NIRAオピニオンNo.80 2025.03.31 人口減少時代、国と地方の財政の新たな役割分担とは財政的責任をあらためて明確化する この記事は分で読めます シェア Tweet 宇野重規 東京大学社会科学研究所教授/NIRA総合研究開発機構理事 赤井伸郎 大阪大学大学院国際公共政策研究科教授/NIRA総合研究開発機構上席研究員 砂原庸介 神戸大学法学部教授/NIRA総合研究開発機構上席研究員 沼尾波子 東洋大学国際学部教授/NIRA総合研究開発機構上席研究員 概要 国と地方はいかにその役割と財政的責任を分担すべきか。基本的な方向性として、国は標準的な公共サービスに責任を持ち、その財源を全額保障する一方、地方自治体はその上乗せや独自サービスについて限定的な財政責任(限界的財政責任)を負うべきである。また、少子高齢化をはじめ日本社会の状況が変化する中、交付団体と不交付団体の間に生じる財政力格差を一定の範囲内に抑える必要があり、地方交付税の再設計や、地方間の財政格差の是正が不可欠だ。さらに、補助事業の設定には地方の合意が必要であり、「国と地方の協議の場」の実質化が求められる。 本稿では、各分野において必要な改革の方向性を具体的に示す。義務教育については、国が責任を持つべき教職員給与の財源を全額国費で負担する体制へ転換すべきである。社会保障においては、現金給付に係る給付費を国が原則全額負担し、現物給付や支援体制の整備は地方の一般財源で担うという役割分担の明確化が重要だ。デジタル化の推進においては、現金給付業務の一元化や標準化が必要であり、国主導での効率的な仕組み構築が求められる。 これらの改革を直ちに実現することは容易ではない。しかしながら、少子高齢化が進む中、国と地方の長期的な持続性を目指して、今こそあるべき役割分担の方向性を再確認しなければならない。理想的な姿に近づくための改革の議論を直ちに開始すべきである*。 PDFで読む INDEX はじめに 1.財政調整 地方自治体の財政的責任と財政格差 地方は限界的財政責任を果たす 補助事業は「国と地方の協議の場」で実質的な議論を 地方自治体間の財政力調整が不可欠 2.義務教育 国には教職員の財源を確保する責任がある 現行の制度は、責任と財源が一致していない 国が教員給与の財源を全額確保すべき ガバナンスを発揮すべき国に責任と財源を 3.社会保障 権限と責任の所在が曖昧 給付費は国が全額負担、事務体制は地方が一般財源で確保 4.デジタル化 一定の標準化にとどめ、現金給付は国が実施 システム変更は、補助事業ではなく、地方の一般財源で むすび はじめに 国と地方はいかにその役割を分担すべきだろうか。また両者の財政的責任はどのようにあるべきか。本稿では、この問いに対する方向性を示すこととしたい。提言を貫く基本的な考え方は以下のとおりである。まず、国が標準的な公共サービスに責任を持ち、財源保障を行う一方で、地方自治体はそれぞれの地域の実情に応じて、それを上回る、もしくは独自に追加するサービスに対して責任を持つ(限界的財政責任)。その際、地域の独自性や裁量性を重視すべきであるが、同時に東京をはじめとする不交付団体と交付団体との間に生じる財政格差を一定の範囲内に抑える必要がある。少子高齢化をはじめ大きく日本社会の状況が変化する中、あらためて国と地方の役割と財政的責任を明確化し、自治体間の財政調整を行うために、地方交付税の再設計を検討すべきである。国・地方が、それぞれ割り当てられた財源をもとに、責任を持って事業を運営するとともに、国と地方がともに責任を持って、そのためのルールを決める場が不可欠である。 以下、本稿では、財政調整・義務教育・社会保障・デジタル化に論点を絞り、必要な改革の方向性を具体的に示したい。 1.財政調整 地方自治体の財政的責任と財政格差 地方自治体がその権限に対してどのような財政的責任を担うかは決して明確ではない。それでも地方交付税が、地方自治体が国の定める標準的な公共サービスの提供を可能にしてきたのは事実であり、このことは日本において全国的に公平な公共サービスの実現に大きく貢献してきた。しかしながら、「標準」を超えるサービスについて考えたとき、地方自治体の財政的責任が不明確であることの問題は大きくなる。地方自治体がその権限で標準を超えた、もしくは独自の追加的サービスを実施しようとするとき、不交付団体(とりわけ東京都)は基準となる財政収入を超える追加的な財源を確保する努力をしなくても、追加的なサービスの提供が可能である。これに対し、交付団体が標準を超えたサービスを提供するには、そのための努力が求められる。また、そもそも標準的とされるサービスが多岐にわたり、本来は地方が自由に使途を決められる一般財源たる地方税や地方交付税は、しばしば標準的なサービスを実現するための国庫支出金の裏負担に用いられる。しかも、そのような公共サービスの給付や負担は、地方自治体の了解がなくても国の決定によって増やされる。 地方は限界的財政責任を果たす このことを考えるならば、地方自治体がどのような財政的責任を負うのかをあらためて明確にしなければならないだろう。この場合、地方政府の歳出すべてに対して財政的責任を持つことは現実的ではない。その財政的責任は、国が関与する標準を超えたサービス、もしくは独自の追加的サービスを提供するための負担をすることに限定されるべきである(限界的財政責任)。地方自治体がそのような財政的責任を担う仕組みを構築するにあたり、まずは国の標準的なサービスに対する責任部分を明確にする必要がある。国は、自らが関与する標準的なサービスを地方に行わせるとき、原則的には、そのための負担を100%担うべきである。ただし、国が標準的サービスの費用を全額負担するからといって、地方自治体が担う標準的サービスの具体的な内容や方法について、国が個別に介入することは望ましいとは言えない。国は、アウトプット、アウトカムの評価を通じて地方を見守り、評価において問題があれば改善を促すが、その際には、地方の自主性が尊重されることが期待される。 1990年代から2000年代の地方分権改革では、地方自治体が独自性を発揮できるようにするために、地方の課税自主権の拡大や、国庫補助負担金の廃止縮減、国から地方への税源移譲などの改革が行われた。これは、国から地方への権限移譲に伴い、財政面で自主財源を増やすことが目指されたものであった。これに対して、本提案では、国の負担割合を100%とすることをもって、標準的な行政サービスの提供に係る決定権限を国に100%配分することを提案するものではない。標準的なサービスは、国がその水準や目標を定め、財源を全額保障する一方、地方は自らの判断で、一般財源から標準的なサービスの上乗せや横出し(通常では給付が行われない分野にも行政サービスを提供すること)を行うというものである。 とはいえ、現在の財政状況を踏まえれば、国が関与する補助事業すべてについて、国がその財源を100%負担することも現実的ではない。そのため、基幹的な事業について100%負担する一方で、個別的な事業については、補助事業であることを廃止して、地方自治体の裁量に任せることが考えられる。例えば社会保障支出に関しては、生活保護・児童福祉・障がい者福祉・子ども子育て支援など、同じような業務であるにもかかわらず、複数の国庫補助事業が創設され、それぞれの補助の水準が低くなることがある。そのような補助事業については、主要な事業に対して集中して補助率を高めるとともに、関連事業は主に地方自治体の一般財源で実施するような方法が考えられる。 補助事業は「国と地方の協議の場」で実質的な議論を また、補助事業の決定に関して、国においては、業界も含め様々な要望があるとしても、地方での限られた財源を自主的に、有効に使うことを考えたとき、安易に補助事業を増やすべきではない。現状において補助事業を増やそうとすると、その分の裏負担に地方債や一般財源が用いられることになる。特に一般財源総額実質同水準ルールがあるため、地方債による地方の将来負担の増加や、地方自治体の歳出をめぐる選択を強く制約する可能性もある。補助事業の増加は真に必要なものだけに限定した上で、増やす場合には地方自治体の合意を必要とするべきであろう。 国が地方自治体の合意を得ること、逆に言えば、地方自治体が国政に参加することは、数十年にもわたる制度的な課題である。そのような機関としては、民主党政権時代に創設された「国と地方の協議の場」の実質化や、究極的には参議院の地方代表としての活用なども検討されるべきだろう。その際、協議の場を作るだけではなく、地方自治体の代表としての主張をサポートするための事務局機能を整備することも重要な課題の1つである。 補助事業の整理については、2001年に設立された地方分権改革推進会議における失敗が想起されるべきである。補助事業を廃止することが国から地方への国庫支出金を大きく削減することにつながるのではないかという小規模市町村の疑念に対して、当時の政権は信頼ある回答をすることができなかった。補助事業を廃止することで失われる国庫支出金については、まずは残る補助事業の補助率を上げるために使われることを確約するなど、中央政府の財政再建とは切り離した形で議論することが重要である(砂原 2008)。 地方自治体間の財政力調整が不可欠 独自の追加的サービスを提供する場合の支出について、地方自治体に財政的責任を負わせる(限界的財政責任)ときの財源については、基本的に地方自治体間の公平性を重視して確保するべきである。標準を超えた部分の財源に違いがありすぎると、豊かな地域では過剰とも言えるサービスの提供が可能になる一方で、そうでない地域では何もサービスができないことになり、格差が広がりかねない。その点を踏まえると、標準以上のサービスを行うときの地方自治体間の財政力を調整することも含めて、地方交付税を再設計することが重要になる。基幹税目としての住民税や固定資産税はそのまま地方税にした上で、現行の特別法人事業税や地方法人税のように、いったん地方の法人関係税の一部を国税として徴収して、何らかの基準で配分する譲与税化や交付税原資化をさらに進めたり、国ではなく地方自治体が構成する機関が責任を持って税を集めて、地方共同税として自治体に配分することも考えられる。国と地方の財政責任を明確化した上で、国の定める標準以上のサービスを地方自治体が公平に提供できることを目指すならば、例えば対人社会サービスに要する財源については、一人当たり地方税額を均等化する考え方を基準に調整することも考えられるだろう。 2.義務教育 国には教職員の財源を確保する責任がある 義務教育国庫負担制度は、憲法における教育を無償で受けさせる義務に基づき、標準的な教育サービスを実現するため、都道府県・指定都市が負担する公立義務教育諸学校(注1)の教職員の給与費を、国(文部科学省)が負担する制度である。この制度によって、国が責任と財源を持って教育を提供することで、教育の機会均等と一定の教育水準が確保される。 しかしながら、義務教育費国庫負担制度における負担金は、一定のサービスを提供するための必要額(国が定めた基準に従い算定された教職員給与費=都道府県・指定都市ごとの給与単価×国庫負担定数)の全額を拠出していない。実際は、国の負担金の額は、必要額の1/3となっている。 また、自治体に支払われる義務教育費国庫負担金については、義務教育を提供する義務と責任を担う国(文部科学省)が、一定のサービスを提供するために必要との認識で財源を確保するが、各地域や学校の現場においては、ニーズに合った教育を提供するため、給与額や教職員配置などの使途は、義務標準法(注2)に基づく限りにおいて自由に決定できる(総額裁量制)。その結果、不登校対策や地域コミュニティーとの連携など、各自治体・各学校のニーズに応じて、教職員を配置することも可能となっている。 このように、現状では、義務教育費国庫負担金は必要額の1/3のみを負担し、残りの額は、基準財政需要額において算定され、交付団体には、地方交付税に含まれる形で配分されている。その結果、自治体側にとって、義務教育の費用は、国(すなわち教育に責任を持つ文部科学省)が財源を確保しているという認識はなく、国の財源保障の枠組みで確保されているという認識になっている。その一方、この状態では、教育に責任を持つ文部科学省がすべての財源を確保していることにならず、責任と財源が一致しない状態が生じている。 現行の制度は、責任と財源が一致していない 本来、教育に責任を持つ文部科学省が算定する全額が各自治体に配分されることで、文部科学省は教育の責任を果たせるはずだが、実際には、各自治体の実際の教職員の給与費は、義務教育費国庫負担金の算定額よりも少なくなる現象が生じている(図1)。結果として、国(文部科学省)がガバナンスを発揮し、日本の義務教育をリードしていくにあたって不透明な状態が生じている。 図1 実額(教職員給与の実支出額)が基準額(国が想定する教職員給与額)を下回る県の数 (出所)赤井・宮錦(2025) 国(文部科学省)が全額を負担していれば、このような状態は生じないはずである。ところが実際には、必要額の2/3は、(使途が自由な)地方交付税で交付される形となっており、自治体は、給与をカットすることで、財源を別の使途に使うことが可能となっている。これは、本来義務教育に提供されるべき財源が、教育以外の他の用途に利用されていることを意味する。地方交付税の使途が自由である結果とはいえ、義務教育を提供する文部科学省にとっては、必要と算定する額が教育に使われていないことにほかならず、義務教育を行うための責任を果たす上で、責任と財源の一致が実現していない状態にあると言える。 国が教員給与の財源を全額確保すべき この問題を考える上で注意すべき点は、自治体の裁量と国の責任の関係である。自治体からすれば、地方交付税を含む一般財源において、義務教育の創意工夫によって節約できた分を他の用途に用いても問題はないとの主張が考えられる。また、義務教育の質に関しても、自治体は、義務教育標準法の規定に従っている以上、質は確保できていると主張するであろう。しかしながら、質の確保を監督し指導する責任を担うのは、国全体で教育の機会均等と一定の教育水準の確保を義務付けられている国(文部科学省)である。責任を担う国が財源も確保するべきであるが、現在の制度の下、この責任を透明性ある形で達成することができているかが問題である。現行制度では、国(文部科学省)による財源の負担は全額ではなく、責任に伴う財源が確保されていないことで、支障が生じている。 このような状況に対し、本稿では、国(文部科学省)が適切なガバナンス能力を有することを前提に、国(文部科学省)が責任を果たし、国全体で教育の機会均等と一定の教育水準の確保をするため、「現在、必要額の1/3となっている義務教育国庫負担金を、全額(すなわち100%)に変更する」ことを提案したい。 この制度変更により義務教育国庫負担が3倍に増加するが、その分、基準財政需要額での算定額が減少し、不交付団体分以外の新たな財源は生じない。なお、不交付団体には、現在負担していない2/3の部分に対応する義務教育国庫負担金が追加で配布され、さらなる格差が生じるという反論も考えられる。しかしながら、これは国(文部科学省)が全額を負担し制度の透明性を確保するという制度の趣旨に伴う結果であり、生まれる財政格差に関しては、1.で述べた財政調整など別の方法で対処するべきであろう。 ガバナンスを発揮すべき国に責任と財源を また、各自治体での節約インセンティブがそがれるとの反論もありうる。しかしながら、現在の1/3の負担割合に伴い生じている節約インセンティブは、節約分を教職員給与以外の他の用途に利用するためのインセンティブであり、創意工夫により教育財源を最大限に活用するためのインセンティブではない。この提案の下でも、必要額の使途に関しては裁量が与えられており、各自治体における財源の有効活用インセンティブは確保されている。 さらに、国が100%負担する場合、各自治体の教育現場でのモラルハザード(無駄遣い)が生じるという反論もあるだろう。しかしながら、国が100%負担する場合であっても、医療や介護の現場で生じるような過剰サービスは考えられない。なぜなら、この負担金は客観的な数値に基づく教職員の給与費であり、現場でのモラルハザードによって変化する指標には基づいていないからである(従って、この提案が、医療・介護費用も100%国負担が望ましいという議論につながるわけではないことにも注意が必要である)。責任を担う国(文部科学省)が必要に応じた額を責任を持って的確に見積もり、教育の成果を評価することで、効率化は十分図れると考えられる。 現在議論が進められている教職員給与調整額の引き上げの議論においても、現行制度は、不透明な状態を生じさせる要因となっている。具体的には、現行制度の下では、引き上げにおいて、国(文部科学省)と総務省(地方交付税)の双方での財源確保での議論が必要となっており、本来の姿である、教育に対してのガバナンスを発揮すべき国(文部科学省)が責任と財源を持って教育のあるべき姿を考える制度設計になっていない。この点でも、新たな提案は意義があると言えよう。 3.社会保障 権限と責任の所在が曖昧 これまでの社会保障制度は、国主導で全国的な枠組みを構築し、都道府県が計画策定や供給体制の構築を行い、市町村が現場で事務事業を担ってきた。この仕組みにより、自治体の財政力にかかわらず、全国どの地域でも一定の給付を受け、サービスを享受できる環境が整備されてきた。 しかしながら、給付に際し、国と自治体が一体的に事務事業を担い、費用を分担することは、権限と責任の所在の曖昧化にもつながる。例えば生活保護の場合、生存権を保障するための給付事務は自治体が実施することとされ、国は、給付費の3/4を負担し、残りの額は、基準財政需要額において算定され、交付団体には、地方交付税に含まれる形で配分される。国は自治体に対し大量の通知を発し、自治体がそれに従って事務を行っている。こうした国による統制は、全国一律での制度運用という点で望ましい面もあるが、地域の実情を踏まえた現場の自律性という点で課題もある。また、通知を発出して自治体の事務を制約する一方で、その効果が適切に検証されているかについては疑問も残る。 生活保護における最低生活保障に関する事務では全国一律の運用が強調されるのに対して、自治体がそれぞれ実施する相談支援体制は地域により異なった水準にある。最低生活保障に関する事務については法定受託事務であるのに対して、相談支援に関する事務は自治事務とされている。相談支援体制の人員と財源の確保状況が地域によって異なるのは、地域間での行政ニーズの違いによるものであるが、財政力の差が生じていることが原因でもある。 さらに、制度ごとの縦割りも権限と責任の明確化を妨げる。現物(サービス)給付に関して、高齢、障がい、子どもなど、対象別に細かな支援制度が設けられ、詳細なルールによって地域の実情に即した柔軟な対応を図ることが難しくなることがある。人口減少が進むことにより、分野ごとに専門職を確保することが困難になり、サービス提供体制の構築が進まない事態も起きている。国は地域包括ケアシステムをはじめ、対象ごとに相談窓口等の設置や、相談支援体制の構築に係る施策や事業を行っているが、縦割りで類似の支援制度が乱立していることもあり、非効率な状況となっている。個々の対象ごとにきめ細かな制度があっても、自治体ではその全体像を必ずしも把握できているわけではない。その結果、補助金や助成制度について十分に理解している一部の自治体やコンサルなどだけが補助制度を利用するという弊害も生じている。 このほか、財政力の高い自治体が、余剰財源を用いて上乗せや横出しを行っていることについても、その妥当性が問われている。特定の自治体の責任や権限を越える範囲に影響がもたらされるからである。例えば、東京都では小児医療費無料化、児童育成手当や高校の学費無償化など独自の措置がある。これらの施策は近隣県との格差を生む可能性があるだけでなく、近隣の相対的に財政力の弱い自治体が住民からのプレッシャーによって東京都に追随しようとすると、財政の圧迫につながる可能性がある。また、特に小児医療費無料化では、無料化が促す受診回数の増加が社会保険財政を痛める可能性があることにも注意が必要となる。 給付費は国が全額負担、事務体制は地方が一般財源で確保 このような状況に対し、どのようにアプローチすべきだろうか。現金給付をめぐる国と地方の役割分担については、生活保護給付を100%国が負担する場合、自治体のモラルハザードが生じる可能性が指摘され、現在は地方が25%を負担し、見合いの財源は地方交付税措置が行われている。これに対し、限られた職員数で多様化する福祉サービスを担う自治体の現状を考えると、制度の根幹となる給付費については国負担割合を100%に近づける形で引き上げ、国は地方自治体が事務を適切に運営しているかどうかを検証する一方で、要保護者の自立に向けた支援体制の構築や、生活保護の事務に係る経費は福祉事務所の運営費用として一般財源で賄うことを提案する。 生活保護、児童手当などの標準的な現金給付については、全国一律の基準を設け、給付費については、国が全額負担することで権限と責任の明確化を図る。市町村が法定受託事務として担う給付事務のうち、特に現金給付についてはデジタル化を推進し、マイナンバーと口座の紐付けすることで、国が実施することも検討に値する。これに対し、自治体ごとに個々の事情を踏まえ、一般財源を用いて自らの責任の範囲内で上乗せや横出しを行うことはありうるだろう。一般財源を用いることで、独自に行う現金給付と地域住民の負担を結び付け、その責任を明確にすることができる。 一方、要保護者等への自立支援や介護、保育、障がい者支援などの現物給付は、地域の実情に即した形で、縦割りを排して大括りの交付金化を進めるなど、自治体がより主体的に対応する必要がある。地域共生社会の構築に向けて、重層的相談支援体制の構築の整備が進められているが、限られた財源や人員で効果的な連携を実現するためには、専門職が集まるプラットフォームの構築が必要となる。また、地域が独自に、人々のウェルビーイングの向上に向けた環境を整備することも必要とされる。これらの行政サービス提供には、地方が使途を自由に決められる一般財源の確保が不可欠である。地方共同税の創設や、消費税率の引き上げによる交付税原資の確保など、新たな方法によって地方の一般財源を確保する手段を検討すべきである。 市町村を中心に給付を行う一方で、国や都道府県はそのための環境整備を進める必要がある。国には財源確保のほかに、介護保険制度や保育契約、事業者の評価や格付けなど、利用者の選択の自由を尊重したサービス提供の仕組みを構築することが求められる。都道府県は、介護や保育を含む生活環境の整備において、専門職の確保や需給調整、そして市町村の補完や連携をサポートする役割を担うことが求められる。例えば、医療提供体制の整備に向けて、医師、保健師、看護師などの専門人材の確保とともに、市町村間での専門職派遣などの仕組みを構築することも必要であろう。 また、自治体独自の上乗せや横出しについては肯定的に考えられてよいが、税源偏在により、一部の自治体だけが手厚い給付を実施できる状況は是正されるべきである。実際、三位一体改革を通じて準要保護世帯の就学援助が一般財源化された結果、自治体ごとに周知方法や給付対象者の決定方式に違いが生まれ、財政力などにより給付に差が生じていることが問題視されている。税源の偏在是正に向けて、すでに地方法人二税の一部を国税化し、譲与税ならびに交付税原資としてきた経緯があるが、十分とは言えない状況にある。無論、地方税は地方自治体の自主財源であり、その縮減につながるような変更により、地方財政運営の自主性を損なう可能性があるならば、慎重な検討が求められよう。だが、偏在性の是正ならびに地方財源の確保に向けて、地方共同税の創設を含む、財政調整と自主財源確保を両立させる制度作りが必要であることは言うまでもない。それと合わせ、全国的な社会保障給付水準のあり方や、自治体による地域特性を踏まえた対応について、国と地方の協議の場を積極的に活用することや、自治体間で意見調整を図るような会議体を設置することが考えられる。 4.デジタル化 一定の標準化にとどめ、現金給付は国が実施 これまで、それぞれの自治体が独自にデジタル化を進めてきたため、自治体間の互換性が低く、国の側でも国民に対して給付を行おうとしても、現状は例えば税と社会保障の間でも、そのチャンネルが統合されていない。結果として、広い意味で同じような現金給付事務であっても、税の還付・社会保障給付・地方自治体を通じた社会福祉の給付は異なる形で行われている。自治体内部においても、もともと住民窓口・地方税・社会福祉は異なるシステムとして開発されてきて、利用される情報やシステム投資の財源も分散的である。補助事業を通じて実質的に地方自治体のシステムを利用することになる国の補助も十分ではなく、地方公共団体情報システム機構(J-LIS)を通じたやや迂回的な補助がなされることもある。 このことを考えるならば、ガバメントクラウドのように、標準化されたシステムを利用して、システム利用の費用を低減させるのは妥当なアプローチである。しかしながら、現行システムがあまりに多様であるため、まずは業務を標準化することに極めて大きな技術的・金銭的費用が掛かる。最近では標準化のために日本で使用している漢字や住所の統一というかなり壮大なプロジェクトまで議論されている。さらに、標準化されたシステムが小規模自治体にとってオーバースペックになっているという批判や外国企業のシステムにロックインされてしまうのではないかという批判もある。 すべてを標準化することが難しいことを前提に、標準化しやすいものと標準化することの危険性とのバランスを考える必要があるだろう。例えば、氏名・住所・生年月日・性別の4情報を、情報化しやすいマイナンバーで表現し、あとは4情報をそれぞれの機関・自治体で照合することにすれば、標準化は相対的に容易になる。もちろん、マイナンバーが他人に知られたときの不都合も大きくなるが、まずはマイナンバーをどのように利用するかのコンセンサスをもう一度構築するべきではないか。 一定の標準化が実現できれば、次は現金給付事務の統合や、そのオンライン上の窓口の一本化が視野に入る。児童手当のような給付事務は、以前は自治体でなければできなかったために自治体の事務とされてきたが、銀行口座を含めた個人情報があれば、国にもできないわけではない。実際、年金生活者支援給付金制度では、地方自治体に実施事務を委託せずに効率的な現金給付事務が可能となっている(原田 2024)。このことは標準的な補助事業の国負担という論点にもつながる。国は、地方自治体に実施を委ねるだけではなく、既存の出先機関の整理を行って、現金給付に関する国民との直接的な接点を持つべきである。 システム変更は、補助事業ではなく、地方の一般財源で 財政とデジタル化の関係を検討する必要もあるだろう。現在の地方自治体のシステム整備・改修には、国の補助事業との関連で行われているものが少なくない。サービスに携わる職員の人件費などと比べ、サービスの実施に不可欠なシステム整備については、必ずしも十分に財政的な手当てがなされていない。また、補助事業に関連づけて行われることで補助事業の縛りが厳しくなり、地方自治体においても部局を超えるワンストップの取り組みが困難になっていると考えられる。補助事業を減らし、地方自治体が自らの一般財源を用いてデジタル化を進める余地を広げるならば、複数の政策分野を統合したプログラムを作ることが可能かもしれない。 いずれにしても、一度稼働したシステムを変更するにはコストが掛かる。現状では、国の事業として、例えば定額減税を急に行おうとすると、地方自治体のシステムに大きな負荷がかかる。国の新たな補助事業に対して、地方の情報システムに負荷をかけないという点から審査し、地方自治体の合意を求めることなどを通じて、歯止めをかけることも検討すべきである。 むすび 以上では、行政における国と地方のあり方について検討を行った。もとより、本稿で提案した改革を直ちに実現することは容易ではない。しかしながら、今後、少子高齢化が進む中、各地域の状況は厳しさを増すばかりである。国と地方の長期的な持続性を目指して、今こそあるべき役割分担の方向性を再確認しなければならない。理想的な姿に近づくための改革の議論を直ちに開始すべきである。 最後に、地域における雇用創出と稼得機会の確保について触れたい。これまでは、道路や下水道工事などの公共事業が、農閑期の所得保障の機能を果たしていた一面もあった。一方、今では現代版公共事業として、デジタル化、温暖化対策、災害対応が進んでいるが、これらは技能や情報を持つ大都市圏の事業者が請け負うことが多い。地域経済の自立性を高めるには、地方における官民連携を強化し、経済循環や雇用創出の仕組みを確立することが重要である。 民間事業者の参入が難しい地域では、地域経済の活性化に向けて、第三セクターや地域運営組織、社会福祉協議会、郵便局、NPO法人など、様々な担い手が関わり、必要なサービスを提供できる環境の創出が模索されている。その際には、各運営主体におけるガバナンスの確保は言うまでもないが、地域の社会経済におけるビジョンと目標を、地域を構成する多様な担い手の間で共有しつつ、持続可能な社会・経済に向けて運営していくことが必要であろう。そのためには、民間の力をどのような枠組みの中で活用していくのか、民間活力を発揮するための官民連携の構築のあり方に関する議論も深める必要がある。 参考文献赤井伸郎・宮錦三樹(2025)『教育の財政構造―経済学からみた費用と財源―』慶應義塾大学出版会.砂原庸介(2008)「中央政府の財政再建と地方分権改革―地方分権改革推進会議の経験から何を学ぶことができるか―」『公共政策研究』7, pp.132-144.原田悠希(2024)『社会保障制度における社会手当の成立・展開過程―中央地方関係の視点から―』日本評論社. 宇野重規(うの しげき)NIRA総合研究開発機構理事。東京大学社会科学研究所教授。専門は西洋政治思想史、政治哲学。 赤井伸郎(あかい のぶお)大阪大学大学院国際公共政策研究科教授。NIRA総合研究開発機構上席研究員。専門は公共経済学、財政学、地方財政。 砂原庸介(すなはら ようすけ)神戸大学法学部教授。NIRA総合研究開発機構上席研究員。専門は政治学、行政学、地方自治。 沼尾波子(ぬまお なみこ)東洋大学国際学部教授。NIRA総合研究開発機構上席研究員。専門は財政学、地方財政論、地方自治。 引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。(出典)宇野重規・赤井伸郎・砂原庸介・沼尾波子(2025)「人口減少時代、国と地方の財政の新たな役割分担とは―財政的責任をあらためて明確化する―」NIRAオピニオンペーパーNo.80 脚注 * とりまとめに当たり、高橋 堅・岩手県紫波町参与、原田 悠希・東海大学特任講師、久元 喜造・神戸市長からヒアリングを行った。ここに感謝の意を表する。 * とりまとめに当たり、高橋 堅・岩手県紫波町参与、原田 悠希・東海大学特任講師、久元 喜造・神戸市長からヒアリングを行った。ここに感謝の意を表する。 1 小・中学校、義務教育学校、中等教育学校の前期課程及び特別支援学校の小・中学部。 1 小・中学校、義務教育学校、中等教育学校の前期課程及び特別支援学校の小・中学部。 2 「公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律」 2 「公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律」 シェア Tweet 関連公表物 地方分権改革の30年を振り返る 宇野重規 松井望 ©公益財団法人NIRA総合研究開発機構※本誌に関するご感想・ご意見をお寄せください。E-mail:info@nira.or.jp 研究の成果一覧へ