NIRAオピニオンNo.88 2026.01.07 経済社会の変遷と女性の就労昭和100年を振り返って この記事は分で読めます シェア Tweet 翁百合 日本総合研究所シニアフェロー/NIRA総合研究開発機構理事 概要 昭和元年以降、現在に至る100年間、日本の経済社会は産業構造の転換に応じて、Ⅰ戦前・戦中期、Ⅱ高度経済成長期、Ⅲ安定成長期、Ⅳ低成長期を経て変遷を遂げており、その時代に合わせて選択された制度や政策が女性の生き方、働き方、暮らし方に影響を与えてきた。 昭和初期の女性の就労は農業が多かったため共働きも一般的であったが、戦時の人口政策により女性は家庭に誘導され、税制でも配偶者に対する扶養控除が導入された。高度成長期には工業化によって「正社員の夫+子育てと家事を担う専業主婦+子ども2人」という標準家族モデルが形成され、税制や企業慣行により定着していった。その後、安定成長期にはサービス経済化も進んで子育て後のパート就労が拡大し、第3号被保険者制度と男女雇用機会均等法が同時に導入された。さらに、低成長期には女性の学歴が向上し就業も拡大したが、30代以降の非正規化傾向によって女性の潜在能力が十分発揮されておらず、未婚化・少子化も進行している。 令和の現在も、昭和期に形成された「標準家族主義」は、制度や社会規範として残り、価値観が多様化した女性の生きづらさにつながっている面がある。今後はライフステージに合わせた柔軟な働き方、子育ての社会化、性別役割意識の見直し、働き方に中立的な制度改革など、総合的に「少子化対策と両立する女性活躍支援」を進めていくことが求められる*。 INDEX はじめに 1.経済社会の変遷:産業構造と就労状況の変化、人々の地域間移動と暮らし Ⅰ期 戦前・戦中期(1926~45年):就農者が多かった時代 Ⅱ期 戦後復興~高度経済成長期(1946~73年):第2、第3次産業従事者の増加、都市への人口集中、中流意識が大幅拡大 Ⅲ期 バブル崩壊までの安定成長期(1974~89年):経済大国の地位を確立、サービス経済化と第3次産業の就業増 Ⅳ期 バブル崩壊以降の低成長期(1990~2025年):続く第3次産業への就業増加と地方からの人口流出、暮らしのゆとりが低下 2.人口問題への取組、教育政策、税制や社会保障制度、雇用制度の主な変化 Ⅰ期 戦時に人口増加政策を採用、同時期に配偶者が税制上扶養控除の対象に Ⅱ期 男女教育の機会均等方針、家事育児を担う配偶者に対する配偶者控除制度の導入 Ⅲ期 第3号被保険者制度と男女雇用機会均等法が同じ年に開始 Ⅳ期 少子化対策の開始と非正規社員の原則自由化 3.女性の生き方・働き方・暮らし方は昭和時代にどう変わったか:データの確認 Ⅰ期 農業従事者による共働き共育ての昭和初期時代~戦時に妻は夫を家庭で支え子ども5人が国策に Ⅱ期 「正社員の夫+専業主婦+子ども2人」の標準家族モデルが形成され始めた高度成長期時代 Ⅲ期 パート就労が増えた「M字カーブ」全盛の安定成長時代 Ⅳ期 女性の就業増加、就労調整による「L字カーブ」化、未婚が大幅に増えた低成長時代 4.終わりにかえて 残り続けている昭和の「標準家族主義」の制度と慣行、社会規範 今日的な課題と解決の方向 はじめに 雇用や教育、社会保障・税などの制度や政策、そして企業等の慣行は、人びとの生き方や働き方だけでなく、人びとの意識や社会の規範にも変化を与える。とりわけ、雇用制度・政策は、その時代にとって望ましい姿を巡って、働く者同士、雇う者同士の間でも考え方が異なる場合があり、時には働く者と雇う者との間で対立を生んできた。当事者間の議論を経て、社会が選択してきた様々な制度や政策は、その後の経済・社会の発展によって変質を遂げるものもあれば、残り続けるものもあり、女性の生き方、働き方、暮らし方にも影響を与えてきている。 こうした問題意識のもと、昭和元年からちょうど100年という節目を迎えている現在(注1)、本論考では、時代的な背景から様々な制度や政策の関係を有機的に読み解き、それらが女性の就労に与えてきた影響を振り返ることにより今後の政策論議への示唆を導き出したい。 まず1.では、経済成長の変わり目に着目してこの100年を以下の4期に分け、経済社会の変化と人びとの暮らし方の変遷を概観する。 Ⅰ期 昭和20年までの戦前・戦中期(1926~45年の20年間) Ⅱ期 戦後復興から第1次石油ショックの昭和48年までの高度成長期 (1946~73年までの28年間) Ⅲ期 昭和49年から平成元年までの安定成長期(1974~89年までの16年間) Ⅳ期 株価バブル崩壊後の平成2年から令和7年までの低成長期 (1990~2025年までの36年間) 次に2.で、女性のライフスタイルに関連する政策や家族観、教育、社会保障や税、雇用などの制度改革の変遷を概観する。3.では、各時期の女性の生き方、働き方、暮らし方に、1.や2.の変化がどのように影響を与えたかをデータで確認し検討を深める。最後の4.で今日的な課題について検討する。 1.経済社会の変遷:産業構造と就労状況の変化、人々の地域間移動と暮らし ポイント:昭和初期の就業者は農業の割合が高かったが、戦後の高度経済成長期に第2次、第3次産業の拡大により就労構造も変化し都市への人口集中が急速に進展。国民所得は上昇し、白物家電の普及など人々の暮らしにも余裕が生まれた。バブル崩壊後の低成長期には第3次産業の就業が増加、地方からの人口流出も小規模ながら続いている。また所得の伸びは鈍化、実質消費支出は低下傾向を辿り生活のゆとりのない世帯も増えている。 Ⅰ期 戦前・戦中期(1926~45年):就農者が多かった時代 昭和初期には国内生産の約3割を農業が占めていた(図1)。一方、第1次世界大戦により工業品輸入が途絶えたため、電気機械、繊維機械、自動車などの製造業が徐々に成長し、それに伴って、電力供給の増加などのインフラ整備や技術革新も進んだ。 図1 国内生産の産業別構成(1925~2023年) (注)波線(1930年、1946年、1970年、1994年)において、異なる統計を接合している(注2)。(出所)一橋大学経済研究所『⻑期経済統計』「1.国民所得 第9表 産業別純国内生産(市場価格表示,当年価格,1925~1929年)」、「1.国民所得 第9-A表 産業別純国内生産(要素費用表示年価格,当年価格,1930~1971年)」、1998年度国民経済計算(1990基準・68SNA)「経済活動別国内総生産(実質)」、2023年度国民経済計算(2015年基準・2008SNA)「経済活動別国内総生産(実質:連鎖方式)」 当時、就業者の過半は農業に従事していたが(図2)、財閥や株主などに富が集中しており、農村には家計に余裕がない世帯が多く存在した。やがて、農家の次男、三男などを中心とする男性が都市部へ出稼ぎに向かい、製造業など第2次産業の労働者が徐々に増加した。 図2 産業別の就業者数(男女合計) (注)2015年、2020年は不詳補完値(利用者の利便性を図るために主な項目の集計結果に含まれる「不詳」を按分等によって補完した「不詳補完値」を算出し参考として公表しているもの)を用いている。(出所)国勢調査 その後、1937年の日中戦争勃発を境に統制経済へと突入し、生産力拡充政策がとられた。当初は軍需産業の拡大がみられたが、多くの基礎物資を米英圏に頼っていたため、両国との対立の深まりにより経済は停滞し、人びとの暮らしも厳しいものになっていった。 Ⅱ期 戦後復興~高度経済成長期(1946~73年):第2、第3次産業従事者の増加、都市への人口集中、中流意識が大幅拡大 第2次大戦終戦後は経済復興のために傾斜生産方式とよばれる経済政策(注3)が採用され、鉄鋼と石炭といった基幹産業の増産が優先された。その後、1950年の朝鮮戦争勃発を契機に幅広い産業で生産が拡大し、賃金・所得・消費も増大した。1961年からの政府による所得倍増計画もあって実質国民所得が大きく増加し、高度経済成長の下で1人当たりの実質所得は製造業・小売業で大幅な伸びを記録した(表1の1947年~1975年)。未曾有の成長過程で、労使の協調的な関係、終身雇用、年功序列に代表される日本的経営が形成された。 この間、農業生産比率は大きく縮小した(図1)。農業従事者が急速に減少する一方、第2、第3次産業に従事する就業者が急増し、産業・就業両面で製造業等を中心する経済構造へと大きく転換した(図2)。農業従事者が製造業等に大きくシフトした主要な背景は、農業従事者と、製造業・卸小売業従事者との所得格差の広がりにあった(表1)。また、第2、3次産業の雇用需要を反映して、この時期、当初は男性が女性をやや上回る形で、地方から都市部への集団就職による人口流入と定住が大規模に進んだ(図3)。 表1 産業別の年間実質所得 (注)男女の平均。製造業、卸売・小売業は賃金(注4)。(出所)農業は一橋大学経済研究所『⻑期経済統計』「9.農林業 第34表 農林業賃金および耕地反当り地価・小作料」(1925~1954年)、農林水産省「生産農業所得統計」(1955~2023年)、同「農林業センサス」(1995年以降5年毎)、同「農業構造動態調査」(1976~2023年)。製造業は一橋大学経済研究所『⻑期経済統計』「8.物価 第26表 製造業平均賃金(B系列)」(1925~1943年)、総務省統計局『日本統計年鑑』(1947~2023年)。消費者物価指数は一橋大学経済研究所『長期経済統計』「8.物価 第2表 消費者物価指数」(1920年~1965年)、総務省統計局『消費者物価指数』(1946年~2023年) 図3 各地域の転入超過数の推移 (注)日本人の移動者。地域区分は次の通りで、各都道府県の数字を合計した。東京圏:埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県地方圏:東京圏(上記)、名古屋圏(岐阜県、愛知県、三重県)、関西圏(京都府、大阪府、兵庫県、奈良県)以外の地域(出所)統計局「住民基本台帳人口移動報告」 1世帯当たりの実質消費支出をみると、戦後の実質所得の増加を映じて高度成長期に大きく伸びた。平均的な国民の費目別構成は、所得自体の向上による生活のゆとりを反映して、消費に占める食費の割合が低下した(図4)。この時期、占領期の財閥解体等の民主改革や累進的な所得税等の分配政策もあって、所得の平等化が進んだ。家電などの普及で消費が大きく拡大するなど人びとの暮らしは豊かになり、1970年代前半には90%が中流意識を持つに至った(注5)。 図4 1世帯あたり月間実質消費支出額および費目別構成 (注)全都市、全世帯(総世帯から農林漁家と単身者世帯を除いたもの)の平均。実質消費支出を算出するのに用いた消費者物価指数は、表1と同じ方法で求めた。支出構成については文末脚注を参照いただきたい(注6)。(出所)総務省統計局『日本帝国統計年鑑』『日本統計年鑑』 Ⅲ期 バブル崩壊までの安定成長期(1974~89年):経済大国の地位を確立、サービス経済化と第3次産業の就業増 1973年の第1次石油ショックで高度成長は終わったが、他国に先駆けて厳しいインフレを克服し日本は経済大国の地位を確立した。その背景には、労働者が1974~75年の実質賃金低下を雇用維持と引き換えに受け入れたこと、重厚長大産業・素材産業から電子機器や自動車などの機械産業にいち早く産業構造を転換したことがあった。1980年代に入ると日本的雇用慣行は競争力の源泉として世界から注目を集めた。 一方、記録的な対米貿易黒字額を計上、日米貿易摩擦が激化した。1985年のプラザ合意後の円高不況に対応した金融緩和により消費が大きく伸び、サービス経済化も進展した(図1)。だが1989年をピークに株価バブルが崩壊、不動産価格も低下し多くの企業が過剰債務を抱え始めた。就業面では雇用の重心が第3次産業に移っていった(図2)。都市と地方の所得格差は少しずつ縮まり、地方からの人口流出も高度成長期の3分の1程度に縮小した(図3)。また、1世帯当たりの実質消費支出の伸びはⅡ期と比べて緩やかなものにとどまった(図4)。 Ⅳ期 バブル崩壊以降の低成長期(1990~2025年):続く第3次産業への就業増加と地方からの人口流出、暮らしのゆとりが低下 1990年代以降も「商業・サービス業」「その他」など第3次産業の生産割合が高い状況が続いている(図1)。この間、IT関連産業や製造業の国内投資は停滞し、国際的な競争力が低下し、生産年齢人口が1995年に、また総人口も2008年にピークアウトする中で低成長が続いた。2000年以降、製造業の実質所得は伸び悩み、ないしは減少している。就業者の約7割が第3次産業に従事するようになった(図2)。また、農業従事者のシェアはさらに大きく低下した。 こうした中、地方からの人口流出は女性が男性を上回る形で持続している(図3)。また、この時期は卸小売業の実質所得が若干減少し始めている(表1)。1世帯当たりの実質消費支出の伸びはゆるやかに減少し(図4)(注7)、支出に占める食料品の割合は、2000年代以降は微増となった。これは、生活に余裕がない世帯の増加を示唆している。 2.人口問題への取組、教育政策、税制や社会保障制度、雇用制度の主な変化 ポイント:戦中期に人口増加政策の一環として女性を家庭に誘導する動きが強まった。戦後は出生が抑制され、高度成長期から安定成長期にかけて正社員男性・専業主婦の家庭モデルを支える社会保障・税制度が整備された。子どもの数の減少、所得向上もあって高度成長期は男女とも学歴は向上、低成長期に入ると女性の4年制大学への進学率が急上昇、男女間学歴差は着実に縮小した。こうした中、86年の男女雇用機会均等法で女性の就業機会が広がった。低成長期には非正規社員が原則自由化され、女性が非正規社員として働くことが一般化した。 Ⅰ期 戦時に人口増加政策を採用、同時期に配偶者が税制上扶養控除の対象に 戦前・戦中期、農村部では、義務教育の尋常小学校(6年制)、あるいは、その後の高等小学校(2年制)を卒業した後、すぐに家業の農業を手伝う子どもが多かったが、就学する子どもは中等学校(男性は旧制中学校、女子は高等女学校)に進学した。高等教育は旧制高等学校・帝国大学が担っていた。当時、女子の高校就学率は低く、良妻賢母であることが期待された。 昭和初期は、結婚しても自家で農業に従事する女性が多かったこともあり、税制上、配偶者は扶養控除の対象とはなっていなかった。しかし、1940年に配偶者を夫の所得税の扶養控除の対象とする制度改正が行われた。背景には日中戦争への男性動員で出生率が1930年後半に減少傾向となったことがある(図5)。政府は1941年の「人口政策確立要綱」で1夫婦の出生数を平均5児とし、20歳を超える女子の被用者としての就業を抑制した(注8)。この要綱には、扶養家族の多いものの負担を軽減し、独身者の負担を加重する等、租税政策について人口政策との関係を考慮すること、と記載されている(注9)。 図5 出生数と合計特殊出生率の推移 (出所)国立社会保障・人口問題研究所「人口統計資料集(2025年版)」 Ⅱ期 男女教育の機会均等方針、家事育児を担う配偶者に対する配偶者控除制度の導入 第2次大戦終了後、外地からの民間人の引き揚げや、旧日本軍兵士の復員が進み、1947~49年にベビーブームが起こった。これがいわゆる団塊の世代である。政府は中絶自由化の方向に政策を転換し、1949年に優生保護法を導入した。また、厚生省の人口問題審議会の提言、日本家族計画連盟などの民間団体による地域活動、さらに企業を巻き込んだ新生活運動といった多様なチャネルを通じて、生活改善とともに自主的な家族計画(計画的な家族設計)の普及が図られ(注10)、出生数はその後大きく減少した。 教育面では、1945年に男女間の教育の機会均等方針が定められ、1947年には多くの公立高等学校が男女共学になるなど現在の学校制度が作られた。子ども数減少と所得の向上から、高校進学率をみると1950年の男性5割、女性4割から上昇し、1973年にはほぼ全員高校に進学している(図6)。大学進学率は男女とも上昇し1973年には男性は4割を超えた。 図6 男女別学歴の変化 (注)1984年以前の「高等学校等」は通信制課程(本科)への進学者を除く。(出所)学校基本調査 工業化が進む中でサラリーマン家庭が増えて正社員男性を中心とした雇用慣行が形成された。税制面では、1961年には専業主婦の妻の立場を子どもなどの扶養控除から独立させる配偶者控除制度が導入された(注11)。 Ⅲ期 第3号被保険者制度と男女雇用機会均等法が同じ年に開始 安定成長期初期に合計特殊出生率は2.1まで低下した。だが、石油ショック下における第2次ベビーブーム(1971~74年、いわゆる団塊ジュニア)発生と、1972年に発表されたローマクラブのレポート「成長の限界」などによって、人口過剰が日本でも注目されるようになる(注12)。1974年8月の世界人口会議に先立ち、7月の日本人口会議では少子化奨励の方向が打ち出された(注13)。 こうした中、女性の短大進学率が2割にまで上昇した。しかし、就職後数年で結婚退職するケースが多く、女性の4年制大学進学率は、安定成長終了期(1990年)でも1割程度であった。 1986年には「第3号被保険者制度」が導入された。これは1970年代から自民党を中心に議論されてきた、家族を介護や子育ての担い手とする「日本型福祉社会」の思想の影響を受けたもの(注14)で、世帯単位で社会保障を設計して女性の年金権等を確立する制度であった。一方で優遇措置でもあったために、片働きの世帯モデルを社会に定着させることにつながった。 同年に「男女雇用機会均等法」が、国際社会からの要請や高まる女性の雇用機会均等への期待を受けて成立し、企業慣行に根強い男女差別を是正しつつ、大卒女子にも男性と同様、総合職の門戸が開かれることになった。 Ⅳ期 少子化対策の開始と非正規社員の原則自由化 低成長期に入った1990年に合計特殊出生率1.57ショックが起こるなど、少子化対策の重要性が認識されるようになった。1994年の「エンゼルプラン」を始めとして、育児休業支援、保育園整備などの施策が国レベルで少しずつ進められた(注15)。1991年には育児休業法が制定され、1995年には雇用保険からの育児休業給付が始まり、2021年には男性育児休暇が大幅に拡充された。2004年には不妊治療への助成制度、2022年には保険適用も始まった。2023年に総合的少子化対策が公表され児童手当などの拡充が図られている。 この時期に女性の大学進学率が男性のそれを上回る勢いで伸びた(図6)。1994年には女性の大学進学率が短大進学率(20%程度)を上回り、現状の大学進学率は男性が6割、女性が5割強程度と大きな差がなくなった。 一方で、2000年代に入り非正規社員が増加した。「労働者派遣法」は1985年に成立していたが、1990年代になると経済界の強い働きかけ(注16)もあって、1999年に非正規社員が原則自由化、2004年には製造業への派遣が解禁された。いまや非正規社員は労働人口の3割を占め、女性労働者の過半を占めるようになった。 3.女性の生き方・働き方・暮らし方は昭和時代にどう変わったか:データの確認 以上、経済社会の変遷や制度、政策の変化などを概観してきたが、これらは女性の生き方や働き方、暮らし方に実際にどのような影響を与えたのか。Ⅰ~Ⅳ期に分けて、様々なデータを分析しつつ、その影響と動向を追っていく。はじめに、この100年における女性の生き方・働き方の各期の特徴を示す(図7)。 図7 女性の年齢階級別の就業率の変化 (出所)総務省統計局『国勢調査』、一橋大学経済研究所『長期経済統計』「2.労働力 第6表 男女・年齢5歳階級別全有業者数」(1920~1940年)を用いて計算。 ここでは、ノーベル経済学賞を受賞したクラウディア・ゴールディン教授の分析(2023)を参考にする。同氏は、1900年から2000年にかけて米国の大卒女性の生き方を5つのグループに分けて説明している。そこで示された用語を参考にして、各期の日本の女性全体の生き方・働き方の特徴を示すと、次のようになる。 Ⅰ期の昭和初期、女性の就業率は、10代後半をのぞき、どの年齢層も他の期に比べて高くはない(図9)。若年時の結婚と多産が特徴であり、女性の多くは10代で就労し、就農者が多かったため家事労働と農業を同時に担う“Family and Job”(家庭と仕事)の時代だった。 その後、Ⅱ期の高度経済成長期は、男性正社員は長時間労働、女性は家庭で家事、育児という役割分担が定着し、子育てが終わるとパートとして働き始める“Family then Part-time Job”(家庭のあとにパートの仕事)の時代といえる。10代後半の就業率が低下する一方で、40代の就業率は上昇している。 Ⅲ期の安定成長期は、多くの女性はいったん就職して結婚・出産を期に退職、育児後にパート勤務として再就職するケースが多くなった。いわゆるM字カーブが定着した時期であり、“Job then Family then Part-time Job”(仕事のあとに家庭、その後パートの仕事)ということができる。20代後半の就業率が急速に上昇したが、30代前半の就業率はその上昇に追いつかなかった。 低成長期のⅣ期に入ると、30代の就業率も上昇し年齢別の就業率の差は縮小した。子育てしつつ正社員として働く女性も徐々に増えているが、多くの女性は非正規となるなど、働き方、生き方に葛藤しており、“Caught between Career and Family”(キャリアも家庭も:その両立に悩む)の時期といえる。 以下、時代ごとに変化をみていく。 Ⅰ期 農業従事者による共働き共育ての昭和初期時代~戦時に妻は夫を家庭で支え子ども5人が国策に ポイント:昭和初期の女性は10代後半を除いて就業率は低かったが、就業者の多くが農業に従事し共働きは一般的であった。1940年代の出産奨励政策は、戦時期の女性を家庭に誘導していった。 昭和初期、農家では3世代同居が多く子育てや高齢者の世話は家族で分担していた。女性就業者の6割強が農業に従事していたため(図8)、夫婦共働きが一般的だった。女性の就業率カーブを年代別でみると、10代後半がもっとも高く6割以上が働いており、その後は若干下がるが、年齢にかかわらず50代前半まで一定で推移しほぼ「横一文字」の形を示していた(図9)。Ⅱ∼Ⅳ期に比較すると、20代以降の就業率は低かった。 図8 女性の産業別就業者数と産業構成 (注)2015年、2020年は不詳補完値を用いている。不詳補完値については、図2注を参照。(出所)国勢調査。 図9 年齢別就業率カーブの変化 (注)1920、30、40年は有業者、55年は就業者。また、1920年は一番上の年齢階級が60歳以上のため、55-64歳および65歳以上は55-59歳と60歳以上の平均。(出所)国勢調査(1920年、1930年、1940年、1955年)、労働力調査年報(1968年、1975年、1990年、2000年、2010年、2024年) 当時の平均初婚年齢は23歳で、女子の多くは尋常小学校(6年制)や高等小学校(2年制)卒業後に農業に従事したのちに結婚するか、中学(旧制高等小学校)や女学校卒業後に結婚、または紡績産業などの軽工業、販売業など(注17)で数年従事したのちに結婚するといった「皆婚社会」であった(図10)。明治末から大正期生まれの女性の6割以上が4人以上の子どもを持つ多産社会でもあった(図11)。子どもの多くは労働力として期待され、乳児死亡率の高さや妊娠中絶の不認可も、高い出生率に寄与した。 図10 男女別にみた、初婚年齢の変化と未婚者割合(40歳時点) (出所)厚生労働省「人口動態統計」、総務省統計局「国勢調査」 図11 妻の生まれ年別にみた出生児数割合の推移 (注)「国勢調査」は既婚女性、「出生動向基本調査」は初婚同士の夫婦で、妻の年齢が45~49歳の子どもの数。(出所)国立社会保障・人口問題研究所「人口統計資料集(2025年版)」。妻の生まれ年が1900~1925年までは総務省統計局『国勢調査』、妻の生まれ年が1927年以降は、国立社会保障・人口問題研究所「出産力調査」「出生動向基本調査」による。 1941年、政府は「人口政策確立要綱」で、女性に「5人以上の子を産み育てる」専業主婦像を求め、20歳を超える女性の被用者としての就業は抑制された。税制面で、配偶者が初めて扶養控除の対象とされた。これが今日の配偶者控除の源流といえる。 Ⅱ期 「正社員の夫+専業主婦+子ども2人」の標準家族モデルが形成され始めた高度成長期時代 ポイント:製造業を中心とした日本型雇用慣行が女性の役割分担を規定し、税制面でも配偶者控除制度などの後押しがあり、家族の「昭和モデル」の基盤が形成された。 高度成長期には、団塊の世代が農村から都市へ移動して、都市での豊富な労働力となり、女性の就業先も農業から製造業や第3次産業へ移行した(図8)。高校卒業後に就職することが主流となり、女性の15~19歳の就業率は大きく低下した。短大に進学する女性も増加し始め、20代前半での短期間の就業は増えたが、専業主婦となる25~35歳で就業率も低下した(図9)。一方、35歳以上の女性の就業率が上昇していることから、子育てが一段落した後にパートとして再就職する女性が徐々に増えていったことがわかる。ほぼ皆婚であったことは戦前と変わらない。つまり、この時期の女性の生き方は、若年期にごく短期間就職しても、家庭形成をまず優先する“Family then Part-time Job”(家庭のあとに仕事)と特徴づけられる(図7)。 この時期は、中絶・避妊も自由化、家族計画の普及が図られたこともあって、出生率が低下し、子ども2人の家庭が過半となり、社会規範となっていった(図11)。森口(2013)は、「日本型モデルの核心は、企業がホワイトカラーだけではなくブルーカラー従業員をも含めた「正社員」に人的資本投資と雇用保障を約束し、それと引き換えに労働者の献身と熟練に裏打ちされた高い生産性を実現する点にある」と述べている。1960年代以降、企業は雇用保障に加えて、福利厚生も拡充、従業員とその家族の生活を丸ごと支援する体制を整備した。こうした施策も、従業員の生活を支える家族主義的な企業文化を形成した。サラリーマン家庭の増加で、夫が企業に勤務する一方、子どもはそれまでの3世代家族の中で育ち「家業を手伝う存在」から家庭の中で「育成すべき存在」となり、妻が子育てを一手に担う役割が定着し始めた。こうして「正社員の夫+家事・育児を担う専業主婦+子ども2人」という「昭和モデル」の中核的●●●である標準家族モデルが形成され始めた。また、政府の財政的制約もあり、子育てや介護といった福祉を国に頼る「公助」だけでなく、家族・企業・地域でも担うという「家族重視」の思想の萌芽が当時の厚生白書(注18)などに見られる。 1961年の所得税法改正で配偶者控除が制度化され、税制面からも「標準家族モデル」の形成が後押しされた。1965年頃から、教育費増大と労働力不足を背景に、40代以降の女性のパート就労が増加、1974年頃にはその収入が家計収入の6%程度を占めるようになった(注18)。これにより、女性就業カーブは40代から50代にかけて緩やかな「M字」を形成し始めた(図9)。 Ⅲ期 パート就労が増えた「M字カーブ」全盛の安定成長時代 ポイント:サービス経済化によって女性のパート就労が増加したが、第3号被保険者制度がそれを後押しした。同じ年に男女雇用機会均等法が成立した。 Ⅲの安定成長期はサービス経済化が進展し、第3次産業で女性のパート就労が急増した。都市への人口移動で多くの女性が都市のサービス経済を支える存在となった。20代前半の就業率は8割近くまで上昇した。結婚するまで就業、結婚、子育て一段落後パートとして再就職という“Job then Family then Part-time Job”(仕事のあとに家庭、その後パートの仕事)というパターンが一般化した(図7)。 30代後半以降の女性のパート就労が増えた原因としては、子どもの大学進学一般化につれて教育費負担が増大したこともある。中村(1993)は、主婦のパート勤めの収入が家計収入に占める割合は拡大を続け、7%程度から上昇して1991年には9.6%に達し、主に住宅ローン返済、子弟の教育費など特定の使途に充てていた家計が多かったと指摘している(注19)。また、子育てや介護の役割を主婦に期待する「日本型社会福祉社会」という考え方が1970年代後半から1980年代に広まったことが挙げられる。1973年から福祉元年として、社会福祉の充実が●られたが、石油危機に伴う財政制約もあり、子育て・介護といった社会福祉を国に頼るだけでなく、家族・企業の機能も重視する考え方である(注20)。1986年の「第3号被保険者制度」で、専業主婦や一定収入以下のパート主婦は自ら保険料を納めなくても年金給付を受けられるようになった。Ⅱ期の税制に加えて、Ⅲ期のこうした社会保険制度導入が女性のフルタイムでない働き方を後押しした。 この間、家庭教育が重視されて保育環境の整備は遅れ、若年世代向けの住宅政策が不十分であったことなどもあって子どもの数は減少していった。子ども2人家庭の割合はピーク時には6割弱までになった(図11)。 こうした変化を背景に、女性の就業カーブは20代前半のピーク後の20代後半の就業率が上がり、出生年齢のピークも後ずれして子育て期の30代前半に就業率が大きく減少して、30代後半から徐々に増加、40代、50代にかけてさらに就業率が上昇するという、よりシャープな「M字」を示すようになった(図9)。 一方、1986年の男女雇用機会均等法で、大卒女性が総合職として働く機会が広がり始めた。本法律の施行は女性の就労を本格的に促進し、女性のその後の学歴向上も促した面もある大きな変化であったといえる。 しかし、社会的な子育て環境改善のスピードは遅く、男性正社員の長時間労働が維持されていたこともあり、この時期の過半の女性は、子育て期には仕事をしない生き方を選択していた。なお、この点について海外に目を転じると、この時期は欧米でも女性就労が進展し始めたが、スウェーデンやフランスなどの国では女性就労の拡大に対応して育児休業や保育所整備を進めた(注21)。これらの国では、こうした子育ての社会的支援環境を整えたため、一時的に出産年齢が遅くなり出生率が低下しても、その後出生率が回復している。 Ⅳ期 女性の就業増加、就労調整による「L字カーブ」化、未婚が大幅に増えた低成長時代 ポイント:低成長期の1995年に生産年齢人口は減少に転じ、2010年代、企業や政府は女性雇用拡大や少子化対策に本格的に取り組み始め、継続して働く女性が増えた。しかし子育てを終えた後も非正規社員として働く女性が依然として多い。 Ⅳの低成長期には、女性の大学進学率が顕著に高まり大学卒業後の就業が一般化した。団塊世代の引退を受けて25歳以上の女性就業率が高まる中、30~39歳の就業率も上昇し、結婚・出産後も就業を継続する女性が増えている(図7)。総合職など女性の働き方の選択肢は広がったが、長時間労働、社会保険制度、子育て環境整備の遅れ等の制約からライフコースの選択を余儀なくされる人も多い。“Caught between Career and Family”(キャリアも家庭も:その両立に悩む)の時代といえる(図7)。 低成長期に入るとM字カーブは徐々に台形化し、特に最近の10年間で20代後半~30代の就業率は大きく上昇した(図9)。理由としては、(1)団塊の世代引退に伴う労働力不足による企業の女性活用積極化、(2)出産後も賃金低迷のもとでの家計支援や自己実現のために就業継続を希望する女性の増加、(3)未婚女性の増加、などが考えられる。さらに、40代から64歳までの女性の就業率の上昇も著しい。 一方、女性の正規社員比率は、20代後半から30代前半でピークを迎え、その後大きく減少する「L字カーブ」(図12)が典型的になった。これは、従来のM字型就業パターンが解消され、夫婦共働きが増えた反面で、子育て中は非正規社員として働く女性が多くなり、その後正規雇用には戻りにくく、シニアになるほど非正規雇用が高まっていることを意味する。2000年には女性就業者の約8割がサービス業や卸小売業に従事していたが、多くは既婚女性のパート勤務であった(図8)。 図12 女性正規雇用比率の変化(L字カーブ) (注)年齢階級ごとの「正規の職員・従業員数」/「15歳以上人口」×100で算出。(出所)正規の職員・従業員数は労働政策研究・研修機構「早わかり グラフでみる長期労働統計」(~2020年)、総務省「労働力調査(基本集計)」(2024年分)、15歳以上人口は総務省「労働力調査(基本集計)」 L字の形状は2010年から24年にかけてスティープ化しつつ上昇している。このことは就職時には正社員で働く女性が大きく増え、以降継続して正規社員として働く女性も徐々に増えていることも意味している。 一方で、男性ではこうしたL字カーブが観察されないことを考えると、L字カーブは、正社員継続か子育てかの選択を20代後半で迫られている女性がいる可能性、一度非正規社員になると30代後半以降正規に転換しにくい女性が多い可能性も示唆する。これはⅢ期同様、正社員の長時間労働、社会保険・税などの諸制度、企業の手当(注22)、子育ての社会支援の遅れ、職場や家庭など周囲の理解が得られないことなどが背景であろう。現状でも高度成長期を経験した高齢層を中心に「夫は外で働き、妻は家を守る」という保守的価値観が根強い(図13)。こうした経営層や家族の家族観が、職場環境や家庭内の役割分担に影響を与え、女性が働きづらさを感じている可能性もある。 図13 「夫は外で働き、妻は家を守るべき」という考え方に対する意識 L字カーブは、男女格差に関するいくつかの問題を示唆している。まず、国際比較すると、日本の高等教育を受けた女性の潜在能力が発揮できていないことが顕著である(図14)。また、男女賃金格差は、男女雇用機会均等法施行以降低成長期にかなり是正が図られてきているものの、2025年においてもOECD38か国中35位と国際的にみると依然として大きい(図15)。加えて、非正規社員は社会保険の対象でないことが多く、例えば雇用保険不加入のため1995年に創設された育児休業給付を受けられないのみならず、賃金・年金も含めた生涯所得格差も大きい(図14、図15)。 図14 OECD諸国における男女の高等教育に対する経済的リターンの国際比較 (注)高等教育は、大学・大学院・高等専門学校・短期大学を含む。高等教育による生涯所得の増加分から高等教育の費用を控除して算出。内閣府「選択する未来2.0」報告書参照。(出所)OECD "Education at a Glance 2018" (注23) 図15 男女賃金格差の推移 (注)一般労働者の所定内給与であり、短時間労働者は含まれない。(出所)厚生労働省「賃金構造基本統計調査」 低成長期のもう1つの特徴は、女性の未婚化の急進(図10)、少子化の加速である(図5)。男性の未婚率はⅢ期から徐々に上昇、1990年代以降、長期不況により男性正社員モデルの適用範囲が狭まったこともあって、Ⅳ期は大きく上昇し4割に近づいている。女性の未婚率もⅣ期に顕著に高まり、2割を大きく上回っている。岩澤・余田(2024)によれば、安定成長期の1980年代は「前駆型」といわれる結婚の先送りが中心だったが、1990年代以降は経済的基盤を持てないために結婚できない「剥奪型」が増え、2020年頃からは結婚への意欲が低い「離脱型」へと移行しつつあるとしている。また、内閣府「2023年度経済年次報告」(注24)によれば、男性は収入が低いほど未婚率が高まるのに対し、女性は収入が高くなると未婚率が上がり、横這いとなることがみてとれる。女性の場合、収入の高さが未婚率上昇につながってしまうのは、結婚相手に求める年収条件がハードルになっている可能性に加え、結婚・出産により正規従業員としての職を失い、所得が低くなるリスクが影響している、と考えられる。これらの分析を踏まえても、結婚支援は、経済支援だけで解決できるものではなくなってきている。 2015年頃から急速に少子化が加速し、2024年には出生数が70万人を割り込んだ。有配偶家庭の出生率も減少傾向にある。1965年以降生まれの女性については、無子が1割、子ども1人が2割に迫る勢いで増加している一方、4人以上はわずか1%台に減っている(図11)。政府は2020年代から本格的に少子化対策を強化したが、なかなか効果が表れていない(図5)。ただし林(2025)が示すように高学歴妻の出生率は上昇傾向(注25)にあり、これは最近の少子化対策の効果が一部は出ている可能性を示唆する。 4.終わりにかえて 本稿では、産業構造転換に伴う就業構造の変化が、その時代に合わせて社会的に選択されてきた制度や政策と相互に関連性を持つかたちで、女性の生き方、働き方、暮らし方に大きな影響を与えてきたことをデータに基づき確認してきた。終わりにかえて、現在に至るまで影響を与えている昭和期の「標準家族主義」を踏まえつつ、今後の課題を探る。 残り続けている昭和の「標準家族主義」の制度と慣行、社会規範 まず、昭和時代のその時々の政策的要請のもとで導入された制度で、女性の就業が進展した令和期の現在も存続し、女性の働き方や生き方に影響を与え続けていると考えられるものを整理すれば、次の通りである。 第1は、1940年の戦時に始まった、配偶者を「扶養控除」の対象とした税制、第2が、高度成長期に整えられた「配偶者控除制度」といった税制や、配偶者の収入制限付きの配偶者手当などの企業の福利厚生制度、第3が、安定成長期になって制度化された第3号被保険者制度という社会保険制度である。 昭和100年にあたる現在、男女雇用機会均等法の施行から40年が経過し、高等教育を受ける女性は増加して男女の教育機会もほぼ均等になった。夫婦共働きや未婚女性も増え、女性の生き方は大きく多様化している。一方で、戦中期・高度成長期・安定成長期に段階的に整えられてきた、「家計を担う男性正社員が、家事・育児を主に担う妻および子どもを扶養する、昭和の『標準家族』を前提に構築された社会保障・税制度や企業慣行」は、現在に至るまでその基本的枠組みを残している。こうした、いわゆる「昭和モデル」と呼よばれる社会モデルは、就農者が多く女性も大家族の中での“Family and Job”、「共育て共働き」の生き方が昭和初期は多かったという点では、必ずしも昭和100年の伝統ではなかった。しかし、高度成長期から安定成長期にかけて形成された「昭和モデル」は、日本企業の経営慣行とも密接に結びつき、日本社会における成功体験として定着したと考えられる。その性別役割分担を前提とする価値観は高齢層を中心にいまも強く残り、社会の規範形成にも影響を与え続けている。 今日的な課題と解決の方向 次に、生き方、働き方が多様化する一方で、今後労働人口の急速な減少が見込まれる我が国にとっての今日的な課題として、改めて2点を指摘したい。 第1に、高等教育によって培われた女性の潜在能力発揮が著しく阻害されている点である。国際的にみて日本は生涯賃金の男女格差が際立つ(図14)。第2に、日本における出生数の減少である。2015年以降、出生数が大きく低下している。意識調査からは、結婚への意欲が低下している人が増えている一方で、子どもを望みながらも、その希望を実現できない人が少なくないことが示されている(注26)。 これら2つの課題の解決の方向を考えることは、個人が望む人生を実現し、生きがいを持つというミクロの観点からも、また、格差を是正し、持続的な経済成長を実現するというマクロの観点からも、社会を望ましい方向に導くことにつながる。 個人の価値観を十分に考慮しなかった戦中の人口政策の反省を踏まえても、人びとが一層多様な価値観を持つようになった現在、1人ひとりがそれぞれの形で幸せを実感できる社会を目指すことが不可欠である。すなわち、昭和100年の現在、「仕事を通じて成長したい」、「家族を持ちたい」といった1人ひとりの望みが実現され、生きづらさが軽減される方向で、『少子化対策と両立可能な女性活躍支援』を進めるための有効な政策や制度の検討が求められるといえよう。 そのためには、低所得の若年世代、特に子育て世帯への経済的支援(注27)の充実といった施策にとどまらず、前述した昭和期の「標準家族主義」に基づいた諸制度や慣行、社会規範がもたらしている影響について、点検と是正に包括的に取り組むことが期待される。具体的には、①性別を問わずライフサイクルに応じて柔軟な働き方を選択でき、潜在力を発揮しながら仕事での成長が実感できる環境を整えること、②社会全体で子育てをサポートする機運を醸成すること、③人びとが無意識に持っている性別役割分担意識を直視し、時代の要請に合ったものに見直していくこと、④社会保険制度や税制度、企業の福利厚生制度等を生き方・働き方に中立的な方向へ見直していくこと、などが挙げられる。国や自治体のみならず、民間企業においても労使が問題意識を共有し、社会全体として総合的に取組むことが今後ますます重要になるといえるだろう。 参考文献青木尚雄・中野英子(1967)「第1~4次出産力調査結果の要約」人口問題研究所研究資料第177号 伊田賢司(2014)「配偶者控除を考える」『立法と調査』2014年11月号 参議院事務局企画調整室 岩澤美帆・余田翔平(2024)「結婚からの解放か,結婚の剥奪か,結婚からの離脱か?―1982年~2021年における未婚状態の類型化とその変化―」人口問題研究80-2 国立社会保障・人口問題研究所 財務総合政策研究所(1998)『大蔵省史―明治・大正・昭和―』 大平正芳記念財団(2021)『硯滴考』(9) ――(2022)『大平正芳とその政治 再論』PHPエディターズ・グループ 大湾秀雄(2025)『男女賃金格差の経済学』日本経済新聞出版社 翁邦雄(2015)『日本経済の大転換と日本銀行』日本経済新聞出版社 翁百合(2023)「子育て世帯の給付と負担の公正性は確保されているか」NIRAオピニオンペーパーNo.65 北村美由姫(2008)「配偶者控除についての一考察」公益財団法人租税資料館HP掲載論文(2008年租税資料館奨励賞受賞作品) クラウディア・ゴールドウイン(2023)『なぜ男女の賃金に格差があるのか―女性の生き方の経済学』慶應義塾大学出版会 香西泰(2007)「傾斜生産方式の再検討」経済研究Vol.58 No.1 Jan 2007 一橋大学経済研究所 内閣府(2021)「選択する未来2.0」報告書 内閣府 税制調査会資料および報告書 中村隆英(1993)『家計簿からみた近代日本生活史』東京大学出版会 縄田康光(2006)「歴史的にみた日本の人口と家族」『立法と調査』 No.260 参議院事務局企画調整室 橋本寿朗・長谷川信・宮島英昭・斎藤直(2013)『現代日本経済』有斐閣アルマ 林玲子(2017)「人口動向の認識と対応―出生について」(戦前期)人口問題研究73-4 国立社会保障・人口問題研究所 ――(2023)「日中韓少子高齢化施策の推移と実態―比較の視座から」人口問題研究79-4 国立社会保障・人口問題研究所 ――(2025)「少子化および外国人労働の動向と年金制度」年金数理部会(2025年9月4日開催)基調講演資料 廣嶋清志(2020)「戦後日本人口政策史から考える」日本健康学会誌86号 日本健康学会 牧田健(2023)「配偶者控除廃止で女性就労促進を―「少子化対策」との両立には雇用制度改革も不可欠」ビューポイント2022-015 日本総合研究所 増田雅暢(2024)「新しい日本型福祉社会の構想の可能性」政策オピニオン 平和政策研究所 宮本又郎・橘川武郎(2025)「「昭和100年」から未来へ 日本企業はどうアップレートすべきか」ダイヤモンドクォータリー夏号 ダイヤモンド社 森口千晶(2013)「日本型人事管理モデルと高度成長」『日本労働研究雑誌』No.634 2013年5月労働政策研究・研修機構 文部科学省(1981)「学制百年史」(文部科学省ホームページ) 山崎史郎(2021)『人口戦略法案―人口減少を止める方策はあるのか』日本経済新聞出版 吉川洋(2012)『高度成長―日本を変えた6000日』中公文庫 引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。(出典)翁百合(2026)「経済社会の変遷と女性の就労―昭和100年を振り返って―」NIRAオピニオンペーパーNo.88 脚注 * 本稿の作成にあたっては、慶應義塾大学 樋口美雄名誉教授、国立社会保障・人口問題研究所 林玲子所長、内閣官房人口戦略本部・全世代型社会保障構築本部事務局総括事務局長 山崎史郎氏から有益なコメントをいただいた。ここに記して感謝したい。ただし、ありうべき誤りはすべて筆者個人に属する。なお、本稿のデータ分析は、NIRA総研主任研究員の関島梢恵、研究コーディネーター・研究員の鈴木日菜子が担当した。 * 本稿の作成にあたっては、慶應義塾大学 樋口美雄名誉教授、国立社会保障・人口問題研究所 林玲子所長、内閣官房人口戦略本部・全世代型社会保障構築本部事務局総括事務局長 山崎史郎氏から有益なコメントをいただいた。ここに記して感謝したい。ただし、ありうべき誤りはすべて筆者個人に属する。なお、本稿のデータ分析は、NIRA総研主任研究員の関島梢恵、研究コーディネーター・研究員の鈴木日菜子が担当した。 1 1926年12月25日に昭和に改元された。2026年同日をもって満100年となる。 1 1926年12月25日に昭和に改元された。2026年同日をもって満100年となる。 2 1945年は不明。1930年以前の「製造業」は、鉱業を含む「鉱工業」を指す。「運輸・通信・公益事業」とは、1970~1993年は「電気・ガス・水道業」と「運輸・通信業」の合計、1994年以降は「電気・ガス・水道・廃棄物処理業」「運輸・郵便業」「情報通信業」の合計。「サービス業」は、1969年までは「商業サービス業A」、1970~1993年は「卸売・小売業」と「サービス業」、1994年以降は「卸売・小売業」「宿泊・飲食サービス業」「専門・科学技術、業務支援サービス業」「公務」「教育」「保健衛生・社会事業」「その他のサービス」を指す。「その他」には、「金融・保険業」と「不動産業」が含まれる。 2 1945年は不明。1930年以前の「製造業」は、鉱業を含む「鉱工業」を指す。「運輸・通信・公益事業」とは、1970~1993年は「電気・ガス・水道業」と「運輸・通信業」の合計、1994年以降は「電気・ガス・水道・廃棄物処理業」「運輸・郵便業」「情報通信業」の合計。「サービス業」は、1969年までは「商業サービス業A」、1970~1993年は「卸売・小売業」と「サービス業」、1994年以降は「卸売・小売業」「宿泊・飲食サービス業」「専門・科学技術、業務支援サービス業」「公務」「教育」「保健衛生・社会事業」「その他のサービス」を指す。「その他」には、「金融・保険業」と「不動産業」が含まれる。 3 占領下において、経済再建のための緊急対策の総合調整と企画を行う経済安定本部が1946年に創設され、1947~48年にかけて傾斜生産方式が推進された(香西泰(2007)参照)。 3 占領下において、経済再建のための緊急対策の総合調整と企画を行う経済安定本部が1946年に創設され、1947~48年にかけて傾斜生産方式が推進された(香西泰(2007)参照)。 4 農業の1946~1954年は、農業の日雇賃金に1925~1944年の平均従事日数をかけて算出。1955年以降の農業所得は、各年の生産農業所得を従事人口で割って求めた。また、実質所得は、各産業の年間所得を消費者物価指数で割り、100倍している。実質値を算出する際に使用した消費者物価指数については、1966年~1970年までは、前年の指数に「帰属家賃を除く総合」の前年比伸び率を、また、1970年以降は、前年の指数に2020年基準の消費者物価指数の伸び率を乗じて算出。 4 農業の1946~1954年は、農業の日雇賃金に1925~1944年の平均従事日数をかけて算出。1955年以降の農業所得は、各年の生産農業所得を従事人口で割って求めた。また、実質所得は、各産業の年間所得を消費者物価指数で割り、100倍している。実質値を算出する際に使用した消費者物価指数については、1966年~1970年までは、前年の指数に「帰属家賃を除く総合」の前年比伸び率を、また、1970年以降は、前年の指数に2020年基準の消費者物価指数の伸び率を乗じて算出。 5 総理府(現内閣府)「国民生活に関する世論調査」(1967年)参照。 5 総理府(現内閣府)「国民生活に関する世論調査」(1967年)参照。 6 「住居費」については、1964年以前は「住居費」の計数を使用しているが、1965年は、「住居費」から「家具什器」(1970年以降は「家具・家事用品」)を除いている。「家具什器」は「その他」に分類。「教育費」の1964年以前の計数は不明。 6 「住居費」については、1964年以前は「住居費」の計数を使用しているが、1965年は、「住居費」から「家具什器」(1970年以降は「家具・家事用品」)を除いている。「家具什器」は「その他」に分類。「教育費」の1964年以前の計数は不明。 7 中村(1993)によれば、インフレ調整後の1人あたり実質消費額指数は、1925年81.9に対して、戦後1946年49.2まで落ち込んだが、それが1975年には372.9まで上昇した。戦争で戦前の約6割まで落ち込んだ実質消費額は、戦後の高度成長期に7倍に増加したことがわかる。 7 中村(1993)によれば、インフレ調整後の1人あたり実質消費額指数は、1925年81.9に対して、戦後1946年49.2まで落ち込んだが、それが1975年には372.9まで上昇した。戦争で戦前の約6割まで落ち込んだ実質消費額は、戦後の高度成長期に7倍に増加したことがわかる。 8 東亜経済圏建設の歴史的使命に鑑みて人口の飛躍的向上を目指すとされ、「個人を犠牲として国家(民族)に尽くすべし、という戦時下の思想体系を体現したもの」(林(2017))であった。 8 東亜経済圏建設の歴史的使命に鑑みて人口の飛躍的向上を目指すとされ、「個人を犠牲として国家(民族)に尽くすべし、という戦時下の思想体系を体現したもの」(林(2017))であった。 9 1940年8月に人口問題研究所から人口政策確立要綱(第一次)が出されている。既に第一次要綱の出産奨励政策において、「独身税ヲ創設」、「所得税ノ扶養家族ノ控除ヲ更ニ多子累進タラシメ・・」といった租税政策の方針が出されている。最終的な人口政策確立要綱には、「扶養家族多き者の負担を軽減する」との記述となっている。独身税は導入されなかったが、配偶者が扶養控除対象となり、多子世帯の優遇などの税制上の措置がなされた。原本は国立社会保障人口問題研究所ホームページ「戦前・戦中の主要刊行物」参照。 9 1940年8月に人口問題研究所から人口政策確立要綱(第一次)が出されている。既に第一次要綱の出産奨励政策において、「独身税ヲ創設」、「所得税ノ扶養家族ノ控除ヲ更ニ多子累進タラシメ・・」といった租税政策の方針が出されている。最終的な人口政策確立要綱には、「扶養家族多き者の負担を軽減する」との記述となっている。独身税は導入されなかったが、配偶者が扶養控除対象となり、多子世帯の優遇などの税制上の措置がなされた。原本は国立社会保障人口問題研究所ホームページ「戦前・戦中の主要刊行物」参照。 10 林(2023)p.286参照。国として家族計画推進の法律はなく、公式な家族計画政策はなかったとされている。 10 林(2023)p.286参照。国として家族計画推進の法律はなく、公式な家族計画政策はなかったとされている。 11 配偶者控除が独立して創設された背景として、北村(2008)は、欧米のような夫婦合算制度への移行は税を複雑化してしまうため、代わりに本制度を導入したこと、自営業世帯とサラリーマン家庭との実質的公平性をとるためであったこと、また、単なる扶養親族ではなく、税法上妻の座を認めることもあったことなどであると指摘している。 11 配偶者控除が独立して創設された背景として、北村(2008)は、欧米のような夫婦合算制度への移行は税を複雑化してしまうため、代わりに本制度を導入したこと、自営業世帯とサラリーマン家庭との実質的公平性をとるためであったこと、また、単なる扶養親族ではなく、税法上妻の座を認めることもあったことなどであると指摘している。 12 清崎(2020)参照。 12 清崎(2020)参照。 13 この背景には72年にローマクラブのレポートが公表され、人口問題と環境問題が関連づけて議論されるようになったこと、日本としても74年の世界人口会議開催に向けて国際的な動きに同調する意図があったことなどと考えられるが、結果として人口が静態状態に移行しようとする中で、日本人口会議からは「子どもは2人までという国民的合意を得るように努力すべきとさえ考える」という提言が出され、この時点で官民で少子化を推進したことが確認できる。 13 この背景には72年にローマクラブのレポートが公表され、人口問題と環境問題が関連づけて議論されるようになったこと、日本としても74年の世界人口会議開催に向けて国際的な動きに同調する意図があったことなどと考えられるが、結果として人口が静態状態に移行しようとする中で、日本人口会議からは「子どもは2人までという国民的合意を得るように努力すべきとさえ考える」という提言が出され、この時点で官民で少子化を推進したことが確認できる。 14 詳しくは増田(2021)、大平記念財団(2021)参照。自民党や厚生白書などに70年代にみられた議論であるが、1978~80年に総理大臣を勤めた大平正芳氏の社会保障を一部欧州の国のようにすべて国に頼るのではなく、「自助・共助・公助」で考え、家庭を共助の基盤に位置づけ、「家庭を中軸とする日本型福祉社会を実現する」(1978年11月1日自由民主党総裁選立候補にあたっての政見)という思想につながっている。 14 詳しくは増田(2021)、大平記念財団(2021)参照。自民党や厚生白書などに70年代にみられた議論であるが、1978~80年に総理大臣を勤めた大平正芳氏の社会保障を一部欧州の国のようにすべて国に頼るのではなく、「自助・共助・公助」で考え、家庭を共助の基盤に位置づけ、「家庭を中軸とする日本型福祉社会を実現する」(1978年11月1日自由民主党総裁選立候補にあたっての政見)という思想につながっている。 15 その後政府税制調査会でも、配偶者控除を縮小し子育て支援に充てる方向で議論が重ねられたが、最終的には、2016年(平成29年)に配偶者控除の上限が引き上げられる配偶者特別控除が設けられて政治的に決着し、現在まで続いている。 15 その後政府税制調査会でも、配偶者控除を縮小し子育て支援に充てる方向で議論が重ねられたが、最終的には、2016年(平成29年)に配偶者控除の上限が引き上げられる配偶者特別控除が設けられて政治的に決着し、現在まで続いている。 16 95年に日経連から日本の雇用スタイルを見直し、「長期蓄積能力活用型の正社員」「高度専門能力活用型の専門社員」「雇用柔軟型の非正規社員」の3つに分けて労働者を配置する提言などがあった。 16 95年に日経連から日本の雇用スタイルを見直し、「長期蓄積能力活用型の正社員」「高度専門能力活用型の専門社員」「雇用柔軟型の非正規社員」の3つに分けて労働者を配置する提言などがあった。 17 紡績産業9%、物品販売業、接客業、家業7%など(一橋大学データベース(1930年))。 17 紡績産業9%、物品販売業、接客業、家業7%など(一橋大学データベース(1930年))。 18 厚生白書(1963年)など。 18 厚生白書(1963年)など。 19 中村(1993)p.26第7表参照。 19 中村(1993)p.26第7表参照。 20 高齢化に備え73年頃には老齢年金の充実や老齢医療の無料化など社会保障制度充実が図られ、これに伴う税や保険料の負担増大も、女性が就労を選択する一因となった可能性もある。 20 高齢化に備え73年頃には老齢年金の充実や老齢医療の無料化など社会保障制度充実が図られ、これに伴う税や保険料の負担増大も、女性が就労を選択する一因となった可能性もある。 21 スウェーデンは1974年に育児休業制度の両親保険を導入し、フランスも1985年に育児親手当を導入している。両国は、1970年代以降保育サービス整備も始めている。 21 スウェーデンは1974年に育児休業制度の両親保険を導入し、フランスも1985年に育児親手当を導入している。両国は、1970年代以降保育サービス整備も始めている。 22 たとえば厚生労働省「令和3年パートタイム・有期雇用労働者総合実態調査」参照。 22 たとえば厚生労働省「令和3年パートタイム・有期雇用労働者総合実態調査」参照。 23 具体的な計算方法は「選択する未来2.0」参考資料を参照。 23 具体的な計算方法は「選択する未来2.0」参考資料を参照。 24 p.148、第2-2-7図参照。 24 p.148、第2-2-7図参照。 25 年金数理部会基調講演資料のp.6を参照。 25 年金数理部会基調講演資料のp.6を参照。 26 内閣官房子ども家庭庁設立準備室アンケート調査(2023年1月)参照。 26 内閣官房子ども家庭庁設立準備室アンケート調査(2023年1月)参照。 27 特に生活保護を上回る水準の低い所得の子育て世帯は、保険料などの負担が大きく、こうした世帯への支援は国際的にみても低い(翁(2023)参照)。 27 特に生活保護を上回る水準の低い所得の子育て世帯は、保険料などの負担が大きく、こうした世帯への支援は国際的にみても低い(翁(2023)参照)。 シェア Tweet 関連公表物 女性活躍と年収の壁 翁百合 子育て世帯の負担と給付の公正性は確保されているか 翁百合 ©公益財団法人NIRA総合研究開発機構※本誌に関するご感想・ご意見をお寄せください。E-mail:info@nira.or.jp 研究の成果一覧へ