計画が、新たに当選された町長によって白紙に戻される事態となった。
 そもそも国内法は、その国の国民生活や価値観などに長らく根差した法体系であり、中でもわが国の戸籍制度は、出生から婚姻、そして死亡に至るまで一貫して個人情報が家族の枠組みにおいて保護されているという点では、世界でもまれな制度でもある。また日本人にとってはあまり意識しないことかもしれないが、常に生活の根底には常に宗教が存在し、場合によっては他宗教を認めないほど厳格な規律が徹底されていることは、「世界の常識」だ。マイナンバー制度導入にしてもさまざまな論議が沸き起こったが、最終的な現場は地方自治体の窓口である。地方自治の現場や地域住民が困惑しないためにも、わが国のリーダーには明確な方向性、国家観を示してほしい。

権丈 英子 新しい世代に合わせたワーク・ライフ・バランス施策を

権丈 英子

亜細亜大学経済学部教授

 日本は今、本格的な労働力希少社会を迎えている。生産年齢人口は1990年代後半から減少を始めたが、実際には就業者数はやや増加してきた。だが、その増加を支えてきた高齢者や女性の特に非正規雇用の労働供給は、前期高齢者が減少し始めるとともに女性の就業率も上限に近づいてきているため、増加の余地は少ない。
 今後は、労働市場での需要と供給のバランス上、働く人たちの交渉力(バーゲニング・パワー)が高まっていくことが見込まれる。使用者たちは、労働力を確保するために、魅力的な職場を提供するとともに、希少になった労働力を充分に生かしてより高い付加価値を生む経営力が本格的に問われる時代に入ってきている。
 日本のジェンダー・ギャップ指数が低迷し続けている背景には、職場と生活の場において、男女の役割分業を受け入れるノルム(社会規範)が根強くあった。しかし、次第に女性の役割に関する意識も変わり、成人男女の約6割が「子どもができても、ずっと職業を続ける方がよい」と答えるようになっている。また18歳から34歳までの未婚者に「女性の理想ライフコース」を尋ねると、専業主婦や再就職コースが減り、直近では両立コースを選ぶ者が男女ともに最も多くなっている。
 こうした若い世代の希望やノルムの変化に職場や公的制度がうまく対応しておらず、それが少子化の一因にもなっている。女性も継続して働くことを当然と考える新しい世代に対して、普遍的かつ包括的なこども・子育て支援を行うことを含めて、ワーク・ライフ・バランス施策のアップデートが今求められている。

河野 武司 小選挙区における当選の要件を絶対多数に

河野 武司

帝京大学法学部政治学科教授

 現行の衆議院選挙制度に対する多くの批判の中でも、特に重複立候補制度に対する批判が多い。小選挙区で落選した候補、言い換えればその選挙区の代表としてはふさわしくないとされた候補が、重複立候補のおかげでゾンビの如く比例代表で復活当選をするのはいかがなものかという批判である。しかし小選挙区での当落を絶対視し、比例区における復活当選を批判する向きに言いたい。小選挙区である選挙区の代表として選ばれたと胸を張るには、50%+1票以上の絶対多数の得票が必要なのではないかと。例えば30%前後の得票率で当選ということは、逆に他の候補に投じた70%前後の有権者は、その候補を選挙区の代表としてはふさわしくないと思っているわけである。2024年10月に実施された第50回衆議院選挙において50%以下の得票率で当選した候補者は286人中159人もいる。この中には20%台で当選した候補も2人いる。相対多数の獲得を当選の要件とする現行制度のなせる業である。
 絶対多数を当選の要件とするには、得票上位2名による決選投票という2回投票制もあるが、投票が1回で済むオーストラリアの優先順位付き投票も1つの方法である。この選挙制度は完璧ではあるが複雑と評される。複雑というのはある選挙区で立候補した候補すべてに優先順位を投票者は付さなければならないからである。より有権者にフレンドリーな制度とするためには、すべてではなく当選させたい3位まで付ける、複数回の再集計で絶対多数を獲得できた候補がいなければ相対多数を獲得した候補を当選とするような仕組みが考えられる。ある選挙区の代表としてマンデートを獲得したと誇らしく主張するためには、絶対多数の得票が必要であろう。

古閑 由佳 技術が存在するならば社会実装する工夫を尽くそう

古閑 由佳

紀尾井町戦略研究所上席コンサルタント

 生産年齢人口が2041年には55%を割ると推計されるなか、労働力不足を補完するためには技術の力に頼ることが考え得る打開策の1つである。しかし、技術は存在しているのにうまく社会実装されていないという事例が多々ある。
 たとえば、サイバー攻撃は重要インフラの機能を停止させる等をもって生命・身体への影響をも懸念されるものであり、現在大きな脅威となっているが、サイバー攻撃の未然排除や被害拡大防止のための手段となる能動的サイバー防御は、技術があるにも拘わらず、法整備がなされていないという大きな障害により、現在わが国において、より有効な形でこれを実施することはできない状態にある。介護においては、デジタル化による省力化を行っても、人員配置基準が定められており人員削減につなげることができず、また人員削減できたとしてもそれにより利益が出ると利益率が高いということで介護報酬改定の際に報酬が引き下げられてしまうため、現場ではデジタル化技術を実装するモチベーションが生まれにくく、ひいては新たな取り組みのための投資余力も生まれてこないという実態がある。農業においては、スマート農業のプロダクトが、特に稲作においてさまざま開発されているが、基幹的農業従事者の7割が65歳以上という事情や96%が家族経営体であり投資の負担は厳しいといった事情などにより積極的に導入が進んでいるとは言い難い。
 技術はあっても社会実装が進まないことの事情はさまざまだが、生産年齢人口の減少が急速に進む現状において、せっかく存在している技術をより効率的に実装しなければ未来を拓くことはできないのではないか。どの領域においても、官民一丸となってその阻害要因を克服する工夫を施し、技術の社会実装に真剣に向き合う必要があろう。

小林 慶一郎 持続性のための新しい世代間倫理の構想を

小林 慶一郎

慶應義塾大学経済学部教授

 世界的なインフレ、気象災害の多発、ウクライナ侵略やイスラエルでの悲惨な戦争による核の脅威の高まりなど、私たちが直面する政策課題は、長期的な持続性の問題に直結している。財政や通貨価値、地球環境、核兵器管理などの分野で、世代を超えた時間軸での持続性をどのように維持するかが問われている。
 世代を超えた時間軸の政策課題を、現在世代だけが意思決定する政治システムで解こうとすると、問題を次世代に先送りする誘惑に抗することができない。財政の健全化、地球温暖化など世代間問題への取り組みが遅れることは、現代人が将来世代の利益を十分に考慮に入れた倫理観や公共哲学を身に着けていないことの自然な結果である。
 哲学者サミュエル・シェフラーは、思考実験として「自分の死後に世界が滅びる」と仮定したら人はどう感じるか、と問いかけた。自分の死後に世界が滅びるなら、いま自分がしている仕事や活動の大半が無意味に思われ、人生に価値を見いだせなくなる。自分の死後も将来世代が存続し続けるという確信があり、自分の人生は、世代を超えた人類の営みの一部なのだという確信があって初めて、私たちは日々の活動に価値を感じることができる。
 このシェフラーの議論と関連して、「将来世代からの承認」という概念も考えることができる。アクセル・ホネットは人間の活動は他者からの承認を獲得することを目的とする「承認をめぐる闘争」であるという。生の価値が他者からの承認に根拠を持つとしたら、私に承認を与える他者は誰から承認されるのか、とたどっていくと、究極的にはまだ生まれない将来世代に行きつく。無限遠の未来の将来世代からの承認が、われわれ現在世代の生の価値を与えるという「将来世代からの承認」を認めるならば、持続性の問題はわれわれの現在の生に直結する。こうした発想に基づく新しい社会契約論が求められている。

小松 正 進化の観点とAI技術でヒューマンセントリックな組織を目指せ

小松 正

多摩大学情報社会学研究所客員教授

 近年、新しい組織のあり方を模索する取り組みが世界的に盛んになっている。キーワードは「分散型」である。ブロックチェーンを応用したDAOも分散型組織の例である。分散型組織に注目が集まっているのは、中央集権型組織よりも分散型組織のほうがヒトにとって低ストレス、いわば、よりヒューマンセントリックであるから、という見方がある。これは進化の観点からも予想されることである。中央集権型組織が一般化する以前の数十万年の間、ヒトの祖先は分散型の狩猟採集社会で生活していた。狩猟採集社会での役割分担はメンバー同士の横のコミュニケーションに基づいて決められ、自分の役割以外の領域にまでも強い発言力を有する中央集権的な決定権者は生まれにくかった。ヒトの性質はこうした分散型組織に適応して進化してきており、中央集権型組織に適応するようにはできていない可能性が高い。中央集権型組織にストレスを感じる人が多いのも当然と思われる。それにもかかわらず多くの国で中央集権型組織が存続していることには、相応の理由(必要性)があるであろう。シンガポール国立大学のナラヤナン准教授の研究チームは、AI技術により中央集権型組織の必要性を低下させ、分散型組織への移行を促進する具体的方策を複数提案している。例えば、マネージャー業務をAIで支援し、1人のマネージャーが管理できる部下の人数を増やすことで組織階層の平坦化を図る、などである。このように今日では、進化の観点とAI技術の活用により、ヒューマンセントリックな組織を実現するためのさまざまな具体的方策を作り出すことが可能となった。働き方改革を掲げる本邦もこうしたアプローチを積極的に導入すべきである。

駒村 康平 国民年金第3号制度の見直しの条件

駒村 康平

慶應義塾大学経済学部教授

 年金財政検証とそれを受けた年金改革はおおむね5年間隔で行われる。2025年は年金改革が議論される年になる。しかしながら、今回の改革でも、国民年金第3号被保険者制度については踏み込んだ議論が行われなかった。他方、経団連、同友会、日本商工会議所、連合といった主要労使団体からは相次いで、3号制度の見直し、解消などが提案されている。
 3号制度を巡っては、1)その費用負担を巡る不公平性、2)「年収の壁」に代表されるように女性の就業行動に非中立的な効果をもたらす、という点が指摘されてきた。特に2)については、厚生年金が適用になる報酬106万円の基準、3号から国民年金1号被保険者に切り替わる130万円の基準額(=壁)の引き上げを求める議論がある。この背景には、足元の労働力不足の状況がある。しかし、基準の引き上げは、結果的に女性を短時間労働者にとどめることになり、本格的な女性活躍社会、経済面でのジェンダーギャップ解消にはつながらない。
 2024年の改革で進められる短時間労働者への厚生年金の適用拡大で、第3号被保険者数は急速に減少し、現在の700万人弱から300万人程度に減少する見込みである。それでも第3号被保険者制度は、結婚時に女性を退職に向かわせ、女性のキャリア形成をゆがめる効果がある。適用拡大後に残る3号被保険者の特性を見極めて、最終的には第3号制度の見直しが必要になるであろう。その際、1)保険料負担を求めた上で基礎年金を全額保障する案と、2)一定収入以下は収入ゼロと見なしてゼロ保険料とし、基礎年金は国庫負担分のみの半額を保証するという選択肢案がある。
 いずれにしても3号被保険者制度を解消するために、1)ワークライフバランスの徹底化、2)さまざまなジェンダーギャップの解消という労働政策とともに、3)ユニバーサルな最低保障年金制度の確立が前提になるであろう。

近藤 絢子 社会保障によるセーフティネット機能の強化を

近藤 絢子

東京大学社会科学研究所教授

 高齢化の進展に伴い、社会保障制度の見直しの機運が高まっている。現役世代の負担を抑えるためには給付の見直しは避けられないが、社会保障制度の本来の目的であるセーフティネット機能は維持していかなければならない。社会保障は世代間だけでなく世代内の再分配の機能も果たすべきだが、その機能が弱いのが日本の現状だ。
 就職氷河期世代以降、若い世代ほど親と同居する未婚の無業者や不安定就業者が増えている。その多くが親に経済的に依存していると考えれられるが、今40~50代にあたる氷河期世代では、高齢となった親に依存できなくなり困窮する事例がすでに顕在化しつつある。また、この世代は、若いころに非正規雇用や無業だったために厚生年金に加入していない期間が長く、したがってもらえる年金が低い人も多く、現在は自活できていても老後の経済状況に不安を抱える人の割合も多い。
 すでに中高年となっている世代に対して、就労支援を通じて自助努力を促すのには限界がある。とりわけ、低賃金・不安定な雇用形態で働く、就業はしているが生活が苦しい層に対して、給付付き税額控除など何らかの形での再分配を導入すべきだ。また、年金についても、何らかの形で高齢者の間での世代内再分配機能を持たせたりするような方法は取れないだろうか。
 財政学は私の専門ではないので上記の方法は的外れな提案かもしれない。ともかく、そろそろ本腰を入れて具体的な議論をしなければ手遅れになってしまう。氷河期世代が高齢者となるまであと十数年しかないのだ。

権藤 恭之 定年退職制度を廃止し幸福長寿社会を実現せよ

権藤 恭之

大阪大学大学院人間科学研究科教授

 2024年、私は「幸福長寿社会に向け老年学教育を推進せよ」というタイトルで老年学教育を推進することが、多世代でしあわせを共有できる長寿社会への道しるべとなると提言した。2025年もこの見解を変更はしない。ただし、昨今の状況を鑑みて、このようなボトムアップで社会を変革する試みだけでなく、今年度はさらに先鋭的に、社会をトップダウンで変革するアプローチとしてエイジズム(年齢差別)の解消のための定年退職制度の廃止を提案したい。
 近年、高齢者に対する差別意識であるエイジズムが老年学で注目されている。エイジズムという概念自体は、1970年代から提唱されており、レイシズム、セクシズムとならび、3大差別の一つと位置付けられている。厄介なことにエイジズムは、敬老精神や高齢者を弱者として擁護するという善意を背景としても現れる。また、他の2つの差別と異なり、年を重ねる限り自分自身が差別の対象になりえる。さらに、良きにつけ悪きにつけ「高齢期は衰えるものだ」という考えは、最終的には自分自身の加齢にも悪影響を与える。エイジズムが蔓延する社会では、その影響を受けた個人が自身の未来を悲観的に展望し、行動を過剰に制限することで、高齢期における自分自身の可能性をスポイルしてしまうと予測される。
 近年の老年学研究は、個人差はあるものの、高齢者の健康や諸機能が時代に伴って向上していることが報告されている。高齢者の定義を見直す提案もなされている。定年退職制度を維持することは、社会がエイジズムを許容していることの表れに他ならない。エイジズムの元凶ともいえる、定年退職制度の廃止し、幸福長寿社会を目指すべきである。

 識者 さ行

西條 辰義 私たちの存続可能性

西條 辰義

京都先端科学大学特任教授

 南アフリカのスワートクランズの洞窟で150万年ほど前の少年の頭がい骨の化石が発見されている。ヒョウにかみ殺されたようだ。ほぼ同じ時期・場所で、原人たちが火を使い始めた証拠もある。原人も肉食動物も火を恐れる。しかし、火をうまく使うことで、自分たちを守ることができる。サイエンスライターのクリブさんは、脳の容量が私たちの3分の1以下の彼らが「未来を見通し、起こりうる脅威を想像し、それに対処する方法を抽象的に構想する能力」を発揮し、パラダイム・シフトを起こしたのだと推測している。この能力を「存続可能性」と名付けよう。
 私たちはどんな「脅威」に直面しているのだろうか。起こしてしまった脅威はたくさんある。ミャンマーの軍事政権、ロシア・ウクライナ戦争、ハマス・ウクライナ・ヒズボラ紛争。ロビンソンたち(2023)によると、地球環境の9つの領域のうち、すでに6つの領域で元に戻ることのできない許容限度(tipping point)を超えている。一方、WWFの「生きている地球指数」(2024)をみると、私たち以外の魚や脊椎動物は、1970年と比べると、2020年には73%減っているとのこと。同じ時期に私たちの数は倍増している。
 私たちは未来を見通しているのだろうか。2024年秋の衆議院総選挙で将来の社会のデザインに言及した政党は皆無である。代表民主制には未来を見る目が欠如しているようだ。選挙の候補者は、今生きている人々が得をする政策しか考えていない。
 しかし、私たちは原人たちが持っていた能力を引きついでいるはずだ。今こそ、私たちが存続可能性を発揮できる社会の仕組みのデザインを始め、パラダイム・シフトを起こそうではないか。

坂 明 高次の目的を踏まえたコミュニケーションを進めたい

坂 明

公益財団法人公共政策調査会専務理事

 米国の建国の父たちには、ジョージ・ワシントンの正直についての桜の木の逸話、ベンジャミン・フランクリンの勤勉・誠実・正義・謙譲を含む13徳目などのイメージがあるが、次期大統領については、必ずしもそのような資質を備えている、あるいは尊重しているというイメージはない。
 こうした徳目や国際的な規範・取り決めについては、今や世界においても十分に重視されているとは言いがたい状況が生まれつつある。国民自体も、それぞれの国の中での分断が進んでいるように思われる。
 また、AIのような存在に、倫理的な行動を自ら取ることを期待することも難しい。
 その意味では、今、世界は、新たな価値体系・認識枠組みを求めて苦闘をしている状況であるように思われる。あるいは、これまで覆い隠されてきた、人間や組織の本来の性質・抗争の実態があらためてあらわになってきたということであるのかもしれない。
 分断され両立し得ない価値もあるとは思うが、ディールというか、まさに密なコミュニケーションと、少なくとも当事者間では誠実な対話を通じて、高次の目的(平和はその1つであると思う)を念頭に置きながら、現実を組み上げていく営みを冷徹に行っていく必要があるように思われる。
 こうした国レベル、組織レベルの取り組みの基礎となるのは、当然ながら1人ひとりの国民、人間の有様であると思う。認識のバブル化やコミュニケーションの減退が言われるが、当事者には実は悪気や積極的な意識は余りないように思われ、従って、深い部分・抽象的部分で、思い・認識・経験・歴史を共有し、それを認識することによって、分断を作り出している壁や覆いを破壊していくことができればと思う。

佐々木 隆仁 新型コロナウイルスで進む法務のDX

佐々木 隆仁

リーガルテック株式会社代表取締役社長

 新型コロナウイルスにより、ワークライフバランスが大きく変化した。会食文化が減り、家庭での支出規模が増え、消費のトレンドも変化し、テレワークが一気に普及し、経済活動も家庭で行われるようになった。在宅勤務やオンライン授業など、ホームコノミー(Home+economy)の共通点は、居住空間だ。コロナ危機は、住居空間であった家を生産、消費が行われる社会経済空間へと変貌させた。ポストコロナ時代に到来する不可逆な変化のため、建築、物流、交通をどうするかという専門家Web会議が世界中で開催されている。専門家は、ポストコロナ時代、最大の変化がある空間に「家」を挙げている。
 新型コロナウイルスの影響で運輸、卸小売、飲食、宿泊、文化事業は対面業種を中心に大打撃を受けたのに対し、情報通信産業は好調に推移している。デジタル技術を活用したサービスの拡大が注目されており、外部から利用できるクラウドサービスは、第5世代移動通信(5G)などの先端技術により、需要が更に高まることが予想されている。一番遅れているのは、法務部門のデジタル化だということが再認識され始めている。テレワーク中にハンコを押すためにわざわざ出社しないといけない社員が続出するなど、法務のDX化の遅れが大きな課題として注目された。時間は、かなりかかるが、裁判手続きのIT化も政府主導で少しずつ進んでいる。ピンチをチャンスに変えるためには、企業で最も遅れている法務部門のデジタル化に真剣に取り組むことが必要だ。法務のデジタル化が進むことで、全体の業務効率の改善が期待できる。法務のDXがアフターコロナの時代に生き残るキーワードになるかもしれない。

貞森 恵祐 エネルギー転換の不確実性に備えよ

貞森 恵祐

国際エネルギー機関エネルギー市場・安全保障局長

 太陽光PV、風力等再生可能エネルギーが史上最高の増加を記録する等エネルギー転換は順調に進んでいる。他方で、化石燃料需要も増加しており、石炭ですら2024年に消費量の最高記録を更新する勢いである。低炭素技術は世界のエネルギー需要の純増分に対応しているが、化石燃料需要を減らすまでに至っていない。国際エネルギー機関の世界エネルギー展望World Energy Outlookの2024年版では、EV普及、再生可能エネルギーー特に風力発電ーの増加、ヒートポンプ普及、発電、産業部門での燃料転換などエネルギー転換が実際に進展するスピードの不確実性によって石油やガス需要がどれだけ増加あるいは減少し得るのかという分析を行っている。加えて、AI利用に伴うデータセンターでの電力需要増加によって、エネルギー需要全体が上振れする可能性も高い。COP28で合意されたとおり、化石燃料からの移行に向けて最大限の努力をしなければならない一方で、化石燃料需要が下がらない場合には、それに備えた供給側の備えに怠りがあってはならない。さもなければ、世界経済を支える血液たるエネルギーが不足し、コスト高騰を招く結果となる。また、異常な高気温、干ばつ、洪水など激しい気象変化は既に起こっている。気候変動抑制に全力を尽くすことは必要であるが、気象変化に適応して人々の命・生活を守る具体的な措置も講じていかなければならない。洪水が起こる度に気候変動のせいだと非難しても人の命を守ることはできない。治水対策など具体的措置の強化が必要である。

佐藤 主光 いまこそ財政の強靭化を

佐藤 主光

一橋大学大学院経済学研究科教授

 政府は国・地方を合わせた基礎的財政収支(PB)を2025年度に黒字化させる目標を掲げてきた。コロナ禍の経済の回復もあり、2023年度の国の税収は73兆円超と過去最高を記録している。内閣府は2024年7月に公表した試算において今後とも歳出改革を続けた場合、好調な経済を背景にPB黒字化が視野に入るとしていた。
 ここに来て財政の健全化に黄色信号が灯っている。政府は所謂「103万円の壁」(所得税の課税最低限)の見直しを決めた。仮に基礎控除・給与所得控除を(国民民主党の要求通り)178万円まで引き上げると所得税・住民税の減収は7兆円から8兆円に達するとされる。今後、控除の増額幅などを調整する動きもあろうが、恒久的な減税となれば財政悪化は避けられない。もっとも国民・政治家の危機感は乏しい。
 しかし、我が国の経済・財政の状況は厳しい。物価水準は上昇基調にあり、既にデフレから脱却している。慢性化する労働不足を補うだけの生産性の改善がなければ持続的な成長も見込めない。日本銀行は金融政策を転換して国債の購入を減額している。国内の金融機関がこれを補う状況にはなく、国債消化のため外国人投資家への依存が高まると(彼等の日本国債に対する低い格付けを背景に)金利が急騰しかねない。
 ここに有事が生じたらどうなるか?近年、気候変動の影響で甚大な風水害頻発している。首都直下地震や南海トラフ地震のリスクも高い。加えて、台湾有事の可能性など我が国の安全保障も危うい。財政は災害復興や被災者支援、防衛装備品の調達など有事に対処する役割がある。平時の財政悪化は有事におけるこうした財政の機能を損なうだろう。「国土強靭化」として防災投資が進められているが、強靭化は今の財政にこそ求められている。有事が起きてからでは遅い。

志水 宏吉 令和の日本型教育は実現できるか

志水 宏吉

武庫川女子大学教育研究所所長・教授

 2021年、文部科学省は「令和の日本型学校教育」というコンセプトを打ち出した。「個別最適な学び」と「協働的な学び」の同時実現をめざすというものである。「ゆとり教育」や「たしかな学力」や「生きる力」などが、それぞれの時代の学校教育で追求されてきた。そして、ポストコロナ時代の学校に求められているのが、「個別最適な学びと協働的な学びとの統合」である。
 とりわけ強く打ち出されているのが、「個別最適な学び」である。その背景にあるのが、生成AIに代表されるICTの加速度的な発展とそれに遅れをとってはならないという関係者の危機感である。文科省によると、「個別最適な学び」には、「指導の個別化」と「学習の個性化」という二本柱が必要である。そこにあるのは、独立した個人が、自らの個性や能力を伸ばすために、情報機器を駆使してどんどん学習を進めていく姿である。決まった内容を標準的なスピードで皆に習得させようとしてきた従来型の授業の形とそれとをぴったりと重ね合わせることは難しい。
 教室には、いろいろな背景や特性をもった子たちがいる。端的に言うなら、勉強が苦手な子や主体的に取り組む意欲が出にくい子もいる。その子たちに「個別最適な学び」だけを押しつけてもうまく機能しないだろう。文科省も、第2の重要な要素として「協働的な学び」というものを付加している。具体的には、子どもたち同士の学び合いや教え合いである。
 協働的な学びが教室における学習活動の基盤となり、その土台のうえで個別的な学びが構築されなければならないと私は考える。決して逆ではない。教育関係者は、その関係性を常に心に留めておく必要がある。

清水 洋 イノベーションのための2つのリスクシェア

清水 洋

早稲田大学商学学術院教授

 イノベーションにはリスクがつきものです。新しいことなので上手く行かないことも多いのです。だからこそ、リスクをとることが大切です。そして、そのためには、リスクのシェアが重要です。リスク・シェアがされていないのに、リスクをとるのは、山師です。
 リスクのシェアで重要なのは、分散投資です。スタートアップのための資本市場の整備や年金への規制緩和などがあり、投資家は広く分散的に投資をできるようになっています。その結果、スタートアップなどを中心にリスクがとれるようになっているのです。既存企業では、さまざまなビジネスを抱えることにより、ビジネスの分散的なポートフォリオを組めます。だからこそ、新規性の高い領域にも投資ができるのです。
 しかし、イノベーションのリスクはこれだけではありません。イノベーションによりスキルが破壊されるリスクもあります。蒸気機関の登場により、動力としての馬は陳腐化しました。人工知能などが人のスキルを陳腐化する可能性が見えてきています。人々のスキルの形成はどうしても、集中的な投資にならざるを得ません。私たちの時間に限りがあるからです。そのため、どうしてもリスクは高くなり、スキルが破壊されたときに脆弱になります。個人がそのリスクを背負いがちになります。自分のスキルが陳腐化しないようなリスキリングの必要性はここにありますが、それだけでは十分ではありません。社会としてスキルの破壊のリスクの共有を進める仕組みづくりをどれだけ問われるのかが、これからの世界の大きな課題だと思います。

清水 亮 生成AIハイプをどう乗り換えるか

清水 亮

AI/ストラテジースペシャリスト

 生成AIはハイプ(誇大広告)の時代をなかなか脱却できていないでいる。本稿執筆は2024年10月末だが、本稿が公開される時点においてもこの点はほとんど変化していないだろう。世界はあまりに多くの投資家が生成AIハイプに熱狂し、ビジネス的な出口もはっきりしないまま大金が動いている。
 生成AIの技術的な進歩は確かにあるが、それがビジネス的な価値創造につながるかどうかは別問題だ。と言いつつも、この原稿も生成AIの支援を受けて書いている。
 今や筆者のようなプログラマーが普段使用するツールには生成AIが最初から組み込まれており、プログラムを書こうとすると、プログラマーが何を書くか具体的に意識しなくても、生成AIがプログラムでも原稿でもを生成してしまう。
 筆者は生成AIを使って企画書や原稿を書き、生成AIが生成した絵を使って展示会の展示を行っている。ならば、生成AIに実際に価値を見出しているではないかと指摘されるかもしれないが、実際には生成AIは高級な万年筆とか、高級キーボードくらいの価値は確かにある。
 そう考えると、現在、生成AIの利用料金が月額20ドル程度なのは妥当と言える。手元に置いておける計算機で生成AIを動かせば、数十万から数百万円の出費で済む。まさに高級万年筆のような価値は確かに存在する。
 しかし、高級万年筆が手元にあったとしても、それで何を書くか決めるのは常に人間であり、生成AIは人間の能力を拡張するが、分母である使用者が生み出す価値がゼロなら、何倍してもゼロのままである。これから益々人間の価値が問われる時代になるだろう。

菅沼 隆 《対等なインタラクション》を築け―イノベーティブ福祉国家を作る

菅沼 隆

立教大学経済学部教授

 北欧福祉国家は欧州のイノベーションをリードしており、また、賃金が継続的に上昇し、社会的格差も小さい。私はそれを「イノベーティブ福祉国家」と名付け、デンマークを対象にその構造を研究してきた。研究を通じて、「新しい資本主義」にも示唆が得られたと考える。
 イノベーションが、職場、部局間、企業間、顧客など多様な人格同士の「対等なインタラクション(相互交流)」によって誘発されることは常識となっている。
 1、企業内部においては「フラットな組織」、「広い従業員の裁量」、「管理職の率直性・寛大さ」、「形式主義の排除」、「従業員の生活保障」、「パワハラがない職場」などが対等なインタラクションをもたらし、《従業員主導のイノベーション》を誘発することが各種研究で証明されている。
 2、職業訓練・リスキリングが社会的に、労使政共同で、行われる必要がある。技能・熟練が企業を超えて通用することが重要である。職人(専門職)として採用・転職が可能となるからである。経営者は、職人として採用した従業員に、裁量のある仕事を任せることが可能となる。これにより「対等なインタラクション」が実現する。
 3、福祉国家システムとしては、職業的属性に関係なく、シティズンシップが国民に平等に保障され、社会的格差が小さいことが重要である。例えば、大企業と中小企業の労働者の間で、官と民の間で、正規労働者と非正規労働者の間で、あるいは、被用者と自営業の間で、生活保障に格差があると、対等性が損なわれ、自由闊達なインタラクションは起こらないし、転職も起こりにくい。職業的属性により生活保障に格差がある日本の社会保障制度がイノベーションを阻んでいることを自覚しなければならない。

鈴木 康裕 日本の医療費は本当に高いのか?

鈴木 康裕

国際医療福祉大学学長

 かつては「医療費亡国論」なるものが喧伝されたし、現在でも財政当局は医療財政の引き締めに躍起となっている。
 確かに、我が国の一般歳出に占める社会保障経費の割合は35%とOECD平均20%を大きく上回っている。
 それでは、OECD諸国の間で、国民所得に占める社会保障経費の割合(国民負担率)は我が国は高いのであろうか?
 日本は高齢化率(29.1%)が群を抜いて高い。高齢者の割合が高ければ、年金や福祉、医療に対する出費は増えるため国民負担率は高くなるはずだが、我が国の国民負担率は2021年では48.4%でOECD加盟国中で中位以下である。なぜか?
 日本は、法人税を除いて、消費税収(独仏の2/3程度)や個人所得税収(同じく2/3程度)が低いので、これ以上、社会保障にお金をつぎ込めないのだ。GDPに対する税収の割合は、日本では18.6%で、OECD諸国の下から3番目だ。つまり、社会保障にお金をかけすぎているのではなく(高い高齢化率を考えると、その額はむしろ控えめ)、国民からきちんと税という形で負担してもらっていないのだ。これ以上の締め付けが進むと、多くの医療機関の経営が行き詰まり、結果として医療へのアクセスが大幅に制限されて国民に不利益をもたらす危険が大きいことに気づく。
 税金を上げることは政策的には不人気だが、サービスに見合った負担を求めることは間違っていないし、それをせずに次世代にツケを残すことは、膨大な借金を抱えて他国と競争することを子孫に強いることになる。
 聞き心地のいい選挙演説ではなく、日本という国家の経済状態を、家計と同じように考え、根本的な方策をとる指導者に巡り会いたいものである。

関 治之 「デジタル公共財とコミュニティで築く、支え合いの社会」

関 治之

一般社団法人Code for Japan代表理事

 いま、日本のシビックテック(市民による課題解決のためのIT活用)は大きな転換点を迎えている。2011年の東日本大震災を契機に始まったこの動きは、全国で90を超える各地のCode forの活動につながった他、オープンデータ活用などでも着実に成果を積み重ねてきた。しかし、この10年で見えてきた課題もある。1,700を超える自治体がそれぞれ独自のシステムを構築・運用する現状は、人口減少時代においてもはや持続可能ではない。
 その打開策として、私たちは「デジタル公共財」とそれを育むコミュニティの醸成に注力している。デジタル公共財とは、オープンソースソフトウェアやオープンデータなど、誰もが自由に利用・改変できるデジタル資産を指す。しかし、ツールを作るだけでは十分ではない。それらを活用し、改善し、広げていく人々のつながりこそが、持続可能な公共サービスを支える基盤となる。
 実際にEUでは、行政職員、技術者、市民活動家が協力し合うコミュニティが、デジタル公共財を通じて行政システムの相互運用性向上やコスト削減を実現している。日本でも、地域のデータ連携基盤などで同様の動きが始まっている。私たちの目指すのは、行政・企業・市民が垣根を超えて支え合う「共創型」のデジタル社会だ。地域ごとの分断を超え、人々の知恵とつながりを集結させることで、より豊かな公共サービスを実現する――新しい年を迎え、その実現に向けて全力で取り組む決意を新たにしている。

瀬口 清之 モラル教育の再興こそ喫緊の課題

瀬口 清之

キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

 ウクライナやガザでは一般市民が国家リーダー間の争いの犠牲になり、中国では社会に不満を持つ人々による無差別殺人が増加。日本国内では金もうけ目当ての闇バイトの犯人により一般市民が連日のように襲われている。どの国も法の支配、法治を重視し、企業はルールで厳格に規定されるガバナンスやコンプライアンスの順守を重視する。しかし、ルールの強化で戦争を防ぎ、社会を安定させ、経営を改善できた事例は耳にしない。国家も企業も当事者1人ひとりが誠実に内省し、お天道さまが見てると思いながら自分の心を正しくしようとしなければ、どんなルールを設けても「やったふり」にすぎない。人々の心を正しく保つのは目に見えない内面の規範である。規範が弱まると国家や企業のリーダーは私利私欲に走り、上記のような問題が頻発する。
 国であれば国民、企業であれば従業員が安心して幸せな毎日を過ごすことを目指すのは全てのリーダーの共通目標である。ルールを強化するだけではその目標は達成できない。心の規範に基づく実践が問題解決の大前提である。実践に最も真剣に取り組むべき政治リーダーや企業経営者に不可欠な資質は他者のために自己の最善を尽くしきる人間性である。
 グローバル社会や各国の混沌こんとんとした現状を打開するには、至誠を貫き目の前の共通課題に取り組むリーダーを1人でも多く生み出すことが必要である。それを実現するには教育予算を拡充し、教師を養成し、モラル教育の再興を通じて人格形成を促すしかない。いま日本の小中学校では不登校の子供が統計上では3%台、実態は約1割に達していると言われている。子供たちは自分の苦しみを誰にも伝えられずに心の中で悲鳴を上げている。日本の高齢者介護人員配置は世界トップレベルだが公的支出に占める教育予算の割合はOECD36カ国の中で最低レベルだ。まずは子供たち1人ひとりの心に真剣に寄り添い、学校教育の充実によって不登校を減らして個々の才能を伸ばす。その中から将来の世界と日本の難題に取り組むリーダー人材を育むことこそ喫緊の課題である。政治家、経営者、学者、有識者の全てがこの認識を共有し、即座に実践行動に着手すべきである。

園田 耕司 石破茂首相の直面する「内憂外患」

園田 耕司

朝日新聞政治部次長

 衆院選の大敗で少数与党に転落した石破茂首相は前途多難な「内憂外患」に直面している。国会で法律や予算を通すためには必ず野党の協力が必要であり、自公国3党の政策協議が終始、野党・国民民主党のペースで進んだように、石破首相は政治決定の主導権を事実上失っている。野党側が団結すれば内閣不信任案も可決される状況下にもあり、石破首相は綱渡りの政権運営を強いられている。
 足元の自民党内では、衆院選大敗の責任をめぐる石破執行部批判がくすぶる。石破首相はもともと安倍政権のありようを批判し続けてきた非主流派であり、党内基盤は脆弱ぜいじゃくだ。総裁選で戦った高市早苗前経済安全保障相らライバルたちは石破首相に対する党内の不満を吸収するかのように水面下で議員らとの会合を重ねている。今のところ、派閥の裏金事件をきっかけにほとんどの派閥が解散を決めて従前の党内秩序が壊れ、党内の液状化が進む中、公然と首相退陣を求める動きはない。しかし、7月の参院選を前に石破政権の支持率が低迷を続けていれば、選挙を控える参院自民側から「石破降ろし」の動きが出てくる可能性がある。
 一方、米国では、アメリカ・ファーストを掲げるドナルド・J・トランプが復権した。トランプ氏は、米国は日本を含む同盟国に長年搾取され続けてきたという強い被害者意識をもつ。2期目も1期目と同様に、日本に対して巨額の米軍駐留経費負担などさらなる安全保障分野の負担増を求めてくる公算は大きい。通商政策をめぐる対日圧力も強めるとみられ、新たな貿易交渉を仕掛けてくる可能性も否めない。石破首相は国内外ともに極めて難しい対応が求められている。

 識者 た行

高口 康太 地政学から貿易摩擦へ、トランプ2.0における対中関係のキーファクターとは

高口 康太

ジャーナリスト/千葉大学客員教授

 「中国経済の減速が気がかりだ」
 2024年の『日本と世界の課題』の寄稿ではこの書き出しから始めたのだが、1年が過ぎた今、不安はより大きなものとなっている。経済成長率だけ見ればまだ大きな破綻はないが、止まらぬ不動産価格の下落、消費マインドの冷え込み、物価の低迷など2024年よりも悪化した点も多い。経済減速は2021年ごろから顕在化してきたが、いまだに出口が見えない。
 その要因は複数あるが、1つには中国政府の財政出動が抑制的なためだ。2024年秋には赤字国債の増発による大規模な財政出動も予測されたが、ふたを開けてみると地方政府の隠れ債務を地方債に置き換えることにとどまり、マーケットの期待は空振りに終わった。もっとも周囲が勝手に政策転換を期待していただけで、習近平政権の方針は一貫しているとも言える。金融システムと地方政府が破綻しないように予防策は講じるものの、財政出動による需要拡大には消極的。究極的には「新しい質の生産力」に代表されるような供給サイドの改革によって、長期的な経済成長の底上げを狙う。この方針は一貫している。しかし、経済低迷で需要が縮小しているなかで、改革によって供給力が向上すれば、中国国内で消費しきれなかった財は海外へと向かうことになる。
 第1期トランプ政権からバイデン政権にかけての米中対立、デカップリング論は安全保障という観点のものであり、日本や欧州は米国にひきずられてデカップリングを強いられたという面は否めない。しかし、今後は安全保障以上に貿易不均衡が焦点となりそうだ。中国の輸出にどう向き合うか、日本や欧州、さらにはグローバルサウスの国々にとって、米国に強いられたものではない、各国喫緊の課題として表出しつつある。

高松 平藏 情報哲学の教育と、地域コミュニティ環境への投資を増やせ

高松 平藏

ドイツ在住ジャーナリスト

 民主主義の根幹を支えるジャーナリズム。「イズム」という語尾に着目すると、批判的思考や事実と意見の区別など、民主主義の価値観に基づく情報の扱い方を指す。この考えを「情報哲学」と呼び議論を進める。
 今日、世界中で民主主義が揺らぎ、SNSの影響力が急増している中、メディア環境は大きく変化した。情報の流通量が爆発的に増え、誰もが情報の受け手であり発信者でもある。このため、多くの国で学校や社会人教育において情報哲学(ジャーナリズム)を学び、読解力と発信力を身につける必要が高まっている。
 この観点で日本に目を転じると、「マスゴミ」といったメディア批判に違和感を覚える。というのも、メディアは「ジャーナリズムの容れ物」にすぎないからだ。従来型メディアでも電子メディアでも、大切なのは解読・発信する情報がどういう考えに基づいているかが重要だ。容れ物の批判も時には必要だが、本質的には情報思想を問うべきだ。
 さて、投票は民主主義の氷山の一角で、自主的な共同体が、より重要な役割を果たす。趣味の集まりから社会貢献まで、形はさまざまでいい。そこで情報哲学を身につけた人々が実際に交流を深めることで、意見形成の力や情報発信する能力が磨かれていくだろう。
 そのためには、地域のコミュニティ活動を支える環境づくりが欠かせない。「場づくり」など具体策に加え、例えば労働時間・通勤時間の短縮を「個人の可処分時間増加」政策とすると、コミュニティの参加が容易になる。社会構造をデザインする観点がカギだ。
 信頼でき、活気のある民主主義。それは民主主義に沿った情報哲学の教育と、地域のコミュニティ環境への投資にかかっていると思う。

高宮 慎一 突き抜けるスタートアップの集中的支援×日本の優位性の活用

高宮 慎一

グロービズ・キャピタル・パートナーズ代表パートナー

 日本が再成長し、社会全体として活力を取り戻すためには、スタートアップの育成が喫緊の課題だ。白地で新産業を立ち上げるのはもちろん、製造業など旧来の基幹産業の再成長のためにもスタートアップ発のイノベーションの取り込みが必要だ。
 政府も、「骨太の方針」や「スタートアップ育成5カ年計画」で、スタートアップ育成を力強く推進している。2023年にはスタートアップの資金調達額は9,663億円に達し、上場後も含めると時価総額1,000億円に到達したスタートアップは69社に至る。
 次なるチャレンジは時価総額1兆円規模で、産業の核となるようなスタートアップの育成だ。そのためには、1,000億円規模に達したスタートアップをさらに飛躍させることへの注力が必要だ。上場後スタートアップの支援政策の拡充、数百億円規模の資金を供給するグロース投資家の育成、人材の有望領域への戦略的シフトを可能とする労働流動性の向上などだ。
 マクロ的には、今、日本はここ20年で最も良いポジションにある。地政学的変化は、半導体の日本回帰、米国と連携した次世代エネルギーの開発、相対的な米国市場へのアクセスの良さなど追い風となっている。構造的な人材不足も、逆手に取れば破壊的イノベーションであるAIのいち早い普及を後押しするだろう。製造業で脈々と培われた生産技術もAIと相性が良い。さらには、伝統的文化に加え、マンガ、アニメなどのポップカルチャーも世界で高く評価されている。
 ジャパン・アドバンテージを活用しながら、規模化したスタートアップをさらなる成長のために集中的に支援し、それを支えるグロース資金の担い手を育成することで、世界で勝つスタートアップを生み出せるだろう。

高安 健将 選挙サイクルと長期的政治課題

高安 健将

早稲田大学教育・総合科学学術院教授/成蹊大学名誉教授

 2024年は世界的な「選挙イヤー」であった。選挙はデモクラシーにとって選挙サイクルの起点であり終点となる。有権者は、選挙に際し、次の数年、誰に、どの政治勢力に、権力を委ねるかを選択する。候補者や政党からすれば、次の選挙までに一定の「結果」を出すことを求められ、結果責任を問われる。
 選挙サイクルは、議会や大統領職の任期により異なる。2年から5年が多いであろうか。ところが、近年、注目される重要課題は長期的課題である。気候変動問題への対応が次の選挙までに効果を出すわけではない。原子力利用に伴う「核のゴミ」を保管しなければならない期間は10万年とされる。各国で積み上げた長期債務、日本銀行が抱える巨額の国債も、安定的に減らすには何十年という時間を要する。戦争や軍事作戦をあおり開始する政治家も、長期的な影響に責任は負えない。
 このように長期に影響が及ぶ課題についても、政治家は人びとの将来を左右する決定を行い、あるいは先送りする。問題は、決定の影響がずっと後になって現れることである。その時、有権者はもはや政治家を選挙で罰することができない。政治家は、次の選挙までの間だけ、結果を問われず、自らにマイナスとならない決定を行うインセンティブをもつ。選挙サイクルは、長期的課題について、政治家のモラルハザードを誘発する。
 選挙に勝てば多数派である。しかし、選挙に勝っただけで、長期的課題について、その時の多数派のみで未来を強く縛る決定を行うことには慎重でなければならない。決定を行った者が誰もその責任を取ら(れ)ないからである。結果は皆で引き受ける他はない。有権者は、長期的課題に取り組むうえで、選挙だけでは、政治家の手綱を握れてはいない。長期的課題は、社会のより大きな合意を必要とする。

瀧 俊雄 「簡素」はどこへ消えた

瀧 俊雄

株式会社マネーフォワード執行役員グループCoPA

 2024年に最も注目された政策ワードは「103万円の壁」であった。議論では手取りの増加から男女共同の社会参画、働き方の変革などさまざまな思惑が交差したが、これは政策の広報における1つの敗北事例だったのではないか。
 林正義著「税制と経済学」(2024年、中央経済社)に詳しいが、2018年以降、一般的な配偶者の就労抑制が起きそうな制度の壁は、税ではなく社会保険の扶養判定の基準である130万円の水準にある。しかし多くの調査では依然として103万円での壁が観察されており、政策の改善にも関わらず理解がアップデートされずにいる。今後も同じような議論が起こりかねない中、最も貴重なリソースである時間が費消されている。
 配偶者に関する控除という、割と初歩的な税制でもこのような状況が起きる。そして、税・社会保障の世界ではそれ以外にも、そろばん時代を彷彿ほうふつとさせる報酬月額の計算、厳密な公平性・中立性を優先するあまり専門家でも覚えきれない規定など、制度の簡素さよりもさまざまな経緯・理屈付けが優先されている。事態をさらに複雑化させるのは政治が持つ誘因であり、その時々の例外追加が、政治的成果としてアピールされていく。
 アテンションエコノミーである現在において、制度のおおまかなメカニズムや意義を理解しない人が増えていくことは想像に難くない。それはひいては、自身の負担・便益だけを関心事としていく流れを形成してしまうだろう。一会計ソフト事業者として、できるだけ制度を身近にする努力をしていければと思うが、同時に「簡素」が税の重要原則であり続ける仕組みを統治構造の中で確保しないと、それは犠牲になり続けると思われる。

滝澤 美帆 中小企業の潜在力を引き出し、生産性向上を実行せよ

滝澤 美帆

学習院大学経済学部教授

 日本の中小企業は、全企業数の約99.7%を占め、就業者数の約70%を担うなど、国内経済を下支えする重要な存在である。しかし、その生産性は大企業と比較して依然低く、労働生産性は大企業の約60%程度にとどまるとの指摘がある。一方、欧州では中小企業向けのデジタル化支援策が進められ、ドイツの「ミッテルシュタンド」に代表されるような、小規模ながらも世界的ニッチ市場を獲得する成功モデルが存在する。これらの企業は、長期的な視点で技術開発と人材育成を行い、国際的な競争力と高い生産性を維持している。また、アメリカではスタートアップ企業が先進的なデジタル技術を積極的に活用し、高付加価値を創出することで相対的に高い生産性を実現する事例が多く見られる。
 一方、日本の中小企業が生産性を伸ばせない背景には、資本や人材の不足に加えて、デジタルトランスフォーメーション(DX)の遅れがある。先進的なデジタル技術を本格的に取り入れている中小企業は全体の2割以下との調査結果もあり、海外市場や多様化する顧客ニーズへの対応が不十分な実態が浮き彫りになっている。
 こうした課題に対処し、生産性を向上させるためには、資本装備率の引き上げやイノベーション創出が重要である。政策面では、設備投資減税やIT導入補助金の拡充、人材育成プログラムの整備、産学官連携、そして企業間連携の促進が有効な手立てとなる。総合的な取り組みによって、中小企業が内包する潜在力を最大限に引き出し、生産性向上と持続的な成長への道筋を示すことが求められている。

竹ケ原 啓介 サステナブルファイナンスは踊り場を迎えているのか

竹ケ原 啓介

政策研究大学院大学教授

 近年関心を集めてきたサステナブルファイナンスに厳密な定義はない。2050年カーボンニュートラル実現に必要な膨大な資金需要のうち民間が担う部分、EUタクソノミーが規定するプロジェクトへの投融資など、捉え方はさまざまである。ここでは、環境問題などの社会課題の解決を通じて持続可能な社会を実現する金融機能と広く捉えておこう。最近、そのサステナブルファイナンスが、米国の反ESGの動きや、資材高・金利上昇による大型グリーンプロジェクトの頓挫などを背景に、踊り場を迎えたとの指摘が目に付く。実際、グリーンボンドなど、拡大を続けてきた、いわゆるラベル付きボンドの発行ペースも鈍化傾向にある。発行体がサステナブルファイナンスに魅力を感じなくなり、投資家も合理性に疑問を持っているとしたら、大きな潮目の変化だ。
 サステナブルファイナンスの背景には、社会課題の解決と同期した価値創造を市場が正しく評価すれば、金融市場の「効率性」により、おのずと持続可能な社会が実現するという期待がある。潮目が変化しているとすれば、効率的市場仮説に基づくこの期待が失われつつあることになるが、現実は異なる。資金使途の特定・非特定というプロダクト別にみれば、前者では、狭義のグリーンプロジェクトに加えて、これに不可欠な貢献を果たす上流の財を対象に追加(イネーブリングプロジェクト)する方向にあり、また、企業の姿勢を評価する後者では、パフォーマンス測定に関して、GHG偏重を改め、自然再興や資源循環を測る指標の検討が精力的に進められている。いずれも情報の透明性を高めつつ、サステナブルファイナンスの対象を拡張する動きであり、この機能への期待は依然強いといえる。

竹村 彰通 デジタルを活かした地方創生

竹村 彰通

滋賀大学長

 3年間にわたって続いたコロナ禍による行動制限も終わり、インバウンド旅行も回復するなど、コロナ以前の生活が戻ってきているように感じる。一方で、コロナ禍で生じた変化が定着した面もある。例えば大学におけるオンライン講義は、コロナ禍当初に必要に迫られて始めたものであったが、オンライン講義にはそれなりの利点もあり、現在でも対面講義と併用されている。実は対面講義であっても、学生は教室内でノートパソコンを開いて資料を確認していることもある。遠くの黒板やスクリーンを見るより、手元のノートパソコンのほうが、資料が見やすいからである。企業等でも、定常的な打合せなどは、わざわざ出張せずオンライン会議で済ませることも多くなったと思われる。
 このようなデジタル化の進展は地方創生の観点からも重要である。これまで大都会に人が集まったのは、情報の集積のメリットがあったためと考えられる。デジタル化により、大都会の独占的なメリットが一部解消された面がある。一方、地方には豊かな自然や職住近接のメリットがある。実際にリモートワークが許される職種では、地方へのUターンの動きがみられる。筆者が住む滋賀県彦根市は、2019年の日本経済新聞の調査でテレワーク環境充実度が全国1位であった。インバウンド観光においても、SNSなどの情報から外国人旅行者が日本の地方に魅力を感じて訪れている。政府もデジタル田園都市国家構想を進めようとしている。デジタルを活かした地方創生は日本の将来にとって1つの重要な方向性である。

辰巳 哲子 「主観」を交わす職場が未来を拓く

辰巳 哲子

リクルートワークス研究所主任研究員

 オンライン会議は、効率的な議論の場として広く活用されているが、イノベーションを生み出す創発的な議論には限界があると認識されている(注1)。そのため、多くの企業が共創の場のあり方を模索している。互いの主観の交換は、現場の課題や潜在的な問題を浮き彫りにし、新たな視点や創造的なアイデアをもたらす。組織として主観を交換することは、複雑な問題に対してチームとして解決に向かう力を生むために欠かせない。
 特に近年、企業のミドルマネジャーには、主観の交換がしやすい場をつくる役割が求められている(注2)。しかし、これまで上意下達で意思決定を進めてきた組織では、主観を交換する風土を醸成するのに苦戦しているようだ。心理的安全性の確保は必要条件ではあるが、それだけでは十分ではない。職場のコミュニケーションが情報交換にとどまっていた組織がいきなり主観を交換するのは難しいため、まず、全員が意見を出しやすいテーマや課題を選びながら個人の意見をアウトプットすることから始めることが重要である。
  具体的には、自組織の課題についていきなり議論をするのではなく、書籍を読んで意見交換を行う方法がある。この際、必ず全員が順番で一言ずつ発言する、個人の意見を途中で遮らないといったルールを設けることで、個々の主観を引き出しやすくなる。それができたら、なぜこの会社を選んで入社したのか、この組織で働く中で大切にしたい価値観は何かなど、自組織に対する個人の考えを話し合うなど、少しずつ自分たちの組織のことに目を向けることができるように場づくりを行う。
 主観の交換が軌道に乗れば、次の段階として、互いの主観に対して健全な批判を交わし、より深い議論を進めることが求められる。このような取り組みは、変化の激しい時代において、組織の競争力を高め、イノベーションを促進する鍵となるだろう。

(注1)集まる意味を問いなおす―リアル/リモートの二項対立を超えてー
(注2)マネジメントはどう変わる

田中 修 中国経済のリスク解消は中央財政の出動がカギ

田中 修

拓殖大学大学院客員教授

 中国の四半期成長率の計算方法は、日本や欧米の前期比成長率とは異なり、前年同期比成長率である。23年4-6月期は、経済の回復基調が大きく鈍化し、前年同期のベースが低かった。にもかかわらず、24年4-6月期の成長率は4.7%と、5%を割った。23年7-9月期は、逆に経済が回復基調にあり、前年同期のベースが急に高まっていた。24年7-9月期成長率が目標5%を割り込めば、24年1-9月成長率も5%を割り込むことは明らかだった。しかし7月時点では、大型の追加対策は打ち出されず、「大規模設備更新と消費財買い換え」に対する中央財政の支援強化が打ち出されただけであった。ただ、9月に入ってからの政策対応は迅速だった。9月24日には、人民銀行および金融監督当局が、預金準備率・政策金利引き下げ、不動産市場への金融支援強化、資本市場活性化策をパッケージで打ち出した。また、GDP成長率発表前に党中央政治局会議は9月26日、当面の経済テコ入れ方針を決定した。今回の一連の経済テコ入れ策には、超長期特別国債・地方政府特別債の発行拡大とともに、地方の隠れ債務10兆元を法定債務に置き換えることで、地方政府債務リスク・不動産リスクを解消しようという強い決意がみられる。これらの問題は地方政府の力のみで解決できるものではなく、中央の支援で早期に解消のメドをつけることが、経済の将来への自信を強化することになる。また抜本処理が遅れるほど、財政の負担額が増すことになる。住宅在庫の削減・住宅購入者への住宅引き渡し・優良住宅プロジェクトへの融資支援強化等は、いずれも中央財政の強い後押しがなければ容易に進むものではなく、25年の財政政策の責任は重い。

田中 秀和 日本とアフリカのネットワーク構築で相乗効果狙う

田中 秀和

レックスバート・コミュニケーションズ株式会社代表取締役

 安保・経済面で不確実性が続き、日本はグローバルサウスとの結託が必要となる中で、今こそアフリカとの関係を深め、双方の社会課題を解決する基盤を築くことが必須だ。
 アフリカでは国内の経済格差が大きく、大学に進学できる若者は少ない。さらに国内最優秀の大学を卒業しても、就職の選択肢は限られている。専攻分野の職は国内では雇用口が少なく、その結果、小売業や運転手など収入の少ない職に就くケースが目立つ。現実に、「修士を取得しなければある程度の職に就けないが、奨学金を得るのは難しい」と、何人もの現地学生から聞いた。彼らが専攻分野を伸ばすために諸外国で専門性を磨くことができれば、持ち帰ったスキルや発想、人脈を生かして国内で企業を誘致し、産業を定着化させることができる。
 日本はグローバルサウスの中でもアフリカとの関係が希薄で、欧米や中国と比べて後れを取っている。関係強化には、ビジネス進出や外交の基盤にもなるソフト面での相互交流と理解が鍵となる。日本に来たことのあるアフリカの若者は、博士号を取得するため再び日本に来たり、日本の製品から触発されて自国で新製品を開発したりと、自国の経済に貢献している。こうした交流は日本にも好影響を及ぼし、相互の社会問題解決にもつながっている。また、若者が平和学や開発学などを共に学び視野を広げることで、新しい価値を創造するきっかけとなる。
 アフリカ開発会議(TICAD)でも、アフリカにおける援助・被援助という枠組みを超えた関係が強調される中、若者やスタートアップを中心とした日アフリカのつながりは拡大しつつある。異なる背景や強みを生かし、シナジーを生み出していくことが期待される。

田邉 泰之 「地域とともに歩む。これからのホームシェアリング」

田邉 泰之

Airbnb Japan株式会社代表取締役

 旅やライフスタイルの多様化が進む中で、ホームシェアリングは、日本の様々な課題に対応しながら、地域活性に繋ぐ大きな可能性を秘めている。
 少子高齢化に伴う人口減少により、都市部への一極集中と地方の過疎化が深刻化している。特に空き家問題は顕著であり、管理や維持が難しい物件が増加している。しかし、宿泊施設としての空き家の有効活用は、観光振興や地域の魅力向上に貢献し、新しい訪問者や移住者を地域に迎え入れる手段として有望だ。
 Airbnb Japanは、これまで(注)14以上の地方自治体やDMO等と連携し、地域の観光資源や文化を活かしながら、活力を再生するための取り組みを行ってきた。Airbnbの2024年冬のデータによると、国内では、主要都市以外での利用が前年と比較して32%増加し、2024年上半期だけでも1,270以上の市町村で宿泊施設が新たに提供されるようになった。政府の目標である2030年までに訪日外国人6,000万人を受け入れるためにも、旅の分散化は今とても重要なテーマとなっている。
 ホームシェアリングは防災の観点からも期待されている。災害時には、一般の宿泊施設に加えて民泊施設を一時避難場所として活用することで、迅速な避難や宿泊確保が可能になる。昨年の能登半島地震では実際に民泊施設が二次避難場所として初めて活用された。平時から空き家や遊休資産を宿泊施設として活用することで、地域の雇用と関係人口創出に繋げ、持続可能な発展や地域を守ることに繋がる。
 空き家の活用とインバウンド観光の促進を通じて、Airbnbはこれからも地域と共に安心安全な未来志向の取り組みを推進していく。

(注)2024年12月現在

谷口 直嗣 「リカレント教育の場としての美術系大学」

谷口 直嗣

SunnyValley株式会社代表取締役/京都精華大学特任教授/女子美術大学非常勤講師

 私は2つの美術系の大学で非常勤講師、特任教授として仕事をしている。大学の現場では18歳人口の減少による受験者数の低下の波が押し寄せてきて、現在社会人として第一線で企業で仕事をされている世代よりも一足早く危機感を持っている。その解決策として留学生の受け入れなどがあるが、もう1つの解決策として、リカレント教育の受け入れ先として社会人を受け付けるという可能性がある。
 現在担当している授業やゼミではリカレント教育の受け入れ先となっている授業は無いが、美術系の大学の演習は「自ら作りたい作品を自分で考えて作る」というものがベースになっているのでどの学生も非常にモチベーションが高い。私は作品制作のために必要な思考、技術のサポートをしているが、それだけでは足りないので作品を作るためのさまざまな技術は自分で習得する必要がある。
 純粋に自分の作りたいものを作る、さらにそれに対しての責任を持つという経験は、実は社会に出るとなかなか機会が無いものであり、そのような経験を提供できる場所としての美術系大学というのは、個人のサンドボックスとして今一度注目されても良いと思われる。
 特にデジタルを使った作品では、オープンソースの技術を始め商用にしなければ使える技術も数多く使えるのでさまざまな技術を試してみるという場としては最高の環境となっている。また作りたいものを作るという経験は頭の使い方も違ってくるのでキャリアの中でのリフレッシュとなり、自分の作品ができる事によって自分の立ち位置のベースが形成される事となるであろう。

谷本 有香 コンヴィヴィアリティ時代における和の体現者として

谷本 有香

Forbes JAPAN執行役員 Web編集長

 「食ほどその国のエンジニアリングを具現化したものはない」、そんな風に感じることがある。
 電子国家として注目されるエストニアを訪ねたとき、スルトゥという伝統料理があることを知った。それは、豚肉や玉ねぎ、人参等の素材を活かしたまま煮込み、ゼラチンで固めたゼリー寄せだ。仏の食文化であるパテのようにすりつぶして複雑化させるわけでもなく、ゼリーという半透明で弾力に富んだ枠組みの中で、1つひとつの素材を十分に活かす。これが他国の人をも電子住民として受け入れる、垣根の柔軟性ある彼の国のあり様を象徴しているように見えた。
 では我が国家はどうだろう。和食は、素材本来の持ち味を大切にし、精緻な技術を使いながら立体的に表現していく。また、「混ぜる」ではなく「和える」という言葉を用いる。これはミックスして別のものを作るのではなく、それぞれの違いを尊重しながら、調和をさせるということらしい。
 日本は聖徳太子の時代から「和」を尊重してきた。
 この精神はこの今の時代こそ活きてくるようにも思う。
 昨今、コンヴィヴィアリティという言葉が盛んに聞かれるようになった。「自立共生」と訳されたり、「共愉」などとも表現される。マズローの5段階欲求を見ると、テクノロジーの進化により、少なくとも先進国においてはそれぞれの欲求が満たされるようになってきた。この最後の欲求たる「自己実現」の先にある欲望こそがこの「コンヴィヴィアリティ」、つまりは共に喜びを分かち合える社会なのではないか。
 そんな社会において、私たちの持つ互いを尊重、協力し合う「和す」精神はこの国内のみならず、混沌を増す世界の中においても一種の調和的な役割を担えるはずである。

田畑 伸一郎 対ロシア経済制裁は、効果があるのか

田畑 伸一郎

北海道大学名誉教授

 対ロシア経済制裁は、あまり効果を上げていないという見方がある。中国、インド、トルコなどが欧米の制裁によるロシアの輸出入の減少をかなりカバーしているのは事実である。ロシア政府からは、2024年4~6月の経済成長率が対前年同期比4.1%などという発表がなされている。しかし、私は、ロシア中央銀行が10月に政策金利を21%に引き上げたことに注目している。これは異常な水準である。このような水準の下では、政府からの支援を受ける軍需品生産などの企業を除くと、誰も投資を行ったりできないだろう。政策金利引き上げの理由はインフレ抑制であり、2024年10月のインフレ率は対前年同月比8.5%と発表されている。ロシア経済は労働力の逼迫に加えて、軍事費をはじめとする財政支出の増加などにより、高インフレが続いている。私は、インフレ率はもっと高いのではないかと見ている。インフレ率が8.5%程度であるならば、政策金利を21%にまで引き上げる必要はないと思われるからである。上述のGDP成長率は、デフレータ(価格上昇率)が10.9%であるとして、計算されたものである。価格上昇率が実際にはもっと高いとしたら、GDPの実質成長率はもっと低いことになる。
 中国、インド、トルコなどが米国・EUの言いなりにならないのは、世界の他の地域の紛争に対する欧米の対応を考慮に入れるならば当然とも考えられ、今後も制裁に積極的に加わる可能性は小さいであろう。しかし、私は、異常な金利水準に見られるように、経済制裁は着実に効果を及ぼしていると見ているので、日本はあらゆる国による軍事侵略に反対するという立場から、今後も対ロ経済制裁を継続すべきであろうと考える。

玉木 林太郎 構造的課題への対応は「緩和」と「適応」を同時に

玉木 林太郎

公益財団法人国際金融情報センター理事長

 気候変動と少子化という2つの構造的課題には、共通した側面が多い。どちらも静かにしかし確実に事態は進展していくが明白な危機が訪れることは無く社会変革への起爆剤に欠けるため、とめどなく状況は悪化していく。両者の決定的な違いは、気候変動については誰が(全世界が)何を(温室効果ガスの排出を止める)すればいいかがわかっているのに対し、少子化はそれぞれの国単位で取り組まざるを得ず、かつ明快な処方箋が無いことである。かつて少子化対策のモデルとされその政策に関心が集まった国々でも出生率が再低下している。これまで少子化対策として議論し実行してきた政策と出生率との関係ははっきりしない。必要な取り組みが科学的にも証明されている気候変動でも、それがエネルギー転換のみならず人々の考え方・行動に至るまで広範な社会的・経済的変革を迫るものだけに、対応が順調に進んでいると考える人はいないだろう。
 こうした課題に対し、問題の根本原因に取り組まねばならないと考えるのは当然だ。温室効果ガスの排出を止め出生率を劇的に上昇させることこそが必要で、そのための努力を怠ってはならないという議論にはあらがいにくい。しかしわれわれの「勝利」への展望は開けていないのだから、おそらく不可避である気候変動の激化や人口減少に現在のシステムをいかに対応・変化させていくかの議論も同時に進めなければならない。気候変動で言う「緩和」への努力と「適応」のバランスを考える時期に来ている。人口減や自然災害の激化・気候難民の発生などを前提にするとわれわれは何をしたらいいか、敗北主義と言わずに選択肢を考えてみよう。つらいけれど。

垂見 裕子 日本の教育格差とその背景:教育の役割は何か

垂見 裕子

武蔵大学社会学部教授

 近年、教育格差という言葉は日本社会でも広く浸透したが、社会全体として教育格差を問題視し、是正しようとする動きはまだ鈍い。教育格差の中でも、本人が変えることのできない生まれ(SES:家庭の社会経済的地位)による学力格差に焦点を絞ろう。日本ではSESが高い親ほど、子どもに高い教育期待を抱き、塾や習い事への投資を積極的に行い、様々な文化的環境や経験を子どもに与える傾向が見られ、結果的に生まれによる学力の差異が存在する。
 なぜこのような学力格差が問題なのか。日本の教育制度では学力という画一的な指標で選抜が行われることが多く、学力が本人の学歴ひいては将来の職業や地位を決定する道具となっている。またこのような選抜制度が公平な競争とみなされている。だからこそ、その学力が生まれによって規定されてしまうとすれば、社会問題と言えよう。さらに低SESの子どもに地位向上のチャンスがない社会は、社会の二極化、分断を産むであろう。
 このような学力格差が、なぜ放置されてしまうのか。第1に、教育格差の実態を正確に把握、モニタリングするための行政によるパネル調査が整備されていない。第2に、すべての生徒・学校を平等に扱うべきだという平等観が、低SES層の子どもへ体系的な支援を提供することを妨げている。第3に、日本の高校制度は生徒の学力のみならずSESに応じて行く高校が分離する結果、学校内の多様性が乏しく、自分と異なる背景の他者への共感を育み、格差を自分ごとと捉える機会が少ない。学力格差は個々の生徒の問題ではなく、私たちの社会構造や教育制度が作り上げていることを認識し、「格差の再生産を断ち切ること」を教育の役割の1つとする強い覚悟が求められる。

津上 俊哉 日本の“サバイバビリティ”

津上 俊哉

日本国際問題研究所客員研究員

 「トランプ2.0」の幕開けが迫る傍らで、欧州でも大変なことが起きている。最近お隣の韓国でも異変が起きた。友人知人と話していると、「世界秩序は崩壊に向かっていて、終末の日が来やしないか」という風に感じている人は少なくない。
 筆者も「21世紀には大災難がやって来そうだ」と感じる1人だが、その先も考えたい。「現行秩序のグレートリセットは、同時に人類文明のリスタートにもなる」と。
 中世の欧州はペストのパンデミックで人口が激減する惨事に見舞われたが、その後はルネサンス文明の花が開いた。20世紀にも2度の大戦のせいで多くの国の経済社会が大損害を受けたが、それは同時に、世紀の前半に拡大していた貧富の格差をリセットする効果も持っていて、世紀後半の経済成長を支えたとか。
 そんな大災難が来るとしたら、気になるのはわが日本と同胞の行く末だ。大災難を逃れる術はないだろうが、われわれはそんな中でも相対的に危難を上手に切り抜けられる国と国民ではないか。
 楽観的に考える理由を2つ挙げると、1つは日本人が地震や水害など常襲的に起きる自然災害で「鍛えられて」いることだ。同じ目に遭った時、暴動、略奪が起きて秩序が崩壊する国も多い中で、日本人はヘンな言い方だが「諦めて」苦難に堪えることができる。もう1つは日本語が協調性を育むのにけた言語だということだ。集団同調にとらわれやすい欠点と隣り合わせだが、物事は良い方に考えよう。
 どの国も災難を切り抜けるのに苦労する中で「日本はどうしてうまくやれているのか?」と問われることがあるかもしれない。そんな時には「教祖になる」などと「大それた」考えは持たずに、控えめに経験談を語ろう。

辻井 潤一 生成AIと人間知能の役割

辻井 潤一

国立研究開発法人産業技術総合研究所情報・人間工学領域フェロー

 膨大なテキスト集合からの学習によって構築された大規模言語モデル(Large Language Model-LLM)とそれを使ったシステム(ChatGPT)が世に出て1年余が経過した。この間、その商業的価値の大きさから、巨大IT企業が相次いで独自のLLMを発表し、技術の急速な普遍化により、この技術に特化したスタートアップや大学・研究機関での開発も進んでいる。また、LLMのもつ汎用性から、特定の応用用に再訓練し提供するビジネスも活発化している。
 自然なテキストを生成し、人間と区別がつかない会話能力を持つAIの出現は、従来のAI技術よりも広範で、かつ、直接的な影響を社会に及ぼす。その影響の大きさゆえに、社会システムや制度の変更、労働市場への影響などが真剣に議論されている。
 さらには、影響の大きさゆえに、人間を超える超知能、人間存在そのものへの脅威と論じる識者も多い。この実存的脅威論に組みする著名なAI研究者もいる。ただ、私は、影響の大きさの議論は重要であるが、実存的脅威論は、AIの能力の過大評価で、害が大きいと思っている。
 LLMは、大量テキストからテキストの自然性を学習しているが、その真理性を吟味する能力は持っていない。自然さと真理性は別物である。事実でないテキストを生成するという幻覚(Hallucination)の現象は、LLMが、真理性のもっとも低位の事実の吟味能力も持たないことを示している。
 事実性よりもより高位な真理性、背反する命題の吟味と論証を経てたどり着くような真理性や対象の明示的なモデル操作を必要とする真理性は、膨大なテキストからの自然さを学習するLLMの範囲外である。また、そもそも多くの社会課題では、異なる価値観により、異なった結論に至ることも多い。
 LLMによる膨大なテキストからの自然さの学習を、テキストの内容を理解した上での学習と混同してはいけない。LLMは、あくまで我々人間の能力を補う、人間によって使われる道具であることを忘れてはならない。

筒井 美紀 雇用・採用:「個体主義的ジョブマッチング」には限界がある

筒井 美紀

法政大学キャリアデザイン学部教授

 労働供給過多の時や不況期には、早期離職が話題になることが多い。その原因は雇用のミスマッチ、つまり、求職者が希望の職に就けなかったことや、適性や能力に合わない職に就いたことに、求められがちである。これに対して、労働供給過小の時や好況期には、魅力的な求人戦略や人手不足解消の代替テクノロジーが話題になる。現在の日本は、少子高齢の加速を反映し、後者の関心がホットである。しかし、早期離職は依然存在する。例えば、新規大卒者の3年以内離職率は3割前後で長期的に一定している。
 これまで、早期離職への対応策としては、採用・求職活動時に「適性や能力に合った仕事が選択されているか、採用側と求職者側が相互にしっかり見極めよう」といった主張がなされてきた。だが、このような「個体主義的ジョブマッチング」には限界がある。なぜなら、私が調査してきた新規高卒者や生活困窮者は、ヤングケアラー、家庭の機能不全、障害のグレーゾーンにある者だったりすることが多いからである。どれほど希望や適性・能力に合った仕事に彼らが就けたとしても、生活者としての安心・安全が確保されなければ、仕事を継続することは極めて困難である。
 人口・労働力の構造問題には、数量的側面のみならず社会経済階層的な側面もある。格差や貧困という現実を凝視したうえで、福祉的配慮も含めたなだらかなキャリアラダーを職場に創り出すことができるか。国や自治体はそれを促進できるか。言い換えれば、vacancy-orientedではなくcandidate-orientedな採用・雇用管理を促進・実践できるか。これは2024年の日本の課題の1つだと思うのである。

徳田 英幸 生成AIとの共生にむけて

徳田 英幸

国立研究開発法人情報通信研究機構理事長

 2022年にリリースされたOpenAI社のChatGPTをはじめ、Google社のGemini、Microsoft社のCopilot、Meta社のLlama、Anthropic社のClaudeなど、多くの生成AIツールが登場した。これらは従来のテキストベースの自然な対話だけでなく、情報検索、文章生成・要約、翻訳、コード生成、バグ修正、データ分析、プレゼンテーション支援など、多岐にわたるタスクを実現する。また、テキスト、画像、音声など多様な形式の情報を同時に処理することで、私たちの仕事や生活に劇的な変化をもたらしている。
 一方で、生成AIの急速な進化に伴い、いくつかの社会的課題が浮上している。第1に、安全性に関する課題だ。生成AIは大量のデータを学習することで性能を発揮するが、学習データに含まれる言語的・文化的バイアスが差別的な表現を生む可能性や、学習データに含まれる個人情報がプライバシー侵害につながるリスクがある。また、学習データや生成コンテンツが著作権を侵害する問題も懸念されている。
 第2に、コンテンツコンタミネーションの問題だ。生成AIを用いたディープフェイクにより、偽情報や虚偽の画像・動画が容易に作成され、選挙や企業活動、社会的信頼に悪影響を与えている。
 第3に、プロンプトインジェクション攻撃のリスクである。攻撃者が巧妙なプロンプトを使い、AIに非公開情報を漏洩させたり、マルウェア、ハッキングツールや詐欺メールなどを生成させるといった問題が顕在化している。
 これらの課題を克服し、生成AIを人類の利益のために活用するには、技術開発とともに倫理や社会的課題について議論を深め、技術者、政策決定者、そして私たち1人ひとりが責任を持った対応を取ることが重要だ。

 識者 な行

中川 雅之 パレート劣化をもたらす政策への注目

中川 雅之

日本大学経済学部教授

 日本では人口減少、少子高齢化等の大問題に、うまく対応するためには、どのような社会の仕組みを備えるかについてそろそろ結論を出さなければならない。これまでの公共政策は、成長による利益配分をどうするかが政策立案の基本にあった。つまり、「どのようにしてパイを大きく増加させるか」、「増加したパイの分配をどのように行うか」が、政策の焦点であった。つまり、「他の者の効用水準を引き下げることなく、誰かの効用水準を引き上げる」パレート改善をもたらす政策のみに焦点が当てられてきたと考えることができる。
 これまでの地方創生政策など、「努力すればどの地域も明るい未来が開ける」というタイプの政策は、100年後には日本の人口が半分になるという予想の下でも、「パレート改善」を行うことができることが前提になっている。しかし、世界的に人口減少傾向が顕著になる中、日本は転出先としても魅力的な国ではなくなりつつある。中長期的に日本国民、少なくともあるグループには損失が生じることを前提に、その分担を正面から見据えた政策立案のスタンスが必要になるのではないか。
 その場合、今まで省みられることのなかった「他の者の効用水準を引き上げることなく、誰かの効用水準を引き下げる」、パレート劣化と呼ばれる変化を基調とした政策に焦点を当てることが重要だろう。なぜならパレート劣化の状態は、「社会の構成員がどちらも損をする」組み合わせだが、「損失負担を、社会の構成員の誰かに過剰に押し付けることのない」比較的ましな組み合わせと考えることもできる。つまり効用可能曲線の下方シフトをできる限り小さくすることはもちろん、公正な損失分担に意を用いる必要があろう。

中西 寛 トランプ政権復活と戦後秩序の終焉(しゅうえん)

中西 寛

京都大学公共政策大学院教授

 2024年は日本を含め世界各地で選挙が行われ、おしなべて現職指導者は厳しい審判を受けた。6月のイタリアG7に参加した首脳のうち、日(岸田首相)、英(スナク首相)、米(バイデン大統領)は退陣したかその予定だし、仏(マクロン大統領)、独(ショルツ首相)、加(トルドー首相)も低支持率にあえいでいる。この現職批判の流れを決定づけたのが米大統領選挙であり、トランプ氏が132年ぶりに返り咲きを果たす米大統領になった。
 この流れはインフレや移民など経済および社会問題、政治腐敗といった国内問題への不満が主たる背景と考えられるが、複数国で共通した現象となっていることは問題の根深さを示している。20世紀中期にアメリカが主導して国際秩序は、大量生産型工業国家としてのアメリカをモデルとした国内政治経済体制とセットになっていた。ウクライナと中東で2つの戦争が進行する中で起きている現職後退の流れは、戦後秩序が内政、外交両面で時代状況とのかい離が拡大していることの証左と考えられる。西側以外の世界の台頭、工業社会から金融情報資本主義社会への変化、人口構造の転換や地球環境問題の深刻化といった諸要因から起きている構造的現象と見るべきなのである。
 戦後アメリカのあり方を正面から批判するトランプ政権の復活は戦後秩序の解体を加速するだろう。それは大きなリスクを伴うだろうが、にもかかわらず、旧体制が打破されていく過程では不可避の試練なのかもしれない。しかし大規模な破壊能力をもつようになった人類にとって、2025年は大破局を回避しながら秩序変革を実現するという難問に向き合う年になるだろう。

中邑 賢龍 グローバルサウスに向き合う日本の子育て・教育とは

中邑 賢龍

東京大学先端科学技術研究センターシニアリサーチフェロー

 OECD生徒の学習到達度調査(PISA)の調査結果をみると、日本の子どもの数学・科学・読解力のレベルは国際的に上位にある。しかし、日本の勢いはこの20年、様々な面で低下してきている。
 勢いを増すグローバルサウスの国々では、先進国に比べて管理は緩く、社会インフラが未整備の中で子どもは育つ。この緩さと不便さが課題とされることが多いが、その一方で、これが子どもの生きる逞しさを生み出す背景となっていると考えられる。インターネット端末さえあれば国を超えて学びが可能になった現在では、学ぶ意思があれば、学校の枠を超えていつでもどこでも学べる。そこから先進国を凌ぐ活力が社会に生まれることは想像に難くない。
 国内では、高齢化する社会に対応してバリアフリーやユニバーサルデザインを考慮した社会インフラ整備が進められ、子どももその安全便利な環境で育つ。また、多くの子は受験勉強中心の教育に反発することなく、自分の好奇心よりもむしろ評価を得るために学んでいる。ゲームやSNSに没頭する子も多く、リアルな体験から学ぶ機会も減少している。日本の子どもたちが学力はあっても国際社会の中で生き抜く逞しさを失っていくのは当然のことと言える。
 グローバルサウスに向き合える力を養うには、子どもの学びの中にあえて不便や非効率を楽しむ機会を組み込む必要がある。社会の流れに抗えないと考える親や教師も多いが、子どもの未来を考えるならば、そろそろ我々の意識を根本的に変え、社会に新しい流れを生み出す時期に来ている。

中村 潤 検索からプロンプトに向けて―生成AI時代の人の能力とは?

中村 潤

中央大学国際経営学部教授

 2023年初に大学の当研究室への関門に、ChatGPT(当時はGPT-3が出始めた頃であった)ではハードルが高い課題を出した。わけのわからない抽象画を提示したうえで、「思い描くストーリーを創造せよ」というものであった。大学でも生成AIに対する動揺と激震が走った頃である。回答者は見事に2-6-2に分散した。ボトム2は、お手上げの状態であり、ミドル6は、色彩の鮮やかさや、形が面白いなど、感想めいたものが多かった。しかし、トップ2は、そこに社会を見いだし、人間模様の複雑さを見いだし、ビジョンの大切さを示唆するシナリオを創造するものであった。ところが今では、画像データを生成AIにアップロードし、一定のプロンプト(命令文)、平たく言えば「問い」次第で、すらすらと複数のシナリオを描いてくれるマルチモーダルも可能な時代になった。
 人工知能学会の論文では、生成AIに必要な対話型LLM(大規模言語モデル)に対するプロンプトを記述することは、人による「問題」の設定にあたると述べられている(中小路・岡,2024)。われわれは、もはやキーワードの検索から、プロンプトエンジニアリングの時代にあり、「問い」の力が求められている。
 人の知的生産プロセスは、「知覚」「思考」「実行」にあり、知覚と思考の違いは、自らがコントロール可能か否かにある(神田,2023)。人の知能と生成AIとの共存は避けて通れないこれからの時代に向けて、さまざまな気づきや着眼点のヒントを与えてくれる「知覚」に着目すべきであろう。どのようなメッシュで「問い」に切り込むかは、ある種のアーティスティックであり創造的でもある。知覚は生成AIからの出力をよりユニークでリッチにしてくれるための「プロンプト」のクオリティを向上させる原点ではないだろうか。知覚の結果である思考を生成AIが推論することは、対話型により一定程度近づくことはあっても、生成AIが入力者の選好(ルール)がわからない限り、難しい。このように考えると、入力者たる人の知覚を磨くためには、日頃から「好奇心」を抱くこと、それに尽きるのだと考えている。

引用文献
中小路久美代・岡龍之介(2024)「対話型LLMとのインタラクションに起因する学習の様相の探究み向けて」『人工知能学会誌』39巻2号pp.118-124.
神田房枝(2020)『知覚力を磨く 絵画を観察するように世界を見る技法』ダイヤモンド社.

西尾 素己 シフトレフトはソフトウエアPL法の再燃である

西尾 素己

多摩大学ルール形成戦略研究所客員教授

 アメリカ国立標準技術研究所(以下NIST)が言う所のCyber Security Framework(以下CSF)では「特定(資産の把握)」「防御(リスクからの保護)」「検知(攻撃の発見/検出)」「対応(攻撃を無力化/被害の最小化)」「復旧(被害回復とセキュアな再起動)」の5段階でサイバーセキュリティ対策を体系的に捉えている。昨今「シフトレフト」という言葉がサイバーセキュリティ業界で再注目されているが、これは何らかの方法で自組織に入られた後の「検知、対応、復旧」という、5段階を矢羽状に並べたときに右側に存在するパートに比重が偏っており、もっと基礎的なガバナンスの足元を固めるべく「特定、防御」といった左側にあるパートに回帰せよというものなのである。2020年に発生したいわゆるSolarWinds事件を発端としてソフトウエアサプライチェーン攻撃が注目されたことが大きな引き金となっている。攻撃者はソフトウエアメーカーを攻撃し、製品にバックドアを仕込むことで、そのソフトウエアを利用する莫大ばくだいな数のユーザーを一斉に手中に収めることができることから、警戒が必要なのである。その対策としてシフトレフト、つまり今自組織のITではどんなソフトウエアを使用していてそれは信頼できるものなのかという特定(ガバナンス)と、つい先ほどまで使用していたソフトウエアが突然マルウエアになることを想定したゼロトラストなどを代表とする防御(セキュリティ)が重要性を取り戻したという解釈となる。しかし最も大きな問いかけはソフトウエアメーカーの製造責任であり、これは現行のPL法が有体物かつ動産に対してのみ適応されていることに対して20年ほど前に巻き起こったソフトウエアPL法の議論を再燃させる可能性がある。

西崎 文子 民主主義や法治の崩壊に対抗する価値観を掲げられるか

西崎 文子

東京大学名誉教授

 2024年の米国大統領選挙は、ドナルド・J・トランプと共和党との完勝のうちに終わった。この結果から窺えるのは、米国社会が多くの観察者の想像以上に変容していることであろう。民主党が復権を果たすには、支持基盤とされてきた労働者やマイノリティが置かれる現実と厳しく向き合い、その政策を根本から見直す必要がある。共和党側も、有権者が何をどう期待して票を投じたのかを徹底分析しなければならない。そうでなければ、米国社会は生活への不満や権力への疑念、国民相互の疑心暗鬼が渦巻くままに、政治が停滞し、熱狂的でありながら空虚な選挙が繰り返される社会となりかねない。
 米国の民主主義制度とそれを支える社会そのものが脆弱化する中で、日本が今、最も重視すべきなのは、自立した思考と政策とを追求する覚悟を決めることである。米国のみならず、世界各地で非民主主義的勢力や排外主義、シニシズムが台頭しているが、そのような流れを傍観するのではなく、積極的にそれに対抗する価値観を掲げる意志を持つことが必須であろう。民主主義や法治といった言葉を単なるお題目ではなく、生きたものとするには何が必要か。指針としたいのが、ノーベル平和賞を受賞した日本被団協の活動である。逆境にあっても信念を曲げず、訴えるべきことを訴えてきたその姿勢からわれわれが学ぶべきことは多い。戦後80年。もう一度、戦後日本の原点を見つめ直す必要があるのでないか。

二宮 正士 大規模言語モデルと農学

二宮 正士

東京大学名誉教授

 2024年夏8月、元グーグル社員らによる日本法人Sakana AI社などが「The AI Scientist(AI科学者)」という論文を発表した。本論文は、ChatGPT等で話題になったAIの一種である大規模言語モデル(LLM)を複数組み合わせて、新規の研究の着想から、実験実施、結果のとりまとめや考察、研究評価(査読)という研究プロセスを自動化し、新規性の高い論文が生成できることを示した。本来人間の科学者が行う一連の作業の自動化を実現したことになる。本論文での実例はAI新規アルゴリズム開発が目的で、実験も自動プログラミングとして実現できたが、化学実験ロボットなどの研究開発も進む中、他分野でも全自動化の可能性は十分にある。そもそも、実験部分だけは人間が担うとしても、既存研究をくまなく参照して新規性のある研究計画案を提示し、結果を整理・考察して論文化、査読して内容を評価することが自動化されるだけでも、多くの分野で研究は圧倒的に効率化し高品質化できるだろう。
 野外フィールドで実施する農学は、気象や土壌条件、肥料条件、共存する微生物や昆虫など生育環境が極めて多様で、多くの実験条件下、発表される論文や資料も膨大である。そのため、ひとつの作物だけでも関連情報の全貌を人力だけでつかみ理解するのは容易でない。限られた研究資源のもと食の問題解決に向けた関連研究開発強化が問われる中、AI Scientistsが示したような研究支援機能の利用は研究の飛躍的発展のために必須に思える。大規模言語モデルの成功は学習データの質と量によって大きく左右される。近代農学が始まった明治以来蓄積した膨大なデータはもとより、それ以前の知恵が詰まった農書など紙媒体のデジタル化も含め、散逸するデータを統合してAIに教える知識源の圧倒的拡充を行う必要がある。

野村 進 日本人の表情はなぜ暗いのか

野村 進

ノンフィクションライター・拓殖大学国際学部教授

 海外から帰国するたびに気になることがある。日本人の表情はなぜこんなに暗いのだろうか。
 フィリピンのスラム街の住民のほうが、ずっと朗らかな顔をしている。若年層の失業率が4割近いスペインでも、からりとした笑顔をよく見かけた。2022年、インフレ率が年間70パーセントを超えたトルコに2週間ほど滞在したおりには、引率した学生から「イライラしている人に全然会いませんでしたね」と言われた。
 仕事柄さまざまな人々と話していても、日本は問題だらけで、将来への希望がほとんど持てないといった声を聞く。日本人の心配性は以前からだが、最近はいささか度が過ぎてはいまいか。
 むろん原因は多岐にわたるので、私が関わってきたジャーナリズム界に限って論じたい。ひとことで言えば、日本に対する客観的な評価を人々にじゅうぶん伝えていないと思う。
 社会生活の指標とされる失業率、犯罪率、医療の質と費用、平均寿命、教育水準、物価上昇率といった点で、日本は世界の中でかなり良好な部類に属する。水道水がそのまま飲めることも、夜道を安心して歩けることも、電車が時刻通りに来ることも、海外では当たり前ではない。日本の、特に若い世代には、現在すでに達成されているこうした状況がどれほど貴重なものか、そしていかにすぐ失われてしまうもろいものかを、もっと積極的に知らせるべきだ。むろん的確な批判はジャーナリズムに不可欠だが、あらさがしには意味がない。不安をこれ以上あおるのもやめたほうがよい。
 現実をきちんと把握できなければ、日本人の表情はいつまで経っても暗いままだろう。人は、けなすよりも褒めるほうが伸びるというではないか。人の集団である社会にも、同じ基本姿勢でのぞんではどうか。

 識者 は行

長谷川 敦士 リーダーに求められる本当のビジョン

長谷川 敦士

株式会社コンセント代表取締役社長/武蔵野美術大学教授

 社会がVUCAの時代に入り、これまでの前例踏襲ではたちゆかなくなった。このことを、ソーシャルイノベーションのリーダーであるエツィオ・マンズィーニ ミラノ工科大名誉教授は、慣習モードの社会からデザインモードの社会への変化、と形容した。
 こういったデザインモードの社会では、組織やプロジェクトの行き先を示す「ビジョン」が重要となる。
 しかし、「ビジョン」とはなんだろうか。
 「あるべき姿」「将来の構想」といったものがビジョンと言われるが、これは半分しか合っていない。「ビジョン」とはそもそも「視覚」の意味であり、それは見えていなければならない。
 つまり、言い換えれば、個人・組織が持っている「将来への見通し」がビジョンである。そしてその「見通し」がユニークであれば、組織の向かう先も独自性を持ったものになっていく。
 では、どうすれば、現状から飛躍したビジョンを「持つ」ことができるのか。適切な現状認識に加えて、未来の兆しに触れ、そしてそのなかでトライアンドエラーを繰り返すことで、自組織のケイパビリティによって、どこまで行けそうか、という「見通し」が生まれていく。これが本来的なビジョンである。
 これは単なる「将来の構想」となにが異なるのか。それはビジョンへの確信である。自身の確信を持って語れるビジョンがリーダーには求められている。

早川 真崇 「情報の信用性」と「意見・主張の多様性」を区分せよ

早川 真崇

日本郵政株式会社専務執行役(グループCCO)・弁護士

 近年、生成AIの普及に伴い、SNSやインターネット上にはフェイクニュースや加工された動画等の情報があふれている。2024年元旦に発生した能登半島地震の際、誤った被害情報がSNS等で拡散され、救助活動に支障を生じさせた。また、選挙における有権者の投票行動にも真偽不明の情報が影響を及ぼす可能性が指摘されている。SNS等で同じ思想や意見の持ち主の間でコミュニケーションが繰り返されることにより事実に反する情報も真実と信じる「エコチャンバー(Eco chamber)」効果が生じ、対立や社会の分断を生んでいるといわれる。
 裁判実務では、予断を排除し、事実(ファクト)と意見・主張は明確に区別し、事実は証拠により認定する。また、証拠の「信用性」を判断する基準が存在し、この基準に基づき証拠の信用性を判断する。特に人の話(供述証拠)は、人の知覚・記憶・叙述の各過程に誤りが混入する可能性があるため、「信用性」の判断は慎重に行う。その上で認定した事実に法律をあてはめて争点の結論を出す。すなわち、裁判では、情報の信用性を検証し、事実を確定した上で、意見や主張を分析し、答えを出すという点でクリティカル・シンキング(批判的思考)が貫かれているといえる。
 社会生活においても、事実に関する情報は「信用性」を検証することが求められる一方、個人の意見や主張は異なることを当然のこととして受け入れ、バックグランドや所属する団体・組織等にかかわらず、多様な価値観や意見・主張を尊重することが求められる。
 このような虚実が入り混じる情報化社会において、同調圧力に左右されず、心理的安全性のある環境が確保され、DE&I(ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン)を実践するためには、1人ひとりが事実と意見・主張を区別し、事実に関する情報の「信用性」を見極める基準を持って判断することが必要となる。そのためには、家庭内、学校教育、職場、生涯教育等のあらゆる場や機会で、多様な価値観・意見・主張に触れると同時に、クリティカル・シンキングをスキルとして身につけ、信用できる情報をもとに事実(ファクト)を前提とした議論や検討を行うことが一層重要性を増すだろう。

林 いづみ 放送法を遵守(じゅんしゅ)し、多様な角度からの報道を

林 いづみ

桜坂法律事務所弁護士

 NIRAフォーラム2023「テーマ4:SNS時代の政策決定メカニズム」では、SNSにおけるバイアスやフェイクニュースへの対応、既存メディアの役割、そして人々の声を政治に届ける方策について、討論が行われた。参加の機会を得た筆者は、今やSNSのトレンドは、日本のテレビ番組の方向性を左右して情報拡散されていると指摘し、インターネットに縁のない高齢者も、一日中テレビをつけっぱなしにしていることで、テレビを通じてバイアス意見・虚偽情報に洗脳されるようになってきていると述べた。テレビ離れが進んだとはいえ、過去数年来、民放テレビ局はインターネット情報等を朝、昼の情報番組でとりあげ、一定の「方向性」を持つ番組を放送することで、世論の方向性を決定する影響力を発揮してきたからだ。
 2024年、民放テレビ局は、朝昼の情報番組で、兵庫県斎藤知事のパワハラ等を糾弾する番組を連日のように放送した。他方、斎藤知事が辞職に追い込まれた後、インターネット番組やSNSにおいて「テレビ局やマスコミがそれまで報道しなかった事実」が次々と明らかにされた。私は、斎藤知事が再選された後、今回のSNS等による世論形成への批判やネット規制論が散見されることに違和感を禁じ得ない。これまで、テレビ局は、匿名情報の正確性を検証する取材を、どれほど実施していたというのだろうか。本件は、テレビを通じたバイアス意見・虚偽情報への洗脳が、ネットによって解かれた事案で、問題なのは、テレビ局が、番組が採用した一方の意見に合致する情報のみを取捨選択して報じ、反対意見に合致する情報を報じなかったことの方だ。
 日本が変わるには既存メディアの在り方が変わる必要がある。テレビ局が、放送番組の編集に当たり、放送法4条が定める「四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。」を遵守する体制に変わることを期待する。

林 和弘 知識のオープン化、データとAIの活用が問い直す情報の信頼性

林 和弘

文部科学省科学技術・学術政策研究所/データ解析政策研究室長

 オープンサイエンスは、情報通信技術の進展に伴い知識を開放して活用することで、科学研究の発展だけでなく、産業の振興や雇用の創出、さらには社会全体を変革する運動として広がってきた。オープンアクセス政策により研究論文やその根拠データの公開が進む中、研究データについてもオープン・クローズ戦略を踏まえた戦略的な共有・公開が進展している。これにより、データ駆動型の科学も大きく進歩してきた。このデータ駆動型科学は、AIやロボットを活用した研究と結びつき、研究の進め方や成果の公開方法を変え、知識生産のあり方そのものを変えつつあることを2024年のこの場で論じた。例えば、論文の根拠データを公開することで再現性が担保された知識としてのデータを大量に処理できるようになり、研究活動や知識生産がこれまでにないスピードで加速している。また、研究活動の可視化が進むことで、信頼できる研究プロセスが「見える化」され、研究の公正性や評価にも活用できる可能性が模索されてもいる。
 一方で、オープン化やデータ駆動型科学には負の側面も存在する。例えば、オープンアクセス論文は、著者が論文掲載費を支払うことで成り立つため、質を保証せず掲載費を目的とする「ハゲタカジャーナル」と呼ばれる質の低いフェイクジャーナルが増加している。また、AIが論文を多量に生成できるようになった現在、大量のフェイク論文がすでに出回っている可能性も指摘されている。
 このように、論文のオープン化やデータ・AIの活用には、正と負の両面の影響がある。知識を生産する研究者には、科学的に妥当で透明性のある活動と成果が求められ、知識を消費する読者には、情報リテラシーを高め、データやAIを正しく活用してデジタル時代の「目利き力」を養うことが求められる。そもそも、研究者やそのコミュニティは、査読に象徴されるように、関わる学術情報の信頼性をどのように担保するかを常に問われている。オープンサイエンスの潮流を踏まえた新たな知識生産や流通の変革に今後臨機応変に対応しながら社会に対して信頼のおける情報を提供する必要があり、その先には、オープンな知識、データとAIの活用を前提とした社会からの信用を得る仕組みづくりにつながり、やがて、新たな科学と社会の関係性を築くことになるだろう。

林 幸秀 転機を迎える中国の科学技術

林 幸秀

公益財団法人ライフサイエンス振興財団理事長

 中国の科学技術はここ数年、圧倒的なボリュームにより世界を牽引けんいんしている。2019年から2021年までの科学論文生産において、中国は総数だけでなくトップ10%論文数、トップ1%の論文数の全てにおいて世界1位である。また、世界一流の学術誌に掲載された論文数をカウントしたNature Indexでも、中国は米国を凌駕りょうがしている。これを支える研究開発費では、米国が約82.3兆円で世界1位、中国が約68.1兆円で2位と米国に近づきつつあり(2021年)、研究者数で見ると、世界1位は中国で240.6万人(2021年)、2位は米国で149.3万人(2020年)と米国を上回っている。
 しかし、ハイテク開発やイノベーションについては、まだ中国は米国や欧州と互角とは言い難い。近年の中国の軍事的な脅威を受けて、米国などの西側諸国は経済安全保障の強化に大きくかじを切ったことにより、中国のハイテク開発が大きな影響を受けている。またノーベル賞受賞者数に見られるように、トップレベルの基礎研究では依然として欧米諸国が優位にあるが、これらの国々では中国との交流を制限する動きが見られる。
 今後の懸念は、中国経済の行方である。西側諸国による貿易上のデリスキング、対中関税強化を掲げるトランプ氏の再選など、中国経済を取り巻く国際環境は非常に厳しい。国内的にも、生産人口の減少、不動産バブルの崩壊、国内消費の低迷といった難問が、中国経済の足を引っ張っている。中国が、この様な経済の状況に直面して、これまで通り米国や欧州諸国などにして科学技術を発展させられるかどうか、その場合日本への影響はどうか、注意深く見守っていく必要がある。

原 聖吾 デジタル治療がもたらす「医療の民主化」

原 聖吾

株式会社MICIN代表取締役CEO

 コロナ禍をきっかけに医療DX推進への舵は大きく切られた。医療DXの根幹となる医療データの共有化、共通化といった観点から、マイナ保険証の推進、全国医療情報プラットフォームの構築(電子処方箋、標準型電子カルテなど)など様々な政策が打ち出され、実現に向けた官民双方の努力が進められている。
 このような中、昨今デジタル技術の医療活用として着目されているコアな領域の1つがデジタル治療(Digital Therapeutics、DTx)と言える。
 世界的に見れば、2010年代前半からサービスとして存在していたDTxであるが、コロナ禍と重なる形で諸外国で開発と社会実装が加速した。我が国においても、2020年に禁煙治療補助を目的とした治療用アプリが初めて医療機器として薬事承認・保険適用されたことを皮切りに、デジタル治療領域での製品開発に多くの企業が取り組み始めている。
 少子高齢化社会の進み医療費が右肩上がりの日本において、医療DXは、より良い医療の効率的な提供を目指した取り組みであり、多くの場合医療提供体制の負担を減らすということが注目されがちではあるが、反面、患者がより主体的に自身の体と向き合い「医療の民主化」が進むことにもなるということにも着目すべきだろう。そのような意味では、健康に伴う行動変容を促すデジタル治療はまさに「医療の民主化」に寄与する一手であり、これらの製品が数多く世の中に受け入れられる社会となることが楽しみでならない。

原田 悦子 情報社会で民主主義を育むために、今「理」を取り戻したい

原田 悦子

筑波大学名誉教授/株式会社イデアラボ・リサーチディレクタ

 「理」が見えない。国内外の政治、司法と行政、制度の設計運用といったマクロな動きに理論や公理がなく、選挙結果や世論・SNSの動きに道理、理念、理屈が読めない。そこに理があると思えぬ陰謀論が猛威を振るい、思いがけない分断が生まれる。それと対を成すと思われるのが「いつの間にかできた」複雑なルールへの「厳密なコンプライアンスを求める」風潮である。ルール破りどころか「ルールについて問う」ことさえも非難される。
 社会の情報化が生活の隅々まで浸透し、視野に入りうる世界が非常に大きくなったこと、その結果、人が接しうる情報量が莫大なものとなり、処理しきれなくなっていることが、こうした「とりあえず素速く反応(「考える」?不要!)」という動きに関係しているのではないか。そんな中、意味・内容の分析のない、また正解か否かは証明できない、「理のない」結論をもたらす技術、生成AIがあっという間に社会に受容されてきている。多様な人、多様な考え方の間をつなぐ重要な道具であった「理」が軽視され、情報量の圧力に流される様相に、心の底で震えを感じる。
 しかし、「1人ひとりが生きる」を大事とする(本来的)民主主義のためには、「個々の理を示し、調整しつないでいく」ことは不可欠である。今われわれは、膨張した情報世界という新しい世界の中で、民主主義を守り、再度育てていくべき節目に来ているのかもしれない。そのために共有すべきは、「理」は本来、目標と問題とその解決のためにあり、単なる情報選択でなく常に新しく創り上げるものだということ、そしてそれを社会として価値あるものとすることなのだが、それにはどうすべきなのか。そんなことを考える日々である。

樋口 務 頻発する国内災害における外国人支援の強化を

樋口 務

特定非営利活動法人くまもと災害ボランティア団体ネットワーク代表理事

 熊本地震直後の情報共有会議において、外国人に関する課題は「避難所での外国人の正確な情報が得られない」「避難していた外国人が帰国し始め、残った外国人が孤立している」「公費解体前の家の賃借でトラブルが発生している」など、コミュニケーションの困難さが起因となり、外国人に対して必要な支援が届かない場面が多く見られた。
 また、2020年7月の豪雨の際にも、避難所等における外国人の避難状況等について把握できず、2018年6月の大阪北部地震や同年9月の北海道胆振東部地震でも外国人観光客が大阪駅、札幌駅などで多数滞留するなど、外国人向けの情報提供が課題となっている。
 災害時に必要な情報は、日本人が作成した日本語の原稿を多国語に翻訳・発行するだけでは必要な情報が届かなかったり、避難行動が適切にとれなかったりすることが明らかとなっている。
 地震、水害時を経験した外国人コミュニティ団体からは、防災に関する勉強会やイベントにも参加したいとの意見が多く、同国人や日本人と連絡しあえるネットワークが重要との見識もいただいた。さらに、被災者には自分の母国言語で話ができ、周囲の日本人とつないでくれると安心感を得ることも提言を受けた。(注)
 地域によっては平日の日中に災害が起きると日本人の高齢者や障害者を支援する若い世代が不足し、計画通りに避難支援ができないことも考えられ、地域の担い手として活躍する外国人も増えてくると予想される。これまで、支援の対象としていた外国人に対して、地域を支えるパートナーとして参画できる機会を増やすべきと考え、災害に備えた訓練等にも外国人を巻き込み、日常の多文化共生の取り組みを推進する地域を形成することが必要と考える。

(注)<参考>特定非営利活動法人くまもと災害ボランティア団体ネットワーク『災害時における外国人支援の連携を考える

平井 伸治 新たな人口戦略で日本創生に挑む

平井 伸治

鳥取県知事

 「日本創生に向けた人口減少問題を克服するための国民的運動をスタートさせる」
 2024年11月30日。満堂の人々が見つめる中、鳥取市で開催された「日本創生に向けた人口戦略フォーラムinとっとり」の舞台で「とっとり宣言」が読み上げられた。石破茂総理も東京から駆けつけ、「明治以来首都に人や金が集まるのは国家としてやってきた国策。わざと作った政策はわざと変えていかなければ国は変わっていかない」と力を込めた。赤澤亮正大臣、人口戦略会議 三村明夫議長・増田寬也副議長、湯﨑英彦広島県知事、丸山達也島根県知事、更には若者・女性のパネリストなど、熱のこもった議論に会場は沸き上がった。
 国立社会保障・人口問題研究所推計では、日本の総人口は、2050年には東京都を除く46道府県で人口が減少し1億469万人に減り、更に2100年には6,300万人まで半減する。民間有識者の人口戦略会議は、「消滅可能性自治体」や「ブラックホール自治体」の存在に警鐘を鳴らし、早急な対策を求めた。
 全国知事会も、8月に「人口減少問題打破により日本と地域の未来をひらく緊急宣言」を世に出し、社会減を緩和する対策、子ども・子育て社会への転換、人口減少下での持続可能な地域づくりなど、国、地方、企業、国民などが連携し効果的な施策や運動を展開するよう訴えた。
 座して待っていても何も変わらない。鳥取県では、保育料・医療費の無償化や不妊治療費助成など「子育て王国」を推進し、2022年は全国唯一出生増に。また「週1副社長」を募集し関係人口を増やし、JA系スーパー全店閉店に対し、県独自の買物環境確保事業を行った。
 若者・女性にも選ばれる地域をつくり人口減少を打開する未来へ、新たな挑戦が始動する。

平澤 明彦 「食料安全保障のために、農地と農業経営を維持する補助金が必要だ」

平澤 明彦

株式会社農林中金総合研究所理事研究員

 食料の国際供給は気候変動や戦争など不安定要素が増している。また日本の購買力は相対的に低下しており、中国などの大きな買い手が増えて獲得競争が強まる中で、食料輸入の安定性は損なわれる懸念がある。
 それに対して日本の農業は、輸入依存によって脆弱ぜいじゃく化し、有事で輸入が止まれば、国民に最低限必要な食料を供給する生産力すら不足しかけている。農林水産省は強い農業経営を増やすミクロの政策に重きを置いてきたが、脱落する人も多く、生産基盤が全体として縮小した。
 食料安全保障の観点では農地の確保が重要であり、米や飼料など「土地利用型」の農業を支える必要がある。日本では農地が大幅に不足しているにも関わらず、米の生産力過剰が半世紀にわたり解消されず、輸入に依存する麦・大豆・トウモロコシなどへの生産転換が十分進まないまま、水田の耕作放棄が進みつつある。その動きは遠からず集落営農組織や担い手の高齢化により西日本から加速しようとしている。米の生産すら不足しかねない。これ以上深刻な事態に陥るのを避けるため、農地と農業経営を支えながら人口の減少に合わせた超長期の生産転換を図る必要がある。
 食料・農業・農村基本法は2024年の改正で食料安全保障を基本理念の第1に掲げ、そのために生産基盤の確保が重要であることを明記した。農地の転用を抑制する方向で関連法の改正もなされた。しかし、土地利用型農業の問題である収益性の低さを解決しない限り、事態の改善は見込み難い。若い農業者は大幅に不足しているうえ比較的収益性の高い野菜作に集中しており、土地利用型農業への参入は低収益のため難しい。省力化等の技術開発や、農地の集積・集約化と基盤整備、販路開拓だけでなく、農業所得を支える補助金の拡充が求められる。
 食料安全保障の主たる受益者は消費者であり、各種世論調査は国内生産の維持強化を支持している。先進国は生産条件不利の程度に応じて補助金で農家の所得を補填ほてんするのが常であり、日本の国民も農地を守る補助金には合意するのではないか。

平島 健司 ドイツの教訓から財政運営のあり方を見直す

平島 健司

東京大学名誉教授

 先の衆院選で過半数を失った連立与党が、共働き世帯の手取り収入増を求める野党の要求を受け入れざるを得なくなって以来、財政規律を軽視した経済対策の策定が進められている。エネルギー価格を初めとする物価高への政策対応は近年、世界的にも共通の課題となったが、目先の経済対策にとらわれるあまり、財政の持続可能性や将来世代への配慮についての議論がおろそかにされていないだろうか。
 おりしも、予算案の編成をめぐって連立が崩壊したドイツでは、総選挙が前倒しで実施されることになった。赤字支出を抑制する「債務ブレーキ」の憲法規定をたてに、首相に異を唱えた財務相が解任されたためだ。しかし、コロナ禍の例外的状況以降、この規定の適用は中断されてきたし、ウクライナ戦争後の国防増強のためには憲法が改正され、新たな基金が設けられた。確かに、特定の基金での借り入れを別の基金の後年の資金として転用することを違憲と断ずるなど、連邦憲法裁判所の審査は厳格だ。政府は判決を受け、気候変動対策をはじめ支出の削減と見直しを進めた。しかし、一定の限度を超える場合でも、裁判所を説得するに足る正当な根拠があれば支出は可能である。現行規定の改革如何に関わらず、運営のルールに則った説明の要請は財政の透明性を高め、ひいては中長期の一貫性と持続可能性の追求に結びつく。政治の運営は、長期的な財政の見通しの下に初めて説得力を備えるのではないか。わが国はそのような規定や制度に無縁だとすれば、国会での予算審議と国民の監視がなおさらいっそう重みを増すことになる。

福島 弘明 大学発バイオベンチャーのIPO後のさらなる成長は可能か

福島 弘明

株式会社ケイファーマ代表取締役社長&CEO

 2016年11月、iPS細胞技術を活用し、筋萎縮性側索硬化症(ALS)等の神経難病の創薬、および脊髄損傷等の再生医療の実用化に向け、慶應義塾大学スタートアップ、株式会社ケイファーマを創設し、事業を進めている。2023年10月、東証グロース市場への上場(IPO)を達成したが、この年、バイオ銘柄のIPOは3社のみであった。慶應義塾大学も積極的に大学発ベンチャー創出を推進し、2023年度、総数291社となり、全国2位に躍進した。ベンチャー創設に向けた公的施策や大学の支援が強化されているのは歓迎できるが、IPO後の大学発ベンチャーの成長が厳しい背景には、何らかの構造的課題があるのではないだろうか。
 政府等の創薬支援策は、IPO達成時点でその対象から外される。IPO達成といっても企業としてはまだまだ未熟であり、特に創薬事業においては、承認取得・販売までの期間が非常に長いため、早急な売り上げや収益の拡大は非常に厳しいのが現状だ。IPOを踏まえ、企業として強靭きょうじんな経営基盤を築くことは言うまでもない。ただバイオベンチャーにとってIPOは本格的な事業のスタート段階にすぎない。欧米並みの支援体制が不可欠だ。2022年度の投資総額を比較すると、米国32兆円に対し、日本では3,200億円と約1%、創薬分野においても同様な比率だ。Amazon創業のベゾス氏は、創業9年間、赤字経営で資金調達に奔走した。大きな事業に成長させるためには、長めの助走期間を要すことも事実であろう。
 大学発ベンチャーがIPO達成後も加速成長するために、支援対象から外す基準を見直すことも必要だろう。特に産業化への展開に時間を要す創薬等のディープテック企業には、何らかの加速支援プログラムがあってもよいのではないだろうか。

藤垣 裕子 責任ある研究とイノベーションをめざそう

藤垣 裕子

東京大学大学院総合文化研究科教授

 科学技術が今まで以上に経済活動や人々の暮らしに深く浸透しつつある現在、日本および世界の研究開発にとって大事なことは何だろう。RRI(Responsible Research and Innovation:責任ある研究とイノベーション)は、欧州の科学技術政策Horizon2020の標語の1つである。RRIの定義は、研究およびイノベーションプロセスで社会のアクター(具体的には、研究者、市民、政策決定者、産業界、NPOなど第三セクター)が協働することであり、そのエッセンスは「閉じられた集団を開き」「相互討論をし」「新しい制度に変えていく」ことである。
 たとえばAIを責任ある技術にするために、あるいは原子力を責任ある技術にするために、何が必要だろうか。参考として、責任ある海洋科学研究とイノベーションを目的としたマリーナ・プロジェクトをみてみる。相互学習ワークショップを欧州12か国で17回開催しており、のべ402人の利害関係者(81人の市民、66人の行政官、65人の企業からの参加者、104人の科学者、58人のNGOからの参加者、24人の学生、4人のジャーナリスト)が参加した、まさに「共につくる」空間の実践である。持続的ツーリズムの構築、海岸都市建設、海洋汚染、漁業・海洋文化、広域気候変動の影響などのテーマで議論が行われた。
 同様に、責任あるAI研究とイノベーション、あるいは責任ある原子力研究とイノベーションは、多くの利害関係者に議論を開き、専門家に閉じない形で将来の課題を議論する場を設計することが必要となる。世界に誇れる日本の技術開発のためにも、こうした場の設計は必須である。

藤原 佳典 地域で多世代で支える、ゆるやかな少子化対策

藤原 佳典

東京都健康長寿医療センター研究所副所長

 喫緊の課題である少子化対策の強化に向けて政府が打ち出した、児童手当や高等教育費の負担軽減策、育休取得の推進などの政策はまさに今後のわが国にとっての背水の陣と言える。
 一方で、人口減少が進む中での、少子化対策については、高齢者施策に学ぶべき点は多い。家族介護の限界から、社会全体で介護を担う仕組みである介護保険制度が2000年に開始されて久しい。その間で、介護に携わる専門職の不足も起因し、2014年以降、地域包括ケアシステムの名のもと、あらためて、地域における互助の重要性が強調されている。
 上述の少子化対策が、まずは、経済的な側面を主眼に家庭内での子育てを支援するものであるとして、同時に解決すべきは、子どもの発育・成長の立場に立つ支援である。核家族化が進み、母親の育児不安や孤立が問題となる中で、親だけでなく多様な人々が子育てあるいは「子育ち」に関わることの重要性が指摘されてきた。子どもを産み育てやすい地域の環境づくりは経済的支援だけではカバーできない課題とも言える。
 例えば、バス・電車内でのベビーカー使用や、子どもの声は騒音かをめぐる論争がしばしば起きており、親や子どもに対して寛容な意見ばかりではない。「子育てのしやすさ」には、保育施設・公的サービスの充実や、手助けの得やすさはもちろんのこと、親世代にとって、子どもが地域社会の中で受け入れられ、大切にされていると感じられることや、子育ての大変さが理解されていると感じられることも重要である。
 筆者らの調査では、20~50代の女性への調査においては、60代以上の人が言ったことや、したことで、子どもや子育てに関するポジティブ経験は、「子どもがあいさつをしたのをほめてくれた」「子育てをよくがんばっているねとほめられた」「赤ちゃんと一緒に散歩していると、かわいいねと声を掛けてくれた」など、何気ない声掛けであった。
 子ども、保護者世代と高齢者のゆるやかな関係については筆者が推進する高齢者による幼稚園・保育園や小学校における子どもへの絵本の読み聞かせボランティア「REPRINTSプロジェクト」を介しても各世代の互恵的効果を実証することができた。
 子育てをすべての世代が喜び、応援できる仕組み・仕掛けを真剣に検討することこそが急がば回れの少子化対策と言えよう。

古川 禎久 「中選挙区連記制」で、新たな政党政治へ

古川 禎久

衆議院議員

 現行の衆議院「小選挙区比例代表並立制」は英米風の二大政党制をめざして導入されたが、30年たっても二大政党は実現しない。日本の風土に合わないのだろう。しかも投票率の低さをみても、制度が民意を反映しているとは言い難い。さらに「小選挙区」は対決原理を内在している。選挙区での対決がそのまま国会に持ちこまれ、与野党に対決的な国会運営を強いる。結果として、政党間の柔軟な協力関係は築きにくい。現行制度を廃止し、「中選挙区連記制」を導入したい。例えば定数3の「中選挙区」を150設けた場合、議席数は450となる(現行より15議席減)。この規模感を目安にし、実勢を勘案しながら、選挙区数を150から増減させても良いし、定数も一律3とせず3~5まで幅を持たせても良い。ポイントは「連記制」だ。有権者が複数の候補者名を書けるので、死票が大幅に減り、対決型でもなくなる。ザッとこんなイメージの「中選挙区連記制」は、①有権者が、意思が反映されたと実感しやすい。②国会運営において、政党間連携が容易になり、結果としてダイナミックな政党政治が期待できる。などの利点があると思う。民主政治はつまるところ民意だ。民意にそわない政策はうまくいかないが、逆に民意が後ろ盾なら政策実現力はグッと高まるだろう。民意を推進力にして政策を実行する。そのための新しい選挙制度が欲しい。衆院議長の下に抜本改革への協議体が設置された。衆院の全党派が参加する超党派議連も応援団として機運を盛り上げる。1年程度を目途に、衆院選挙制度を抜本的に改めたい。人口、財政、エネルギー、地政学リスクに直面する今、果敢に、機動的に、日本丸の舵をとる政党政治を実現したい。

古田 大輔 SNS時代の選挙戦:「調和のある情報空間」実現のために

古田 大輔

ジャーナリスト/メディアコラボ代表

 2024年兵庫県知事選はパワハラ疑惑や告発者の自殺などをめぐる批判から苦戦が予想された斎藤元彦氏が再選した。テレビや新聞は批判的に報道し、世論調査でも支持率が低迷したが「斎藤氏は無実」という主張がソーシャルメディアで拡散。斎藤氏への見方は「マスコミを含む既得権益層の犠牲者」に変化した。
 背景に「情報の空白」がある。選挙期間中、メディアは公平性を重視するため候補者に関する具体的な報道を控え、その空白をソーシャルメディアが埋めた。YouTubeやTikTokでは、民放の発信が弱まる中、インフルエンサーや独立系メディアの動画が拡散し、NHKの出口調査では有権者の30%がSNSや動画を参考にしたと言う。投票率が約15ポイント上がる注目の選挙で、人々が頼ったのは情報の空白を埋めるソーシャルメディアだった。
 人々が頼る「情報の権威」は歴史上何度も交代してきた。アメリカ大統領選を見ても、ソーシャルメディアが巨大な力を持っていることは明らかだ。日本も携帯やスマホによるメディア接触時間が劇的に増加する一方、新聞やテレビは減少しており、影響が選挙にも及ぶのは自明だった。
 ソーシャルメディアは偽情報や誹謗中傷の温床にもなりえる。われわれが取り組むファクトチェックだけではなく、総合的な対策が不可欠だ。国連が提唱する「インフォメーション・インテグリティ」は「情報の誠実性」などと訳される。その本質は「調和のある情報空間」。実現には独立した自由で多元的なジャーナリズムが不可欠だ。ソーシャルメディアが中心となる時代でも、ジャーナリストや報道機関には大きな役割が期待されている。

 識者 ま行

前川 智明 AIエージェントの未来:2025年の展望と課題

前川 智明

株式会社エクサウィザーズ執行役員

 2025年、AIエージェントは私たちの生活や仕事に深く浸透し、ビジネス環境を一変させると予想される。AIエージェントとは、高度な人工知能を搭載し、人間の指示や環境に応じて自律的に行動するソフトウエアやシステムのことである。
 米オープンAIのプロダクト責任者であるケビン・ウェル氏は、「2025年は非常に重要な年になる」と述べている。AIエージェントは「自分で考え自律的に動くAI」として定義され、これまでの「もの知りAI」から「考えるAI」へと進化している。
 AIエージェントは現在、以下の3種類に分類される:
 パーソナルエージェント:個人の秘書のような役割を果たすAIで、メールの返信、休暇の計画、ミーティングの準備などを行う。アップル、グーグル、オープンAI、メタなどの大手テック企業が覇権争いを繰り広げているが、個人のプライベート情報の統合と論理的思考能力が課題となっている。
 特化型エージェント:特定の専門領域に特化したAIである。米国では法務分野の「Harvey AI」やプログラミング分野の「Devin」などがある。日本でも、エクサウィザーズの「IR アシスタント」や「exaBase ロープレ」などもこうした特化型のAIである。狭い領域での深いシステム統合と、技術およびドメイン知識が必要である。
 カンパニーエージェント:企業の情報やサービスに関する問い合わせに、24時間対応するAIである。業務効率と顧客満足度の向上が期待されており、将来的には企業が自社エージェントを持つことが当たり前になると予想されている。
 これらのAIエージェントは、複雑なタスクを自律的に遂行し、人間の生産性を大幅に向上させる可能性を秘めている。オープンAIのサム・アルトマン氏は、将来的にはAIエージェントが「非常に優秀で経験豊富な同僚のように」機能し、人間にはできない、あるいはしたくない作業を代行すると予測している。
 2030年までに、AIエージェントを活用した仕事の仕方が当たり前になると予想されている。人間が数年かけて行っていた作業を、AIエージェントが1時間で完了するような世界が実現する可能性がある。
 一方で、AIエージェントの普及に伴う課題も存在する。判断の透明性や説明可能性の確保、個人情報保護やセキュリティの強化、人間の雇用への影響などが挙げられる。これらの課題に対しては、適切な規制とガイドラインの整備、そして企業側の倫理的な取り組みが不可欠である。
 2025年に向けて、AIエージェントを戦略的に活用する企業が、市場での競争優位性を獲得すると予想される。経営者には、自社の事業におけるAIエージェントの潜在的な活用領域を見極め、積極的な導入と人材育成を進めることを推奨したい。
 AIエージェントの時代はすでに始まっており、その影響力は今後さらに拡大していくだろう。

増島 雅和 オープンイノベーションは戦略リターンの刈り取りフェーズへ

増島 雅和

森・濱田松本法律事務所外国法共同事業パートナー

 政府が「スタートアップ創出元年」を宣言した2022年1月以降、日本のスタートアップ振興策はこれまでとは次元の異なる規模で展開されるようになった。同年11月にはスタートアップへの投資額を5年で10倍に拡大することを柱とするスタートアップ育成5か年計画が打ち出され、起業数の増加と規模の拡大の双方を目標として、シード期からレイター期の全期間にわたる支援施策が次々と実行されている。
 スタートアップに求められる急速な成長のためには、外部からの様々なリソースの提供が不可欠である。補助金や規制緩和をはじめとする様々な政府からの支援は、こうした外部からのリソース供与として重要なものであるが、新たな事業の創出というスタートアップの使命の実現にとってより本質的なのは、コーポレートベンチャリング、すなわち大企業によるスタートアップへのエンゲージメントである。
 民間企業からのリソースを引き出すため、スタートアップは大企業にとっても利益となる様々な事業枠組みを考案し、大企業からの投資を促す。大企業は、スタートアップに資金や事業機会、人材や生産設備等を提供してスタートアップの成長を促し、そこから経済的又は戦略的リターンの獲得を目指す。こうしたオープンイノベーションの考え方は、日本のコーポレート・ベンチャーキャピタル(CVC)の創設期から10年が経過してかなり大企業にも浸透し、その証左として現在およそ1,800ものCVCが国内に存在する。
 CVCが専業のVCと異なる点は、戦略的リターンを求める点にある。CVCの担当者は、スタートアップへの投資を通じて自社の事業戦略の推進を狙うことになるが、投資ポートフォリオから実際に戦略的リターンを引き出すことに成功している事例は多くない。ファンドが10年の満期を迎え、エグジットに至らずに積みあがったマイノリティ株式を前に、戦略の見直しを迫られる大企業も増加しつつある。
 CVCから想定した戦略的リターンが得られていないのは、マイノリティ出資をベースとした協業プロジェクトの実施が自己目的化していることが大きな理由と考えられる。プロジェクトベースでの短期的な協業の試みは、オープンイノベーションを実践しているという打ち上げ花火としての効果はあり、それが資本市場で評価されるという側面はあろうが、これはCVCを設定した大企業が本来予定していた戦略的リターンの姿ではないはずである。スタートアップ投資から戦略的リターンを引き出すためには、マイノリティ投資からマジョリティ投資への引き上げ、すなわち買収のフェーズに進む必要がある。
 マジョリティ投資への引き上げが必要になるのは、大企業自身の事業へのコミットメントを引き上げ、より多くのリソースをスタートアップに投下するためには、マイノリティ投資では経済的に合わないからである。たとえば、スタートアップの商材の販売に大企業が持つ営業力を組織的に用いることを考えた場合、グループ会社でもなければそのようなことは現実的でない。
 買収のフェーズで大きな障害となるのは、グループ入りしたスタートアップを引き続き急成長させられるような環境を提供する組織体制が大企業に備わっていない点である。これは、買収により連結財務諸表に取り込まれることとなるスタートアップを、どのように急成長させられるかについての方法論を大企業が持っていないということであり、それは取りもなおさず、大企業がイノベーションを起こすことができないということの裏返しにほかならない。
 買収を前に大企業が立ちすくむのは、マイノリティ投資とマジョリティ投資との間に何か大きな壁、スタートアップの取り扱いに劇的な変化がある、もしくはあるべきであるとの先入観があるためであるように思われる。これは、買収が事業戦略の1つとして定着したがゆえに、「買収とはこうあるべき」という固定観念が組織に生まれ、スタートアップ買収もそれと同じように行わなければならないとの暗黙の合意が組織に生じてしまっているからではないか。場合によっては、その固定観念がグループ管理体制という形で組織内に制度化されてしまっている企業もあるように見受けられる。
 しかしながら、スタートアップの買収は、これまで大企業が経験してきたいわゆる「買収」というよりはオープンイノベーションの延長ないし深化ととらえた方が実態に近く、また成功の確度が高い。これまでマイノリティ投資により培ってきたオープンイノベーションの延長にスタートアップ買収を位置づけ、オープンイノベーション担当責任者の差配のもと、グループ化を理由により多くのコミットを社内から引き出しつつ、買収したスタートアップの成長をグループ内で加速させる工夫が求められる。
 また、スタートアップの買収がオープンイノベーションの延長であることのコロラリーとして、スタートアップの買収はこれまで大企業が手掛けてきた「買収」よりも動態的なものであることも指摘しておきたい。買収したスタートアップと一定の遠心力を保って付き合うことにより、スタートアップへの出資比率を柔軟に変更することができる形での買収が可能になる。昨今取りざたされることの多くなったスイングバイ買収や、持分法適用にとどめる「支配しない買収」など、無形資産経営をベースとするスタートアップからは、従来型の買収とは異なる方法で戦略リターンの獲得を狙うことができる。
 黎明期から10年を経過したオープンイノベーションは更なる深化を遂げ、2025年は日本においてもスタートアップ買収による戦略リターンの獲得を本格的に模索するフェーズに入ってゆくだろう。

待鳥 聡史 「弱い政権の時代」に備えを

待鳥 聡史

京都大学大学院法学研究科教授

 2024年は日本を含む多くの国で国政選挙が行われたが、政権を担っている勢力の退潮が顕著であった。
 代わって台頭した勢力は、決して有権者からの広い期待を集めているわけではないことも特徴的だ。政権を担う勢力への否定的評価が、代替勢力の伸長をもたらしたに過ぎないからである。極右や極左が各国で存在感を高めているのも、理由は同じであろう。
 かくして、有権者の支持や議会での議席数などについて十分ではない「弱い政権」が多いことが、2025年を考える上での前提となる。
 「弱い政権」は内政面で行き詰まりやすい一方で、外交面では強硬な姿勢をとることがある。今年は各地での戦争や紛争の拡大、人道危機の悪化に、一層警戒すべきだろう。
 少し先まで見通すならば、「弱い政権」を生み出す状況そのものを変えていくことが不可欠となる。各国の国内政治において、極端な勢力の伸長を抑えつつ、包摂的な中道が主導権を安定的に確保する必要がある。
 包摂的な中道とは、社会の多様性や自由で開かれた国際秩序の追求を与件としつつ、そのための具体策と、中長期的視野を伴った経済政策の方向性をめぐって競争しようとする勢力を指す。決して容易ではないが、包摂的な中道がどれだけ政治をリードできるかに、民主主義体制の将来はかかっている。

松岡 亮二 義務教育段階における社会経済的な学校間格差

松岡 亮二

龍谷大学社会学部社会学科准教授

 日本の義務教育制度は標準化されていて、どの地域の小中学校に通っても一定の教育を受けることができる。この点は他国と比べて日本社会の強みだが、98%の児童が公立校に在籍する小学校であっても全学校が同じ教育環境というわけではない。保護者の職業、収入、学歴などを含む概念である社会経済的地位(Socioeconomic status、以下SES)が家庭によって異なり、両親大卒で高い世帯収入といった高SES層が都市部に偏って居住しているので、学校間には児童の平均学力や大学進学希望率などの様々な違いがある。
 SESによる学校間格差は、国の政策に対する反応の違いとしても見られる。事実、全国の小中学校を対象としたデータを分析すると、コロナ禍で期待された情報通信技術(ICT)の活用と学習指導要領が定める「主体的・対話的で深い学び」に関する実践に関して、SESによる学校間格差を確認できる。具体的には、高SES家庭出身の児童生徒の割合が高い学校ではICTがより活用され、「深い学び」が実践・修得されている傾向にある。公立校に限定しても高SES校では学力が高く、授業外の学習時間も長く、保護者もICT活用などに協力的である。教育活動を実践するうえで親和的な条件が揃っている学校において、「望ましい」教育がより実践される傾向が存在するのだ。
 学校SESによって教育実践の難易度が違う以上、模範例などを示して他の学校や自治体で同じ実践を再現させようとする「横展開」と呼ばれる従来の行政手法だけでは学校間格差は埋まらない。文部科学省の予算と人員を増強し、不利な学校現場を支援して効果を検証し、実際にSESによる学校間格差の縮小という結果を出すために試行錯誤を繰り返す行政に転換する必要がある。

松里 公孝 岐路に立つモルドヴァ

松里 公孝

東京大学大学院法学政治学研究科教授

 露ウ戦争が始まった当初、戦争がウクライナ以外にも飛び火するのではないかと危惧され、その危険性がある地域としてモルドヴァ・沿ドニエストルがあげられた。しかし実際に起こったことは、ウクライナに全精力を吸い取られるロシアが、カラバフ、シリアなどの伝統的な親露地域から撤退し、そのため敵対勢力が親露政体を絶滅するというシナリオであった。これに該当せず、熱烈な親欧大統領のマヤ・サンドゥが2024年10月に再選されたモルドヴァは安泰かというと、そうではない。モルドヴァは、ウクライナに比べれば政治の両極化が避けられていた国だったが、2021年にサンドゥ党(行動連帯党)が議会選で圧勝すると、露ウ戦争を待たずして、①ロシアとのガス紛争を原因としたハイパーインフレ、②サンドゥ言説の地政学化、③気に入らない地方選挙結果を取り消すなどの非民主的措置が目立つようになった。モルドヴァの最も活発な野党はユダヤ人オリガークのショル党であったが、この党は2023年に禁止され、その友党連合も大統領選挙に出馬を禁止された。不活発な伝統野党の社会党が対立候補を立てたが、全く魅力のないその候補でさえ、国内票ではサンドゥに勝ち、国外で投票する出稼者の票の出方で負けただけだった。しかも、野党支持者が多いと推察されるロシアには2カ所しか投票所が開かれず(1万しか投票用紙がロシアには送られなかった)、イタリアには60開かれるという不公正ぶりであった。そもそも、「露ウ戦争はウクライナ・NATOに責任がある」と考えている人が「ロシア・プーチンに責任がある」と考えている人よりも多いモルドヴァのような国に熱烈な親欧米政権を立てるという西側の方針が無謀なのである。

松原 宏 地域の包摂的成長を考える

松原 宏

福井県立大学地域経済研究所所長・特命教授

 私が専門とする産業立地の現場では、米中対立、EUとロシアとの関係変化など、動揺する国際政治の影響を強く受ける事例が増えてきている。経済合理性に基づく企業の立地行動やグローバルに構築されてきた空間分業に対して、工場の立地先や原材料の調達先を変更させる動きや「国内回帰」を促す政策を採用する国が増えている。
 アメリカやEUにおける「産業政策の復活」に対して、日本でも経済産業省の経済産業政策新機軸部会で、ミッション志向の産業政策などについての議論が続けられている。同部会の中間整理案では、目指すべき経済社会ビジョンにおいて、「経済成長・国際競争力強化および多様な地域や個人の価値を最大化する包摂的成長の両者を実現する」と述べられている。ただし、地域の包摂的成長の意味は、必ずしも明確ではないように思われる。
 地域間格差や条件不利地域への政策的対応については、日本でも第二次大戦後の国土政策や産業立地政策で長年取り組まれてきたが、財政的に厳しい現代においては、「どの地域も取りこぼさない」と、言葉でいうことは簡単だが、それを具体的に政策として打ち出すことはなかなか難しい。
 私は、個性豊かな多様な地域を包摂して、それぞれの地域が力を出し合うことで新たな成長がもたらされる、イノベーションを起し、地域の競争力を向上させる方向性が重要だと考える。共編書『日本の先進技術と地域の未来』の口絵で示した将来の日本地図によると、人口減少により地域社会を維持していくことが困難な地域が今後広がっていく。包摂的成長を実現する地域と地域との関係はどのようなものか、これまでの経験をもとに、具体的な提案をしていきたい。

松原 実穂子 生成AIとサイバーセキュリティ

松原 実穂子

日本電信電話株式会社チーフ・サイバーセキュリティ・ストラテジスト

 生成AIは、市場登場と同時に残念ながらサイバー攻撃者たちの注目を集め、サイバー攻撃に使われるようになってきた。米IT企業「ラドウェア」の調べでは、生成AIを使うと脆弱性を見つけるための時間を90%短縮できる。また、米IBMでは、訓練目的のためのなりすましメールを作成するのに、以前は16時間かかっていた。ところが生成AIを使うと、なんと5分で作れたという。
 生成AIの悪用によって、サイバー攻撃のハードルが下がるのではないかと当初から懸念されていた。その懸念が現実のものとなったのが、2024年5月に日本で起きたITのバックグラウンドを全く持たない20代の若者の逮捕だった。オンライン上で生成AIを組み合わせ、たった6時間で身代金要求型ウイルス「ランサムウェア」を作ってしまったのである。
 この事件では、ランサムウェアは作られただけで、攻撃には使われていない。しかし、その半年前の2023年11月には、中国浙江省杭州の企業にChatGPTで作ったランサムウェアを使ってサイバー攻撃した容疑により、4人の男が逮捕されている。
 生成AIを悪用しているのは、サイバー犯罪者だけではない。中国やイラン、ロシア、北朝鮮も生成AIを使って、偵察活動やマルウェアの作成をしている。
 サイバー攻撃者が生成AIで攻撃の”効率”を高めている今だからこそ、守る側も生成AIを活用したサイバー防御の効率化が求められよう。守るべきIT資産や情報資産が増え続け、サイバーセキュリティ人材不足が叫ばれている中、脅威の検知や脆弱性の調査など一部の作業を自動化し、守り手の疲労や負担を減らしていくことも重要である。最新技術で強化されたサイバー攻撃に対抗するには、守り手も最新技術で武装するしかない。

松本 紹圭 AIを鏡としてひらかれる、私たちの「正見」とリテラシー

松本 紹圭

僧侶

 AIが生活に浸透し、人とAIが伴走しあう時代を迎えている。AIを支えるのは、人が紡ぐ膨大な言語情報を回収し、その意味やパターン、関係性から特徴(ベクトル)を読み取って、個と全体(個の知と集合知)を捉えて応答する大規模言語モデルだ。
 人間の営みを観察し成長するAIは、人と社会を映す鏡のようでもある。私と私たちの「身口意」(身体、言葉、思考)に浮かび上がる世界の姿を、私たちはAIを通して自ら参照しているのだ。
 こうしたAIとの共創は「言語」の可能性をひらくと予想する。
 言語によって認識を共有・確認することで社会を成立させてきた近代社会は、ある側面で安定をもたらす一方で、別の側面では事象を固定化し、変わりゆく現実との乖離は争いや停滞の種となった。やみくもに個別性を追及すれば、言語化のプロセスで多くの要素が削ぎ落とされ、排除や暴力となり得ることも知った。
 これから、私たちはAIと新たな一歩を踏み出す。手法や表現は異なれど、語り手の思いや願いのベクトルにおおよそ違いはないかもしれないーー顕れる差異を受け入れながら、滔々と向かうベクトルの機微を捉える力こそ、これから求められるリテラシーではないだろうか。
 AIを通して自らに気づいてゆくことで、網の目に広がる背景や、いまここに至る文脈へ心をひらく。環境要素によって、多様に派生・変容する自他を尊び理解する。そうしたリテラシーを養う実践は、仏教における「正見」にもつながる。
 AIは、世界を横断して知恵を培いながら、私たちに言語体験を広げる新たな機会を提供する。1人ひとりが言語と出会い直し、自他の可能性をひらく時代である。

眞鍋 淳 研究者の力で今こそ再び科学技術立国へ

眞鍋 淳

第一三共株式会社代表取締役会長兼CEO

 地政学的リスクが高まる現在、日本においても自国の安全保障と国力強化の重要性は増している。同盟国との関係深化の切り札としても、日本の強みとなるものが必要である。それは何か。私は、サイエンス、すなわち日本の研究者のイノベーションの力に期待している。
 しかし、科学技術指標2024によると、日本の研究開発力は中国・インド等の台頭や米国の継続的な伸長により相対的に低下している。論文数は、約20年前は世界2位であったのが5位となり、被引用数の高い論文数(Top10%補正論文数)は、4位が13位になった。また、日本の研究開発費や研究者数の伸びは、主要国と比べて明らかに劣っている。
 日本が再び科学技術立国となるために、3点を提案したい。1点目は、人材育成である。イノベーションの源泉は人である。小学校から科学の面白さを伝えることや大学改革により、研究の裾野の拡大や研究者数の増加を目指すべきと考える。そしてイノベーションの成功を適切に評価し、研究者の処遇を、報酬面からも研究費・研究時間の確保の面からも改善することが必要である。2点目は、基礎研究の充実である。現在の議論では、基礎研究から実用化への橋渡しに着目されることが多いが、未来に向けては、イノベーションのタネを創るアカデミアの基礎研究の強化が最優先である。そして3点目は、科学技術政策の立案、特に上記の橋渡しの課題解決に企業の意見を取り入れることである。日本の研究開発費は、企業が15.1兆円、大学と公的機関が3.7兆円と、圧倒的に企業が多い。イノベーションの実装(死の谷の克服)にチャレンジし続けて来た企業には多くの知見が集積されている。
 研究開発力の回復は一朝一夕にはできない。国を挙げた取り組みは急務である。

眞野 浩 戦略的国際標準化推進の課題

眞野 浩

EverySense,Inc C.E.O./一般社団法人データ流通推進協議会事務局長

 2024年10月に経団連から「産業データスペースの構築に向けて」という提言が発表された。これに合わせて、筆者の所属する(一社)データ流通推進協議会は、デジタル政策フォーラム、(一社)デジタルトラスト協議会と3団体による共同提言「データガバナンス戦略の推進」を発表した。これは、わが国が提唱したDFFT(Data Free Flow with Trust)の実現にむけた、産官学での取り組みの推進を求めている。
 ここで、使われている「データスペース」とは、欧州では多くの活動が行われ頻繁に使われている用語であるが、現時点で国際標準として明確な用語定義は、確立していない。
 そこで、筆者の呼びかけにより2023年から始まった、欧州、日本、インド、の主だったデータ連携関係者の国際円卓会議IOFDS(International Open Forum on Data Society)では、2025年11月に以下の定義を合意した。
 "Data Space" is a decentralized ecosystem with common policy and rules defined by a governance framework that enables secure and trustworthy data transactions between participants while supporting trust and data sovereignty.
 一方、このデータスペース内で仲介者のサービスを提供するデータ取引市場(Data Trading System)は、わが国の主導のもと世界最大規模の国際標準化団体部あるIEEEよりIEEE3800-2024 IEEE Standard for a Data-Trading System:Overview, Terminology, and Reference Modelが正式に出版されるに至った。IEEEでは、これに引き続きその詳細仕様を定めるP3800.1がスタートした。このような背景から、わが国がデータ取引という分野では、グローバルなリーダシップを確立しつつあり、IOFDSとして2024年11月に東京で開催したData Space Weekには、世界各国より900人近い参加者が参加した。
 このように、国際間協調では、国際標準化を戦略的に活用することが大きな意味を持つ。しかしながら、わが国では国際標準化活動を担う人材不足、戦略性の欠如、価値創出への認識不足などの課題が山積している。特に、国際標準化活動を技術研究開発の一部として位置付けている認識は、大きく世界の価値観と乖離かいりしてある。国際標準化は、ブルーオーシャンを創出するためのマーケティングであることを認識し、これらの課題に取り組むことを期待する。

三日月 大造 戦後80年の節目に―平和をつくる

三日月 大造

滋賀県知事

 世界で紛争や侵略が深刻化する中、2024年の日本被団協のノーベル平和賞受賞は、私たちの核兵器廃絶と恒久的な平和の実現に向けた思いをより強くする出来事だった。
 私自身も昨年は、沖縄の戦没者を祀る「近江の塔」で慰霊し、県内出身の戦死者の遺骨返還式や、アメリカの非営利団体「OBONソサエティ」が県内のご遺族へ遺留品を返還される場へ立ち合い、戦争の悲惨さと平和の尊さを痛感した。
 滋賀県には、戦争体験者の証言や遺留品から過去を学ぶ拠点として平和祈念館があり、私はここを発信地に、子どもや若者へ「のこす」、「ひろげる」、「つなげる」輪をひろげ、戦後90年、100年と平和への思いが語り継がれる社会づくりに取り組みたい。
 同時に、そうした社会の実現に向けては、「信頼」が不可欠であると考えている。
 例えば現在、滋賀県では「誰もが、行きたいときに、行きたいところに移動できる、持続可能な地域交通」の実現に取り組んでいる。具体の事例として、厳しい経営が続く地方鉄道を、約8年かけて、地域住民や沿線自治体、鉄道事業者と課題を共有し、私自身が参加して対話を重ね、共感を得ることで信頼関係を構築し、公有民営による運行の存続につなげることができた。
 今後、県全域において地域ごとに丁寧に対話し、交通税(仮称)など、負担分担の仕組みもつくりながら、持続可能な地域交通の実現に取り組みたい。
 平和なくして夢と希望に満ちた未来はない。このことを強く思いながら、対話を尽くし、信頼を大切に、「未来へと幸せが続く滋賀」づくりに力を尽くしたい。

三上 直之 民主主義の再生のため無作為選出型の市民会議の定着を

三上 直之

名古屋大学大学院環境学研究科教授

 現代社会が直面する諸課題に、これまでの代表制民主主義が十分に対処できない機能不全が、国内外で指摘されて久しい。選挙で勝利した勢力が強権をほしいままにし、社会の分断を深め、民主主義の根幹を掘り崩しかねない風潮も強まっている。
 民主主義の危機に対応する1つのアプローチとして、無作為選出型の市民会議が国内外で静かに広がっている。ミニ・パブリックスとも呼ばれるこの方法は、社会の縮図をつくるように一般から抽選で集められた十数人から数百人の参加者が、議題について専門家からバランスの取れた情報提供を受けた上で、グループに分かれて熟議し、提言文書や投票の形で意見をまとめる。結果は、国や自治体の政策形成などに用いられる。
 価値観が鋭く対立する課題や、数年に一度の選挙のサイクルを超えた長期的な課題の解決に、熟議に基づく民意を生かす方法として、特に2010年代から欧州や北米などで実施数が増加している。経済協力開発機構(OECD)のまとめでは、近年では本格的なものだけでも世界全体で毎年数十件が開かれ、累計733件に上る。うち167件は日本のケースだが、主に自治体レベルのものである。欧州では、この方法を国政課題に活用したり、常設の市民議会の形で制度化したりする例も現れている。国や自治体の気候変動対策をテーマとした気候市民会議も、最近約5年の間に国内外に広がった。
 日本における目下の課題は、民主主義のイノベーションと再生に向けて、このやり方を、公共的問題をめぐる議論や、政策過程における市民参加のメニューとして定着、普及させることである。とりわけ国レベルでの政策形成への導入や、制度化を通じた恒常的な活用が図れるかが焦点である。

三神 万里子 人口減少下の「連携」とは何か

三神 万里子

ジャーナリスト

 「連携」概念は、もともと産学連携や農商工連携といったオープンイノベーションや地域産業振興の文脈で登場した。昨今は急激な人口減少に伴い、意味が資金や人材不足の効率化、商圏縮小に対応する広域的な協力関係に拡張している。単発の交流会を「連携」と呼ぶ例もあれば、プラットフォームの運営、恒常的な顧客マッチングまで多様であり、契約を伴う営業や調達の共同化、業務提携、資本提携、持株会社化や地域会社設立に発展するものまで混在している。
 抽象概念に終わらず具体的な実務につなげるには、当事者のナレッジと時間不足がハードルとなる。「連携」の種類・目的・手法を整理し、自身のフェーズを認識しやすくする必要があるが、支援側である金融機関や財界団体等も人手不足が同時に起きている。
 「連携」は戦略立案や当事者の利害調整を行い、業績向上につなげるプロセスであり、一定の専門分野については独立したアウトソース市場育成がありえる。例えば、利害調整には第三者性と知財や法務、業界知識が生きるためバックオフィス経験者のシニア層に親和性がある。国際的には65歳以上によるコンサルティング会社創業が増えており、若者よりも成功率が高い。また、マーケティングはオンラインで遠隔案件もこなせるため、特に同分野に絞ったスキル教育を女性対象に、独立開業支援を前提として一部自治体が試行中である。
 こうした新たな連結環的な職務は柔軟に動ける個人や小規模事業者から始まるが、再教育のカリキュラムが目的的にカスタムできる構造になっていない点や、対価の相場観が利用側に不足している問題が残る。これらの解決が2025年以降の生き残りを左右するだろう。

見世 千賀子 多文化市民の育成に向けた外国人児童生徒の教育・支援を

見世 千賀子

東京学芸大学先端教育人材育成推進機構准教授

 日本各地における外国人材の受入れは、人口減少や高齢化の進行を背景に、地域経済を支える重要な人材として、今後益々増加することが予想される。帯同される外国人児童生徒も、未来の日本社会を担う貴重な存在である。国は、日本語教育・指導を中心に施策を進めてきているが、かれらのもつ多様な言語・文化的背景を尊重し、より良い多文化共生社会づくりに積極的に参画する多文化市民の育成を充実させる必要がある。
 学校では、コロナ禍を経て、新規に来日する子どもが増えている。同時に、日本生まれ育ちの外国ルーツの児童生徒も増加している。日本生まれ育ちの子どもの多くは、日本語での日常会話には問題ないが、教科書を読んで内容を理解したり、まとまった文章を書いたりすることに課題があり、学習に必要な言葉の力が日本語も母語も年齢相当に十分でない子どもが少なくない。言葉の力は、思考力や人間性の基盤となるものである。就学前段階から、かれらに対する日本語や母語を含む複言語環境を活かした言葉の力を伸ばす教育の充実が求められる。
 中学校では、高校進学に向けた教育や支援が必須である。外国籍の生徒にとって、高校進学と卒業は、在留資格との兼ね合いにおいて、日本で安定的な生活基盤を築けるかどうかに大きく関わる。しかし、日本語能力が十分でない生徒に、一般入試のハードルは高く、外国人生徒の特別の定員枠をもつ高校もあるが、対応は自治体間で差がある。また、入学後に日本語や教科学習の適切な支援が受けられず、留年・中退をするケースもある。高校では卒業後の進学・就職等、多様な進路に向けたキャリア支援も必要である。高校での外国人生徒の教育体制の整備は、喫緊の課題である。
 外国人生徒も日本の生徒も、多文化共生社会の市民性の育成と、生徒の希望に沿うより良いキャリア形成に向けて、幼保・学校・産官学・地域社会等、日本社会全体で連携し、格差なく取り組むことが求められる。

峰岸 真澄 企業の役割はイノベーション創出に他ならない

峰岸 真澄

株式会社リクルートホールディングス代表取締役会長 兼 取締役会議長

 現代社会が直面する課題はその複雑さを増している。世界的な労働力不足、デジタル変革、気候変動対策など、1つの組織や機関では解決できない課題が山積している。このような状況下で、企業、とりわけ大企業の役割が問い直されていると感じている。
 私の持論だが、企業とはビジネスという枠組みを通じて社会の課題を最も効率的かつ確実に解決し得る組織である。特に大企業ほど、資本の力を活用してより大きな社会課題の解決に取り組む使命を担う。
 企業がこうした社会変革を実現するには、2つの要素が不可欠だと考える。1つは、事業のポートフォリオと経営戦略の明確化である。パーパスから中長期のアジェンダを導き出し、それを達成するための緻密な設計図を描く。これはアジェンダを解決するための短中期の事業戦略と、その実現に必要な組織と人材ポートフォリオとして各階層に展開される。
 もう1つの要素が、組織人材マネジメントの確立である。経営戦略を設計どおりに実行する一番のポイントは、マネジメントの力にある。厳格なマネジメントの仕組みを構築した上で、ミッションの「アサインメント」「成果」「評価」が適切に設定され、合意形成できていること。その上で現場に権限を委譲し、個人の意欲を最大限に引き出す環境を整備することが重要だ。これにより、最前線に立つ個人やチームによる新たな創発と価値創造が可能となる。
 こうして持続的なイノベーション創出により社会の課題を解決し、対峙たいじする産業の変革をリードしていくことが、現代の企業と企業経営者に課された最も重要な責務であり、企業が社会変革の担い手として果たすべき本質的な役割ではないだろうか。

宮永 博史 強みが弱みに変わるとき

宮永 博史

東京理科大学名誉教授

 日本経済が世界を席巻し、米国企業の構想力が落ちていた1980年代、なぜ米国企業は弱くなったのか、なぜ日本企業は強いのか、MITがプロジェクトを立ち上げた。米国の危機感を反映した、過去に類を見ない規模のプロジェクトだった。経済、技術、経営、政治など専門の異なる30人の教授陣がメンバーとして参加している。数億円にのぼる調査費用は、すべて民間企業からの寄付であった。
 8つの産業分野にわたり数百回のインタビューを実施し、日米欧の企業200社(このうち工場150箇所)の訪問調査を行った。企業調査だけでなく、マクロ経済、国際貿易、租税、反トラスト、環境保護、知的所有権に関する法律と政策についても重点的に調査している。プロジェクトは、実に足掛け3年にも及んだ。
 その報告書の日本語版が1990年3月に出版された「Made in America―アメリカ再生のための米日欧産業比較」だ。日本語版の序文には「日本の強みが将来弱みに変わってしまうのではないか」と書かれている。その予言通り、1990年代後半から、家電や半導体など日本が強かった産業が次第に競争力を失っていく。
 日本企業の強みである「カイゼン力」は、近隣諸国の追い上げで相対的に弱まり、新しいコンセプトを創造する力は、復活した米欧企業に比べていまだに弱い。成功した企業ほど「イノベーションのジレンマ」に陥りやすいと指摘されるが、まさに日本全体がジレンマに陥っている。
 カイゼン力をさらに磨き、新しい事業を構想する力を養うという二刀流が企業にも政府にも教育現場にも求められている。希望があるのはベンチャーや中小中堅企業だ。いかに上手に事業の世代交代をしていくかが日本にとって重要な課題となっている。

宮永 径 設備投資と経営変革により付加価値競争力の向上を

宮永 径

日本政策投資銀行執行役員/設備投資研究所副所長

 コロナ禍から回復する中で、日本では数十年ぶりにインフレと金利が復活した。人手不足と相まって企業経営の大きな試練となるとともに、これを契機に政府が掲げる「コストカット型経済から成長型経済へ転換」が果たされるかが課題となっている。
 バブル後の日本経済は、設備、負債、雇用の3つの過剰を抱え、企業は30年近くにわたって投資抑制、債務削減、非正規労働化などを進めた。コスト削減には成功したが、リスクテイクが忌避され、付加価値競争力が犠牲となった。
 アベノミクス以降に利益率などの指標は改善してきたが、金融、財政両面の追い風に支えられたほか、賃金抑制による利益確保もみられた。今後こうした要因に頼れなくなる中で、企業の付加価値創出力があらためて問われることになる。
 現在、経済規模あたりの資本ストックをみると、日本は他の先進国と比べて不足気味になっている。重要性が増す人的資本やデジタル関連の無形資産だけでなく、有形固定資産についても先端技術の実装、省力化設備、あるいは維持改修といった投資を積み増す余地がある。
 近年、設備投資計画調査では企業の旺盛な投資意欲が確認される。建設分野の人手不足や資材高などによる遅れはあるが、消費を上回る伸びで内需をけん引している。その中身も、景気感応的な増産投資ではなく、デジタル化、脱炭素、人手不足といった長期的な課題に取り組むものとなっている。
 今後は、スタートアップを含めて、果敢に事業リスクを取ることが期待される一方、事業再編を含めた果断の見直しも必要となる。過剰投資に陥らず、付加価値競争力を継続的に向上するためには、企業経営の変革を伴うことも必須といえよう。

三輪 卓己 専門職の人材不足をどう克服するか

三輪 卓己

桃山学院大学経営学部教授

 わが国ではあらゆる産業において人材不足が深刻化しており、特に専門職においてその傾向が顕著である。企業等の組織には、専門職人材の確保、定着、育成を目的とした様々な施策が必要になっている。
 今後の社会では、大きく分けて2つの専門職が重要になる。1つは、IT技術者やコンサルタント、アナリスト、プランナーといった知識労働型専門職であり、知識社会の進展に伴いその重要性が増大している。もう1つは、医療、介護、教育、ソーシャルワークなどの分野で活躍する感情労働型専門職であり、少子高齢化等により需要が急増している。
 これら2つの専門職の人材不足に対処するには、それぞれの特性に合ったマネジメントを行うことが必要になる。例えば、知識労働型専門職には、彼(彼女)らの自律性や創造性を尊重した人事管理が求められるだろう。従来の日本企業の画一的で組織からの介入の多い人事管理は見直される必要がある。一方、感情労働型専門職には何よりも雇用の保障や処遇条件の改善が求められる。彼(彼女)らの雇用条件や労働環境の悪さは、日本社会の深刻な問題だといえる。感情労働型専門職の価値を認め、働きやすい環境にすること、感情労働につきもののストレスを低減すること等が重要になるだろう。
 また人材不足の問題は量的な側面だけでなく、質的な側面からも考えられなければならない。そのため、人材育成制度等を整えることが重要になるのはもちろんであるが、ITやAIを活用してそれらの効果を強化することも可能である。近年ではITやAIが、社員同士の交流や知識の共有を活発にしたり、相互学習の場を生み出すためにも活用されている。その推進も重要なものになるだろう。

村井 良太 世界と共に生きるために私達のデモクラシーを育て続けよ

村井 良太

駒澤大学法学部教授

 2025年、先の敗戦から80年を迎える。本年は同じく1945年の女性参政権実現80年であり、1925年の男子普通選挙制導入100年にもあたっている。2024年は世界的な選挙の年として注目された。日本でも与党が衆議院で過半数割れを起こして難しい政権運営を迫られている。また地方でも震災・豪雨災害の発生や県知事の辞任と再選など高い関心が注がれた一方、地方メディアが地方の問題を地方の文脈で報じる体力の低下が危惧されている。
 日本のデモクラシーは占領下で与えられたものか。都道府県知事の公選も占領下で始まった。しかしアフガニスタンを見ても、デモクラシーは与えられたからといって長く続くものではない。日本の場合は19世紀半ばの対外関係の激変を受けてまず立憲政治が選択導入され、その後の政治過程の中で第一次世界大戦後には政党間での政権交代が「憲政常道」と呼ばれ、当時の国際協調の中心国の1つともなっていた。しかし、満州事変、そして自ら招いた戦争の時代が押し流してしまった。
 敗戦後に民主主義的傾向は復活強化された。しかし物語はなお終わらない。立憲政治の習熟に時間がかかったように民主政治も同様であった。再建された国際協調にも、国民との絆にも時間がかかった。戦前、婦人参政権獲得運動に尽力し、戦時の言論人、戦後は参議院議員として長く女性の権利擁護に努めた市川房枝は、戦争はもとより政党政治の喪失を悔やみ、戦後の民主主義の健全化、実質化に努めた。私達日本社会はこの80年間も民主政治の下でマドルスルー(泥をかき分けるように進む)してきた。2025年は阪神・淡路大震災から30年の年でもある。デモクラシーを育て、世界の中で善政と調和を求める私達の取り組みは続く。

室田 昌子 空き家問題からエリア価値の創造へ―次世代継承型まちづくり

室田 昌子

東京都市大学名誉教授/横浜市立大学客員教授

 空き家の増加が懸念されている。人口減少・世帯減少社会であることに加えて、これまで地方都市や農山村部に多かった空き家が、今後は大都市やその郊外で急増することが見込まれる。1960~70年代に大規模に実施された宅地開発が、60年を経過して老朽化し、併せて住民の死去などにより空き家化が進むことになる。
 2015年の空家等対策特別措置法の施行以降、空き家問題に対して政府は多くの対策を講じてきた。これまでの日本は、長らく新築重視型社会であったが、ここ十数年間で既存建物の有効活用を前提としたストック活用社会に大きく政策が転換したといえる。
 ストック活用型社会では、既存の空き家や空き地を有効に速やかに活用することが必要である。地域として、現住民のニーズに加えて、将来世代のニーズに対応し、必要な機能の創出や魅力づくり、良好な環境形成につなげることが求められる。大量に発生してくる空き家を放置しておくとエリア価値は下落し、住民は今後の人生に大きな不安を抱えることになる。一方で、新規住民は新たな居住場所として選択しないことになり、ゴーストタウンが出現しかねない。
 現在、各地で空き家活用の試みとして、ベンチャーを含む企業、自治体、NPO、住民などさまざまな主体によるプロジェクトが立ち上がっている。大変ユニークな事例が出現しているが、加えて個別に実施するだけではなく、空き家をいかにエリアにとってのプラス価値に変換できるかが重要である。人口減少下のストック活用型社会では、次世代の地域継承に向けたエリア価値の創造が問われている。そのためには空き家を含めた地域資源の有効活用、エリアの将来ビジョンの共有や各プロジェクト間の創発が求められる。

森川 博之 デジタルに正解はない

森川 博之

東京大学大学院工学系研究科教授

 蒸気機関や電力や情報通信は、社会全体に持続的かつ大きな影響を与える「汎用技術(General Purpose Technology)」である。汎用技術の特徴は、社会にどのような影響を与えるのかあらかじめわからないことと、汎用技術が社会のすみずみに浸透するのに長い年月を有することの2つである。AIを含むデジタルテクノロジーの今後を見通すにあたっては、蒸気機関や電力の歴史が参考になる。
 蒸気機関がウォール街やビジネススクールを生み出したと言われることがある。蒸気機関によって生み出された巨大な鉄道会社は巨額の資金や多くの中間管理職を必要としたことから、ウォール街やビジネススクールにつながったとの論理である。しかしながら、蒸気機関が登場した時点で蒸気機関とウォール街やビジネススクールを結び付けることができた人はいないはずだ。
 電力が工場で使われるようになり、生産ラインの変革がなされるまでには長い年月が必要だった。19世紀末には電灯事業が始まっていたものの、工場動力の電化によって産業の生産性が上昇したのは1920年代以降と言われている。働き方、組織、工場、設計、制度といった変革を伴わなければ、電力の価値を最大限利用できなかったためである。技術を使うのは人であることを忘れてはいけない。
 デジタルテクノロジーも長い年月をかけて産業、経済、社会を変え、まったく新しい市場を生み出すことになる。正解はない。固定概念にとらわれず沈思思考しながら新しい産業と社会制度の確立に向けて1人ひとりが進んでいくしかない。

森下 哲朗 MIRAIのための留学

森下 哲朗

上智大学グローバル化推進担当副学長・法学部教授

 最近のスポーツ界では、若いうちから世界を見据え、世界に挑戦し、世界と交わっている選手が大いに活躍している。優れたものに触れ、常識を壊され、多様性を実感し、挫折を味わい、そこから未来に向けて自ら考え、前に向かって進んでいけることが、世界で戦うためには必要なのだろう。そうした若者を導き支える優れた指導者の存在も欠かせない。これはスポーツ界に限ったことではないだろう。日本の未来を考えた場合、若いうちに日本を飛び出し、直に世界に触れる経験を持つ若者を増やすことが大切である。
 この点で、教育未来創造会議が昨年発表した「未来を創造する若者の留学促進イニシアティブ」(通称:J-MIRAI)の意義は大きい。そこでは、コロナ前に年22.2万人であった日本人学生の留学を2033年までに50万人に増加させるとの構想が示されている(うち、大学は長期・中短期合わせて38万人)。しかし、本年5月の文部科学省の発表によると、大学が把握する日本人の海外留学者は約6万人と伸び悩んでおり、コロナ禍後も回復していない。日本の未来のために、産官学が力を合わせて現状を変える必要がある。
 学生が留学を控える理由としてよく上げられるのは、円安・航空運賃上昇等による経済的な負担の増加、就職活動、自身の外国語能力や海外での生活への不安である。国にはより一層の留学に対する経済的支援を期待したい。また、産業界には、留学をより積極的に評価する姿勢を見せて欲しい。インターンシップに参加しないと就職に不利であるが留学するとその機会を逃すので留学したくないとの声も聴く。それは企業の真に意図するところではないと信じているが、そうならば、企業の方々には、未来を担う若者が今何をすべきかについて、声を大にして語りかけて欲しい。そして言うまでもなく、大学や高校の教員も更なる努力が必要である。まずは、若者に求める前に、自分たちがより世界と積極的に交わることで、身を持ってあるべき姿を示すことである。外国語能力を磨いたり、海外で活躍したりできるようになりたければ、実際に現地に行き経験を積むのが一番であることも伝えなければならない。そして、挑戦したくなるような魅力的な機会を提供し、かつ、そうした機会からより多くを学べるように導く、大きな責任を負っている。

森信 茂樹 財政ポピュリズムを防ぐため独立財政機関の設立を

森信 茂樹

東京財団政策研究所研究主幹

 今般の衆議院選挙では、財源を語らないまま大規模な所得税や消費税などの減税を公約とした財政ポピュリズム政党が大きく躍進した。背景には、アベノミクスによるわが国の中間層の二極化が進み格差が拡大したことや、高齢者重視のシルバー民主主義への若者の批判や反発が、SNSという手段により拡散したことがあると考えている。
 総選挙の結果、自公が過半数割れし、キャスティングボートを握った国民民主党が「103万円の壁」の見直しとして巨額な財源の必要な減税を掲げ自公と政策協議を行っているが、国民民主党は「財源問題は政権与党で考えるべきだ」という対応をとっている。このような財政ポピュリズムを防ぐには、どうすべきか。
 欧米には、規模の大きな新規の政策を行う場合、どの程度の財源が必要で、その手当をしなければ財政赤字がどうなるのかなどについて、政府の立場を離れて客観的に推計する機関がある。
 米国では、政策効果を大きく見せたい政府と、客観的な見積もりに徹する独立財政機関である米議会予算局(CBO)との間で異なる推計が公表され、国民的な議論の手助けになっている。英国では、2010年に財政監視機関として予算責任局(OBR)が設立され、政府から独立した立場で経済や財政を分析している。
 わが国でも、健全な財政運営を議論するために、政府から独立した機関が客観的なデータに基づいて経済を分析する「独立財政機関」の設立が必要だ。すでに超党派の議員連盟も発足し、経済同友会や関西経済連盟など民間からの提言もある。財政健全化に役立つというなら、財務省も反対する理由はないはずだ。

 識者 や行

矢ケ崎 紀子 次世代の観光地域経営へ

矢ケ崎 紀子

東京女子大学教授

 観光は国の経済成長戦略や地域活性化の手段だ。わが国のツーリズム市場は世界とのつながりを深め、地域のビジネス機会が拡大する一方で、地域住民と観光客の動線が交錯し、住民の日常生活や地域の自然や文化資源等にマイナスの影響が出てきた。観光地域づくりには、ビジネスである観光と、住民生活の質の向上が重要である地域という、目指すところと行動原理が異なる分野のバランスをとり融合させる戦略が必要だ。地域が長年培ってきた文化・歴史資源や里山等の自然資源をツーリズム産業が消費して、観光客数の増加のみに取り組む時代は終わった。国も地域も、観光という手段への理解を深め、持続可能な観光地域づくりを促進すべきだ。まず、体制構築が必須だ。観光庁認定の観光地域づくり法人(DMO)は2024年9月に312件が登録されているが、その大半は、地元の観光事業者の会員組織である観光協会が看板を変えたのが実態だ。観光地域経営には、インバウンドと日本人国内旅行の両市場を活用し、地域を尊重し相応の対価を支払ってくれるターゲットに働きかけ、域外からの観光収入を地域にもたらし、かつ、地域の事業者間連携によるサプライチェーンをデザインして観光消費の域内循環を促進することが求められる。ツーリズム産業における人材確保や雇用機会の創出のために、MICE等のビジネス需要やインバウンド需要を活用した需要平準化にも取り組むべきだ。観光経済は外部性が高く、ツーリズム産業だけでなく地域の総力戦で市場に挑戦することで成果が出る。自治体はこれまでの観光行政から脱皮し、地域の多様な力を引き出すDMOとのパートナーシップ構築に本気で取り組んでほしい。

矢作 弘 カリフォルニアは「敗北の政治学」を唾棄し、トランプに対峙

矢作 弘

龍谷大学名誉教授

 米国大統領選挙の後、新聞を開くのが鬱陶しかった。戦時下の、強制退去を恐れる不法移民の、そして気候変動危機に曝されることになる次世代の――子供たちを思い、米国発のニュースに吐き気を感じた。ところが選挙の翌日、カリフォルニア州知事のニューサムが「座して待つ愚はしない」と特別州議会の招集を決めたことを知った。専制主義の、反動政治から民主主義を固守するために、立法と訴訟の準備を急ぐ――という宣言だった。「敗北の政治学」に打ち拉がれることなく、来る恐怖政治に立ち向かう勇気と決意を鼓舞していた。
 カリフォルニア主義はリベラルである。妊娠中絶、移民、LGBTQ+、気候変動、健康保険など尽くトランプ主義と衝突する。そして知事とトランプは宿怨の仲である。トランプは常々、「再選されればカリフォルニアをぶっ潰す」と暴言を吐き、知事は<ブルー州連合>の先陣に立つ姿勢を鮮明にしてきた。実際、トランプ1期目には、カリフォルニアはトランプ政策を覆すために120件の訴訟を起こした。
 「カリフォルニアモデル」の研究がある。州人口は3,900万人、GDPは国に比せば世界4位。その圧倒的なパワーをテコに、経済、社会、文化、先端技術の分野で進歩主義を具現し、国内外に追随を求めてきた。その研究である。トランプは不法移民の排除を含め移民忌避である。不法移民に依存するカリフォルニア農業(ワイン、アーモンド、オレンジ・・・)は大打撃を受ける。アジア系移民の多いシリコンバレーも戦慄している。
 トランプ2期目は「カリフォルニアモデルvs.トランプ」の戦いがさらに激しくなる。地球の裏側でも敗北主義を唾棄し、微力ながら反トランプの論考を書き続ける覚悟が求められている、と改めて考えさせられた。(敬称略)

山崎 史郎 人口問題の「総合戦略」が必要

山崎 史郎

内閣官房参与兼内閣官房全世代型社会保障構築本部事務局総括事務局長

 日本は、ついに本格的な「人口減少時代」に突入した。現在1億2,400万人の総人口は、このまま推移すると、わずか76年後の2100年には6,300万人に半減すると推計されている。100年近く前の1930年の総人口が同程度だったので、単に昔に戻るかのようなイメージを持つかも知れないが、それは事態の深刻さを過小評価するものである。当時は、高齢化率が4.8%の若々しい国だったが、2100年の日本は高齢化率が40%を超える「年老いた国」である。
 人口減少の「スピード」からくる問題がある。このままだと、総人口が年間100万人のペースで減っていく急激な減少期を迎え、しかもこの減少は止めどもなくつづく。「人口急降下」とでも言うべき状況下では、あらゆる経済社会システムが現状を維持できなくなり、「果てしない縮小と撤退」を強いられ、経済社会の運営も個人の生き方もともに、“選択の幅”が極端に狭められた社会に陥るおそれがある。
 我々が目指すべきは、第1は人口の減少スピードを緩和させ、最終的には人口を安定化させること(人口定常化)である。それによって、国民が確固たる将来展望が持てるようにすることが重要となる。一方、仮に人口が定常化したとしても、その効果が本格的に表れるまでには数十年を要し、しかも定常化の人口規模は現在より小さくなることは避けられない。したがって、第2に、各種の経済社会システムを人口動態に適合させ、質的に強靭化を図ることにより、現在より少ない人口でも、多様性に富んだ成長力のある社会を構築していくことが望まれる。この両者の取り組みを一体的に推進する「総合戦略」が必要となる。

山田 勝治 精神論より資源の配分を!―セカンドチャンスを制度化する

山田 勝治

大阪府立西成高等学校校長

 文科省の統計によると2023年に高等学校入学者選抜で定数内の志望者であるにもかかわらず、「不合格」となった者がのべ2,000人を超えた。文科省の指導にもかかわらず、主に障がいを理由に高等学校で学ぶ権利を侵害されている。「業界」ではこれを「適格者主義」と呼んでおり、その信奉者は少なくない。現行の高校制度が始まった1940年代に生まれたこの考え方は、高校進学率99%の現在もなお若者たちの前に立ちはだかっている。
 約80年の間「教育改革」は幾度となく叫ばれ、法に準ずるとされた学習指導要領は10年ごとに改訂された。しかしその時々に大切にすべき政策に向き合う予算配分(環境整備や人的配備)は捨て置かれてきた。「改革」の名に値する制度改革は行われたことすらない。TIMSSやPISAの国際比較はとても気にする「教育大国」を自称する日本では、1994年に発表され世界標準の教育宣言となった「サラマンカ宣言」で定義された学校とは程遠いままである。「宣言」には「学校というところは、子どもたちの身体的・知的・情緒的・言語的もしくは他の状態と関係なくすべての子どもたちを対象とすべきである」と述べられている。
 いまあらためて、教育と社会をつなぐビジョンに注目すべき時が来ている。それは、「社会の不平等の是正」という教育のビジョンである。実際これまでの教育の成果として、社会経済的側面における「所得の平等化(平準化)」という効果が確認されている。教育による格差の拡大固定化ではなく、失敗した若者も従来排除されてきた若者もすべての若者を対象とする学校制度を拡充し、失敗しても繰り返し学校にアクセスする機会を広げることで、社会全体の底上げが図れるのだと考える。排除されてきた若者のファースト・チャンスの平等(機会均等)とセカンドチャンスの拡充こそが大切だ。

山田 美和 日本はアジアにおける人権尊重のリーダーたれ

山田 美和

日本貿易振興機構アジア経済研究所新領域研究センター上席主任調査研究員

 2023年11月末にジュネーブで開催された国連ビジネスと人権フォーラムは、EUコーポレート・サステナビリティ指令”祭り“と揶揄やゆしたくなるほど、同指令に議論が集中した。「ビジネスと人権に関する国連指導原則」は国家の人権保護義務、企業の人権尊重責任、救済へのアクセスを規定する。法的拘束性をもたない同原則をいかに実践するかは各国政府次第だ。同原則は「国家は、企業が常に国家の不作為を好み、または国家の不作為から利益を得ると推定すべきではなく、企業の人権尊重を助長するため、国内的及び国際的措置、強制的及び自発的措置といったスマートミックス(賢い組合せ)を考えるべきである」と説く。EUは指令をもって企業の人権デューディリジェンスの義務化に舵を切った。さて日本はどうするか。日本では「ビジネスと人権に関する行動計画」が2020年に策定され、5年を経た今年、改定が予定されている。
 アジア各国政府がビジネスと人権の取り組みを進めている。タイは行動計画第2版を策定し、インドネシアはビジネスと人権に関する国家戦略を掲げ、今年ASEAN議長国となるマレーシアも第1四半期中に行動計画策定を予定している。人権尊重を進めることで市場の信頼を得て責任ある投資を促す企図だ。その取り組みに日本こそが協働すべきだ。アジア各国の政府、企業、市民社会と向き合い、協働することにより、アジアの人権課題の改善、解決に結びつき、日本企業は人権尊重の責任を果たすことができる。
 世界各地で人権が脅かされている今こそ、トランプ政権になろうと、EUがいかなる規制をしようと、日本は自らの価値として人権尊重を掲げ、具体的政策をもって行動することによって、アジアそして国際社会からの信頼を高めるべきだ。それが日本の国力となる。

山本 健兒 地球温暖化問題への対応もボトムアップの政策と行動を!

山本 健兒

九州大学名誉教授

 「百年に一度」とか「経験したことのない」といったフレーズで語られるほどの豪雨が数年前から日本では毎年のように起きている。年間降水量が日本よりもはるかに少ない世界各地でも同様の豪雨が発生し、大災害が頻発した2024年だった。35℃を超える猛暑日がわが国の多くの場所で何日も連続するという異常で長い夏を私たちは経験した。気候変動は確実に進行している。その原因が温室効果ガス、とりわけ化石燃料を大量消費する生産と生活の両様式にあることは疑問の余地がない。
 その一方でAIの開発が急速に進み、これを活用することによって生産と生活の仕方が変わることもほぼ確実である。懸念されることは多々あるが、その1つにAI活用のための電力消費の増大がある。これは、電力生産拡大政策の推進につながるであろう。しかし、電力消費を減らし、もってその生産抑制のために産業界も生活者もさらに一段の工夫をすべきである。量的な成長が持続可能な発展につながるとは思えないからである。
 そのためには、グローバルな思考とローカルな行動とを組み合わせる営みが必要である。その際の参考の1つとなるのが、オーストリアの基礎的地方自治体の住民を主役として展開されているエネルギー自律性を高めるためのe5という運動である。これを州政府は各自治体の創意工夫とその実行に必要な支援を行うとともに、その成果を客観的かつ定期的に審査し評価するという意味で、自治体間競争が発揮するプラス効果を引き出している。その詳細をここで述べる余裕はないが、代表事例を人口わずか千人台の村に認めることができる。
 トップダウンの政策推進が期待されがちというのがわが国の現状であろう。しかし、問題解決のためにはいかに迂遠うえんに思えても、ボトムアップの政策形成とその実行こそが長期的な有効性を発揮するのではなかろうか。e5運動は多くの住民の自発的協力なしには進展し得ないし、定期的審査はこの点を重視しているので、e5運動への参加が成果をあげるならば住民の多くが自分たちの村や町を誇りに思うようになる。すでに平成の大合併で大規模な地方自治体が作られてしまった日本ではあるが、コミュニティとしての実質を持ちうる規模の地域の住民が創意工夫し、自分たちの思考と行動が誇りにつながるような動きはわが国にもある。地球温暖化問題への取り組みにもそうした動きがうねりとなるような仕組みを作り出す必要がある。

山本 英生 耐量子計算機暗号への移行を進める必要がある

山本 英生

NTTデータ金融イノベーション本部ビジネスデザイン室イノベーションリーダーシップ統括部長

 量子コンピューターが実現した場合に懸念される暗号の危殆化についてはセキュリティーの研究者や専門家の間でこれまでも議論がなされていた。ここで危殆化が懸念されている暗号というのはインターネット間での通信で一般的に使われている公開鍵暗号方式の1つであるRSA暗号というものである。RSA暗号は大きな数の素因数分解はスーパーコンピューターを使っても非常に時間がかかるという特性を生かして考案された暗号である。量子コンピューターが実現した場合にはフィージブルな時間で素因数分解が可能であることが理論的に示されているため暗号の危殆化が懸念されている。量子コンピューターの実現時期については有識者の見解に幅があるのが現状であるが、RSA暗号の危殆化については議論の段階から準備の段階に移行することになりそうである。金融庁は2024年11月に「預金取扱金融機関の耐量子計算機暗号への対応に関する検討会報告書」(注)を公表し、量子コンピューターに耐性を備えた耐量子計算機暗号(Post Quantum Cryptography、以降PQC)への移行を検討する際の推奨事項、課題および留意事項を整理している。この報告書ではPQC移行に向けて、現状の暗号の利用箇所やアルゴリズムの棚卸しを行うことを推奨しており、まずは現状把握からスタートすることになるだろう。また、この報告書自体は主に銀行を意識した内容ではあるが、暗号の危殆化は銀行に限った話ではないため銀行以外の産業にも参考になるだろう。PQC移行はインターネット上の通信の話でもあるので一部が未対応の場合は、そこがセキュリティーホールとなってしまう可能性が高い。今後PQC移行に向けた準備を加速していく必要がある。

(注)「預金取扱金融機関の耐量子計算機暗号への対応に関する検討会」報告書について:金融庁

横倉 義武 ワンヘルス運動の重要性について

横倉 義武

公益社団法人日本医師会名誉会長

 ワンヘルスとは、人の健康、動物の健康、環境の健全性が相互に深く関連していることを前提に、これらを包括的に守る考え方だ。感染症のパンデミックや薬剤耐性(AMR)の拡大、環境破壊など、現代社会が直面する地球規模の課題を解決するため、このアプローチの重要性が国際的に認識されている。
 G7においても、ワンヘルスの推進が保健政策の重要な柱となっている。2023年のG7長崎保健大臣会合では、パンデミック対策やAMR対策における分野横断的なアプローチの必要性が強調され、保健、農業、環境の連携を深めることが合意された。同年10月には「G7ワンヘルス・ハイレベル専門家会合」が開催され、G7各国が具体的な事例を共有し、平時からのワンヘルス・アプローチの実践が国際的に進められている。
 一方で、地方自治体のレベルでも積極的な取り組みが進んでいる。福岡県は「福岡県ワンヘルス推進基本条例」を制定し、人と動物の共生社会の実現を目指す施策を展開している。また、毎年「福岡県ワンヘルス国際フォーラム」を開催し、世界の専門家が集まり知見を共有するとともに、地域特有の課題解決に向けた取り組みを進めている。
 ワンヘルスは、健康危機を予防し、持続可能な社会を築くための基盤的なアプローチだ。G7による国際的な連携と福岡県のような地域レベルでの実践が相互に補完し合うことで、より包括的な対策が可能となる。私たち1人ひとりがこの理念を理解し、行動に移すことが地球規模の健康課題解決につながるのだ。

<参考>
ワンヘルス”One Health”~人と動物の健康と環境の健全性は一つ~

吉川 絵美 米国の新政権誕生による暗号資産業界の動向と展望

吉川 絵美

京都大学大学院特任准教授

 2024年の米国大統領選では、暗号資産業界に対するスタンスが大きな焦点となった。バイデン政権下では、SEC(米国証券取引委員会)が明確な規制フレームワークを欠いたまま「執行による規制」を行い、業界に混乱を招いてきた。インターネット黎明れいめい期において、米国政府が率先してイノベーションを支援した結果、同国企業が圧倒的な地位を築くことができた。一方で暗号資産分野においては非建設的な政策が米国の競争力低下を招いているとの懸念が広がっていた。
 こうした中、暗号資産に肯定的とされるトランプ氏の再選により、今後の展開が注目される。特に2つの潮流が顕著になっている。
 1つ目は、金融機関向けの規制に準拠したDeFi(分散型金融)の実現に向けた動きで、その基盤としての現実資産(RWA)のトークン化である。RWAトークンの時価総額は現在1,850億ドルに達しており、2030年には数兆ドル規模に成長すると予測されている。
 2つ目は、AIエージェントの決済手段としての暗号資産の活用である。AIエージェントは自律的に経済活動を行うAIで、2030年には市場規模が471億ドルに達すると予測される。シリコンバレーを中心としてAIエージェント経済のインフラ開発競争が始まっているが、普及にはKYA(Know Your Agent)などの規制枠組みが不可欠とされる。
 2025年の新トランプ政権下で暗号資産業界が再び活力を取り戻し、米国が世界をリードできるかが注目される。同時に、日本がいかに世界に後れを取らず、経済成長の原動力にするためにも、産学官一体となってイノベーションを推進していく必要がある。

吉田 慎一 「政治とメディア」を論議する情報臨調を

吉田 慎一

テレビ朝日HD前社長/朝日新聞社元編集担当・常務

 2024年は折に触れSNSパワーが脚光を浴び、その遠因として「メディア不信」が繰り返し話題になった。ただ今回も、「不信」の実相は深掘りされず、ネットvs.オールドメディアというお決まりの構図に落とし込まれて消えた。一方で、「不信」の裏では、政治の「変質」が急ピッチで進んでいる。いまこそ「政治とメディア」の問題に向き合うべきだろう。
 日本では膨張し続けるネット情報への既存メディアの取り組みが大きく遅れた。実際の情報社会とメディアが描く世界との間に齟齬そごが生まれ、メディア離れが加速した。経営体力を失った一部メディアは取材網の合理化・縮小を迫られ、情報空間全体をカバーすることが一層できなくなった。皮肉なことに政治の変容が同時進行した。政治主体が自ら情報空間に飛び出し、メディアをますます非力化・相対化した。その日本的表出が都知事選、総選挙、そして兵庫県知事選だった。
 民主政治には判断の基礎となる情報が必要だ。メディアが担ってきたその流通が破綻しつつある。「メディア不信」は単に現象に過ぎない。オールドメディアが「敗北」して消え去れば解決する問題ではない点に深刻さがある。
 日本では「政治」も「メディア」も公開議論の俎上そじょうにあげにくい。権力や権威が「上から」あるいは「外から」与えられてきた歴史があるからだ。そのうえ「言論の自由」という鉄則もある。だが、その鉄則すら揺さぶる危機なのだ。『情報臨調』とも呼ぶべき初の国民的論議があっていい。

 識者 わ行

若林 整 半導体集積回路技術による人々の寛容な知恵の涵養

若林 整

東京科学大学総合研究院集積Green-niX+研究ユニット教授

 五線譜上で互いに隣り合う音符は不協和音を起こす。地球に暮らす人類はそれを回避して協生するためにGlobal化を進めたが、それが容易なほど地球は狭くない。互いに深く理解し合うためには人々の寛容な知恵の涵養が求められ、最近は半導体集積回路技術を最大限に活用したコミュニケーションの円滑化や人々の相互理解が進展している。それらの柔軟で適切な動作・活用のためにAI(Artificial Intelligence)技術が広く適用されており、ソフトウェア技術の進歩だけでなく、半導体集積回路ハードウェア技術による低エネルギー遅延積化が必須である。さらに、AI向け積和演算を行うメモリの3次元(3D)積層集積(Chiplet)化が進められており、その先にはメモリと論理回路が融合したCompute in Memory(CiM)技術などによるComputer Architectureの大変革が起ころうとしている。ここで、半導体集積回路では、有名なMoore’s lawに従って、1つの半導体モジュール当たりのトランジスタ数は2年で2倍となることが継続して実現されており、半導体集積回路をAIで開発したとしても、年次で開発能力を向上させるために国を跨いだ人財の確保が喫緊の課題となっている。
 しかしAIおよび半導体集積回路技術は、経済安全保障(国家安全保障ではない)上の戦略物資として理解されて、”God helps those who help themselves.”(天は自ら助くるものを助く:中村敬宇正直訳)を貫くことが期待されている。一方、AIは境界条件なし・疲労なし・倫理観なし・責任なしに大きな課題があり、AIの出力の良し悪しを判断できる教養と経験、倫理観、正義感について、人が試される時代が到来している。集積規模と難易度がますます高まるAIおよび半導体集積回路技術の革新力を維持するためには競争よりも協調が必要であり、世界の分断を何が何でも絶対に回避すべきである。東京科学大学すずかけ台キャンパスの建物に刻まれている言葉は貴重である。
 ”Science knows no country,” Louis Pasteur

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
(出典)NIRA総合研究開発機構(2025)「日本と世界の課題2025」